第18話 少しばかりの不安を胸に抱き



「と、言うわけで孝志くん! 今日はバーに行きましょう!!」


 とある日の夕方。俺より一足早く部屋に大学の授業から戻ってきていた先輩が、何やら変な事を言い出した。滅多に外で食べようとはしない紅葉先輩が、自ら『バーに行こう』と言うのだ。


「えっと、何がどう言うわけですか?」


 俺はとりあえず、揶揄われる事を覚悟して少し身構える。

 いつまでも先輩に揶揄われてばかりはいられない。少し反撃くらいはしないと。

 そんな事を考えながら。


 が、どうやら身構えたのは取り越し苦労のようで、少し真剣な目で俺を見つめ始める紅葉先輩。

「あれからね、私少し考えたの。どうしたら孝志くんと楽しく過ごせるだろうって」

「……あれから?」

「キミが親友ちゃんと浮気焼肉して帰ってきた日から、よ」

 紅葉先輩の口からポツリと零される、つい最近の俺の過ち。


 俺は慌てて先輩に言葉を返す。

「あれは断り切れなかったからって、納得してくれたじゃ無いですか! 悠はただの親友で恋愛関係なんて無いって後説明もしたじゃ無いですか!?」

 と。


 もちろんあれは全面的に俺が悪いし、それ相応のお仕置きもされたが、それに関しては文句は無い。

 けれど、それを掘り返されると流石に厳しい。

 自分なりに身の潔白を示した。先輩一筋だと言うことも当然口にしている。


 だからこそ、先輩は『納得』してくれたと思っていたのだ。まさか、それを掘り返されるとは思わず、慌てて声を荒げてしまった。


 けれど、これもまた取り越し苦労に終わる。

「うん、そこの部分はもちろん納得したわよ。孝志くんが私の事をだ〜い好きなんだって事が分かってね」

「そ、それは……」

「違うの? 私の事、好きじゃないの?」

「……好きですよ」

「私も照れてるキミ、好きだよ〜」

 そう言いながら、にへぇ〜と笑みを浮かべる紅葉先輩。


 また先輩に揶揄われ悔しい気持ちが湧く俺だったが、頬を赤く染めて楽しそうにしている彼女の姿を見ていると、煩わしい気持ちがどうでも良くなっていく。


 むしろ、この間の俺のやらかしが先輩にとって揶揄いのネタに昇華できたのなら、それはそれで喜ばしいものではないか。

 次は先輩を悲しませるような事をしないと誓ったのだから。



「で、それとバーがどう関係してくるんですか? お酒なら部屋で飲めばいいじゃ無いですか?」

 昔話が自分の中でひと段落して、ようやく本題。


 先輩が俺の部屋に来てから、着々とお酒がキッチン脇に増えていっている。先輩好みの甘いお酒や、とりあえずのビール、そしてワインや日本酒などなど、そこら辺の『俺お酒飲むんで〜』と言う人よりはお酒がたくさんある。

 もちろん、主に飲むのは紅葉先輩。俺は軽くしか飲めないし、先輩が美味しそうにお酒を飲む姿が見れればそれで十分なのだ。


 だからこそ、今回のバーのお誘いは少し戸惑っている。俺がお酒をそんなに飲めないからでは無い。先輩がほんのりお酒に酔っている姿を他の人に見せたく無いのだ。


 だと言うのに───

「じゃあ私と夜のデート、したくないの?」

「したいです」

「素直に即答しちゃうキミも好きよ」

「うっ……」

 同居している今に至るまで、一回もした事のない先輩との夜デートの魅力には抗えない自分がいた。


「今までは家の門限があったから夜までデートする事は出来なかったけど、今は一緒の部屋に暮らしてるから存分に夜にデート出来るわよ〜」

「同居とかはあっさり許すのに、門限はきっちりあったんですね」

「だって、門限決めたのはお父さんだもの。いくら私が可愛いからって二十歳超えてるんだから、二十一時までに帰れとか流石に厳しすぎるわよ」


 電話口での母親とのやりとりからでは想像できないほどに先輩の家庭は門限に関して厳しいらしく、仮に門限を破って締まった日には翌日からしばらくの間外出を認めないらしい。当然、授業に出るのも許されないとの事。

 それもあってか、先輩と同居する前からも授業終わりにデートするなんて事は殆どなかった。

 恋人らしい事と言えば、時々サークルが始まる少し前の時間に手を繋いでいたり、食堂であれこれ話したりと、それくらいだ。


 そんな先輩が俺の誕生日当日にお泊まりをしてくれたのだから、同居の話が本気なのだと分かってしまう。


「でも同居は許して貰えたって事はそれだけ先輩の熱意が伝わったって事ですよね?」

「……う、うん。そうね。柔軟なお父さんで助かったわ」

「機会見つけて、直接挨拶しに行かなきゃですよね」

「そうね。機会を見つけて、ね……!」


 どこか様子のおかしい先輩。けれど、それを口にしていいものか不安になってしまう。


 話に聞く限り先輩の父親は厳しそうな人で、そんな人の前に果たして俺は失礼の無い挨拶ができるのだろうか、と。


 そんな不安を抱える俺に先輩は、クイっと俺の服の袖を引っ張る。


「そ、それより今日はオシャレな格好で行こうね! せっかくのバーなんだから!」

「そ、そうですね! 今から緊張してきました!!」


 お互いに、夜のバーにそれぞれの想いを馳せながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る