第8話 ラブラブしたい

『自分勝手な娘ではありますが、末長く一緒に過ごしてあげて下さい』


 先輩の母親からの手紙にはこう書かれていた。


「……重い」


 何というんだろうか。そこはかとなく『愛娘と別れたら許さないから』と言われてる気がしてならない。

 別に先輩と現状別れるつもりはないけれど、俺が先輩に飽きられないか心配だ。紅葉先輩は俺と違って人気者だから。

 先輩の母親の気持ちは分かるけども、俺に先輩を引き留める自信はあまりない為、手紙の内容に素直に頷けなかった。


 そんな俺の心情を読み取ってなのか、

「全く、お母さんってば余計な事書かなくていいのに……」

 と、ポツリと愚痴をこぼす先輩。


「それだけ愛されてるって事ですよ」

「それは分かってるんだけどね。でももし孝志くんのプレッシャーになったらと思ったらちょっと、ね?」

「先輩……」


 いつもの俺を揶揄ってくる先輩が嫌いというわけではないが、目の前にいる大人な雰囲気の先輩には流石に敵わない。嫌いになるどころか、プレッシャーに感じるどころか、先輩に飽きられないように頑張らないとと言う気になってしまう。

 つまるところ、紅葉先輩の事がもっと好きになってしまったわけだ。


 何度も何度も先輩の動作一つ一つに胸をときめかせてしまう自分。そんな俺だからこそ、先輩は揶揄うのをやめないのだろう。

 ……先輩の揶揄いに嫌悪感を覚えないのも、それだけ先輩の事が好きと言う事なのだろうか。


 そんな事を考えていると、先輩がパンッと勢いよく掌を叩く。

「と、しんみりした話はここまでにして……お酒飲もう!!」

「……切り替え早すぎません?」

 さっきまでの大人な雰囲気の先輩はどこへやら。二つの大荷物をリビングの端に置き、先輩は三人掛けソファーに腰掛けた。いつも通りの、見慣れてしまったダラけ姿の先輩である。


 さっきまでの先輩へのドキドキを返してもらいたい。

 そんな事を思っていると、ニヤリと口元を緩めながら先輩が俺に問いかけてくる。

「え? もっとしんみりしていたい? 私とラブラブしてくれないの?」

 と。


 よく先輩の口元を見れば、レザージャケットに合わせる様に艶っぽく口紅が塗られていた。そんなところに気づいてしまえば嫌でも思い出す初めてのキスの感覚。

 ふにゅ……と柔らかく、それでいて唇を離すときは少ししっとり……。

 そして、その先を求めたくなり先輩が帰った後の悶々とした時間。

 それらの感覚の根幹にあるのが何かと聞かれれば、たった一つしかなかった。


「……ラブラブしたいです」

「すけべな君ならそう言うと思ったよ〜」

「俺はすけべじゃないで───」

「もし自分をすけべだって認めたら、この間のキスの続きしてあげてもいいんだけどなぁ〜」

「俺はすけべです」

「うんうん、素直な孝志くんが一番好きだよ〜」


 先輩には大人な時でも、ダラけてる時でも、変わらず心を振り回されるばかりだ。しかも、それに心地よさを覚えてしまっている自分がいるのだから、もうどうしようもない。

 きっと俺はこのまま、先輩に心を揺さぶられて日常を過ごしていく事になるのだろう。朝も昼も夜も、そして寝ている時も……。

 それがまた、魅力的に思ってしまっている俺は徹底的に先輩に心を支配されているに違いない。


 そんな事を思いながら、先輩の隣に座る。

「それで、孝志くんは何飲む? 甘いのから苦いのまで一応一通り持ってきたけど」

「えっと……甘いので……」

「んふふ、甘いキスを御所望と」

「それは言ってないです」

 ふわりと漂ってくる甘ったるい香水の匂いに魅了されながらも、俺は平静を保ちながら会話を続ける。

 大人な服装に和やかな雰囲気、そして近くによれば脳髄まで蕩かすような甘い匂い。


「じゃあ、甘いキスは嫌?」

「……嫌とも言ってないです」

「そう言うことにしといてあげる〜」


 ───とどめに、先輩のイタズラな笑顔。


 もう、俺の心はトロトロだ。

「じゃあ、私も甘いのにしようかな」

 そう言って、先輩は一度ソファーを離れて、大荷物の中から缶チューハイを取りだして、また戻ってくる。

 たった三動作の短い時間だと言うのに、それすらももの寂しく感じてしまった。


 まだお酒は飲んでいないのにも関わらず、視界が揺らぐ。心が揺らぐ。


「じゃあ、同居記念にカンパーイ」


 カチーンと鳴り響くカンパイの合図。俺は刹那、揺らぎを抑え込む為甘い酒をトクトクと口の中に注いでいった。


 ───もしかしたら、俺には先輩との同居は早すぎたのかもしれない。


 そう、依然として悶々としたままの自分に問いかけながら。


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