第16話 無意識に積もってきた“欲”

 揶揄いたがりで焦らすのが得意で、そして今でも思い出すだけであの時のもも酒の味が浮かび上がってくるほどの濃厚なキスをする紅葉先輩が“俺の腕を自身の胸に挟むだけ”で済むなんて事があるはずがなかった。


 それに気づかなかった俺は

「ふふっ、正直でよろしい。それじゃあ、次は……コレかな」

「……っっっ!?」

 まんまと先輩の策略通りに驚いてしまう。


『コレかな』

 そう呟きながら先輩が手に取ったのは飲み掛けの蜜柑酒。濃厚な柑橘の匂いが先輩のと混じり合って、どこか官能なものにも思えてしまう。

 紅葉先輩はそんな蜜柑酒をあろうことか、先輩の胸の谷間に挟まる俺の左手、その人差し指目掛けてポトリと垂らしてきた。

 自分が白のTシャツを身に纏っている事など一切気にする様子もなく……。


 それどころか───

「ん……ちゅぷ……はむ……」

 蜜柑酒が垂らされた俺の人差し指を躊躇なく舐め始める。


 人差し指に残る蜜柑酒を余す事なく味わうように念入りに、それでいて俺に見せつけるように淫らに舌をチロチロとあてがう。

 愛しの人が執拗に舐めているのは俺の指なのに、まるで違うものに見えてしまって仕方がない。

 それはひとえに、彼女の谷間から腕が飛び出ているから。


 きっと普通に人差し指にお酒を垂らされても、官能的に感じることはなかったし、別の“何か”に見えてしまうこともなかっただろう。

 そして、悶々とした思いが積もっていくことも……。


「せ、先輩……本当にこれはお仕置きなんですよね……?」

「んー、しょうだよ〜? ちゃ〜んと君が、んっ……ちゅぷ……、キツイ思いをするようなお仕置きだよ〜」

「お仕置きどころか、美味しい思いしかしてないんですが……」

「じゃあ、もうちょっとだけ刺激が必要かな〜」


 尚もピチャピチャと舌に弄り回される左手の人指し指。驚きが収まった事でだんだんと感覚が鋭利となっていき、先輩の舌の動きが人差し指経由で脳に伝わっていく。

 それは幸せを通り越して、無意識の“欲”への刺激に他ならなかった。


 しかし、その時の俺はそれに気づくことなく、『こんな美味しい思いを逃してなるものか』と言わんばかりに目の前の光景を目に焼き付けていく。


 水音を鳴らしながら指先を咥えては引き抜き、物足りなくなっては蜜柑酒を追加で指先に垂らしてはまた淫らに咥え始める。

 次第に指先のみならず、手の甲、腕全体に蜜柑酒やそれ以外の液体で濡れていっても先輩は気にする様子もない。たとえそれで白いTシャツが汚れると分かっていても目の前の人差し指に並々ならぬ執着を見せてくる。

 頬の火照りが髪の色によってきているのか、ほんのりピンク色。唇もお酒と唾液であでやかな紅色。


 次第に無意識に積もっていたものを自覚していく。

 それは生きていく中で正常なもので、いつ積もっていても何もおかしくないもの。そしてそれは健康的で健全な思考を持つ男性なら尚の事積りやすいもの。

 つまりは“性欲”。


 目の前で、愛おしい人が物欲しげな目で自分の指を執拗に舐めたり咥えていたりしたら、悶々とした思いが積もらないわけがない。

 指ではなく、もっと体全体で愛しの人に、大好きな紅葉先輩に攻められたい。そんな想いへと積もったものが変化していく。


 ───が、紅葉先輩が宣言した事を忘れた訳ではない。


『キスはしない』という、無慈悲なる宣言を。


 キス以上の事をしていない俺にとって、今更ながらこの状況は生殺しに他ならなかった。

 押し倒したい。今すぐ押し倒して、先輩の焦った表情を見てみたい。そして、今つもりに積もったものを解消したい。その為には……キスが一番なのだ。


 キス以上の事を頼める勇気など、今の俺にはないのだから。


 だからこそ、俺は一つの手段を取るしかなかった。

「あ、あの……先輩……」

「ん〜どうしたの〜〜? そんなに顔を赤らめたりして。あ、顔が赤いのは抱きついてからずっとだったね」

「そう言う揶揄いは後にして下さい……」

「だいぶ辛そうだね〜。どうかしたの〜?」

 心配そうな声とは裏腹にニヤニヤしている紅葉先輩。まるでこの状況を分かり切っているかのように。


 それでも俺がやることは変わらない。逃げ道は、コレしか思いつかなかったのだから。


「ちょっと、トイレに行きたくてですね……」

「あー、そうかそうか。おトイレねー」

「そうです……だから、一旦お仕置きは───」

「でもそれって本当に“おトイレ”?」


 ───まさか、トイレという逃げ道すらも塞がれるとは思いもしなかったけれど。

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