第10話 無限のポッチーゲーム

「……ポッチー?」


 濃厚もも酒のおかわりと共に持ってきたのは有名な棒状チョコ菓子の箱。

 鼻歌にも近い音を奏でながら、ウキウキ気分で俺の待つソファーへと戻ってくる。……嫌な予感しかしない。


「お酒飲みながらの甘いキスと言ったらまずはポッチーゲームでしょ」


 案の定、嫌な予感は的中した。

 ペロリともも酒でコーティングされた唇を舐める紅葉先輩。そんな先輩を前に、俺の悶々とした想いは加速してしまう。


 それでも何とか平静を保って、先輩有利になり過ぎない状況を作り出そうと画策する。


「まずお酒この間知ったばかりなんですが」

「手取り足取り教えてあげようか?」

「……それは大丈夫です」

「強がらなくてもいいのに〜。『キスもポッチーゲームも初めてで可愛すぎる先輩に優しく教えて貰いたいです』って、言ってもいいのよ〜?」

「…………大丈夫です!」


 先輩の心揺さぶる口撃にも、俺はギリギリ平静を保つ。……保っているつもりなのだが、どうやら先輩の目にはそう映ってなかったみたいで

「一瞬、躊躇ったでしょ?」

 と、俺に聞いてくる。


「気のせいでは?」

「相変わらず、変なところを誤魔化しちゃって。別にいいのに、甘えたって」

「別にそう言うんじゃないですから」

「はいはい、そう言うことにしてあげる」


 平静を保ち続けるも、先輩にはマルっとお見通しのようでそれ以上は深く詰めるようなことはしなかった。


 その代わりに、袋からポッチーを一本取り出して俺に差し出してくる。

「それじゃあ、はい。クッキー生地の方咥えて?」

「は、はい……」

「私はチョコの方を咥えて待ってるからゆ〜っくり齧っておいで」

 そう、『今からキスするよ』と暗に仄めかしながら。



 そして俺は、妖しく微笑み見続ける先輩に見守られながらポッチーを口に咥え、その反対側を先輩に向ける。彼女は躊躇することなくチョコ側をパクリと咥え、「ふふっ……」とまた笑う。

 紅葉先輩は宣言通り、チョコの先端を咥え俺が齧り進めるのを待ち構えている。その瞳にはいつもの俺を揶揄うような雰囲気が宿っていた。


 このまま何もせずにいては、きっと『やっぱり君は甘えん坊なんだね〜』と先輩のいいようにされるに違いない。

 ここまで来て、少し動くだけで先輩に一泡吹かせられそうな状況で、いつも通りの俺ではいられなかった。


「……んっ、んん……っ」

「そう……いい調子よ。おいで、孝志くん……」


 ポリポリ……ポリポリポリ……と先輩の唇に近づくべくポッチーを少しづつ齧り進めていく。

 少し、また少し近づく度に、先輩はゆっくりと俺の両腕に手を這わせてくる。それに合わせて俺も、先輩の肩と腰に手を添える。

 か細い肩に締まった腰。ポッチーを齧り進める度に、ぴくりと震える恋人の身体。


 先輩の唇を見れば体温でチョコが溶け始め、濃厚もも酒ルージュの上にあでやかなコーティングがされていく。

 妖しい魅力があった唇が一変して、トロリと甘そうな、今にも吸い付きたい魅惑の唇へと変わりゆく。


 齧り進めていたポッチーは気づけばもうチョコエリア。先輩の魅惑の唇へはあと少し。念願の甘いキスまでもうまもなく、そう思った刹那のこと───。


「ん〜、もういいかな。えいっ───」

「……んんっ!?」


 急激に迫り来る先輩の唇に、俺はなす術なく吸い込まれていってしまった。


「ん……ちゅ……っ、んぁ……ふふっ。あま〜い……」


 ゆっくりゆっくりと噛み締めながら齧り進めていたポッチーはあっという間に消えてなくなり、その代わりに待っていたのはチョコともも酒でたっぷりとコーティングされた先輩の舌。


「せ、先輩……これは……」

「ん〜? もちろん、『あま〜いキス』だよ。甘かったでしょ?」


 にししと笑う先輩。その口の端にはチョコレート。

 僅かにのぞかせる甘い一面。その奥で待っているのは甘さでコーティングされた、精を吸い尽くさんとした魔の一面。

 悶々とした想いすらも吸い尽くされ、俺はただ甘過ぎたキスの余韻に浸ることしか出来ない。



 けれど、先輩にとって今のキスはなんて事ないただの一回目。


「じゃあ、今度は孝志くんがチョコ側ね? はい、咥えて〜?」

「ま、まだやるんですか!?」

「当たり前でしょ〜? 手加減出来ないって言ったじゃない」


 蕩けきった目をした先輩が、俺にキスの余韻を浸らせてくれることはなく

「私が満足するまでいっぱい甘いキスするからね」

 そう言って今度はチョコ側を俺に咥えさせた。


 当然、今度は先輩が齧り進める番。逃げようにも、腕を伝って首元へとやってきた先輩の手がそうさせてくれず、俺はまたもや為す術なく先輩に甘く襲われる。


「ん……んぅ……もうちょっと、甘さを足してみようかなぁ〜……」


 二回目でも収まることはなく、むしろ甘さを足すためにポッチーをもも酒に浸してから口に咥える始末。


「はい……もう一回、しよ?」


 そうして俺と先輩は、ポッチーがなくなるまでキスを繰り返し、気づけばポッチーが無くなってもキスをし続けていた。

 甘さが染み付いた舌を貪り、甘さが物足りなくなったらもも酒を口に含んでまたキスをして……。


 結局、キスが収まったのは朝日が昇る直前。夜通し、荷物の片付けをする訳もなくただソファーの上でイチャイチャして過ごしたことになる。


「……今日は大学の授業サボっちゃおうか?」

「出席日数、大丈夫ですか?」

「私は普段、真面目に授業受けてるもの。孝志くんは違うの?」

「俺だって真面目に受けてますよ」

「じゃあ今日くらい平気だね」


 口の周りはチョコともも酒と愛しい人の唾液。余韻が残ったままの俺にはそれらを拭い取ってしまう気にはなれず、初めて授業をサボるという選択をしてしまった。


 けれど、不思議と嫌な気分ではなく、むしろ今なら普段言えないことも言えそうな気がしたのだ。


 いつも心の中で思うだけだった俺を、変えるチャンスだと思い意を決して頭に浮かんだことを口にしてみる。


「……せっかくですし、一緒にベッドで寝ません?」

「それはえっちなお誘い?」

「い、いえ……そういうつもりは……」

「冗談よ、冗談。早く一緒に横になろ?」

「心臓に悪いですってば……」


 ソファーでお互いに抱き合う俺と先輩は、そのままなだれ込むようにすぐ横にあるベッドへと身を委ねていく。


 そしてそのまま、沈むように瞳を閉じる。ゆっくり、ゆっくりと、目の前に愛しの紅葉先輩がいる事を確かめながら……。

 


 同居二日目にして、授業サボりを覚えてしまった。

 みんなが必死に授業を受けている間、俺は夜通しキスした恋人と同じベッドの上で横になっている。

 口の中にいまだに残る甘さが、微かに俺の心を悶々とさせる。不思議とそれが嫌ではないのは、きっと今が幸せすぎるからだろう。



 ───その幸せが“日常”になってくれると信じていたいから。

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