第6話 味噌汁味の……

 鏡の前には黒髪の男子大学生。頭の中には紅髪の美女大学生。


「どう考えても釣り合ってないよなぁ……」


 目の前の自分といつも隣にいてくれる恋人の容姿の差に、俺はコンプレックスを抱いている。

 目鼻立ちはしっかりしてるし、いわゆる『ブサイク』と言われるほどではないけれど、どうしても紅葉先輩と比べてしまう。


 ───俺は紅葉先輩と釣り合う男なのだろうか。


 と。


 先輩が容姿だけで人を判断するような人では無いと信じてはいても、気にしてしまう自分がいる。

 それは自分が弱いから。先輩が俺を好いてくれてる現実が、いつか壊れて夢になるのが怖いから。


 だったら、初めから釣り合わないと考えていた方が気が楽ではないか。

 そう思って数ヵ月目の昨日、『同居』と『結婚』について紅葉先輩の口から聞かされた。


「しっかり、しないと……だよなぁ……」


 先輩が本気で俺を好いている。『結婚』が本気か冗談か定かではないけれど、本気で俺の事を好きでいてくれる。そんな彼女を前に俺がいつまでも後ろ向きのままではいけない。

 少しずつでも弱い自分を、心の弱い自分を強くしなければ。今からでも、そして『同居』した後も……。



 そんな強い決意をしながら、髪を整え終えた俺は先輩の待つリビングへと足を運ぶ。



 部屋中に広がる美味しそうな匂い。そしてそれを体現したような食欲が唆られる料理。目玉焼きにウインナー、千切りキャベツに豆腐の味噌汁。日本の朝ごはんがテーブルに並ばれている。

 それを用意したのは紛れもない恋人の紅葉先輩。そんな先輩の今朝、キッチンに立つ姿を思い出しながら俺は食事を始めた。


「なんか、様になってましたね、先輩の家事」

「そう? それなら頑張った甲斐があったかな」

「家でよく手伝ってたとか?」

「お母さんに家事仕込んでもらったの。私がこうやって朝ごはんを振る舞えるようにね」

「そ、そうなんですね……」


 きっと、それは『同居』を見据えての仕込みなのだろう。そう思うと、少し反応に困ってしまった。

『同居』が始まれば毎朝どころか、毎日今朝のような光景を見ることになると思うと、嬉しくて堪らない。

 その反面、きっと揶揄われると思い、喜びを出すのが惜しんだ。


 が、それすらも彼女にとっては想定済みだったようで、俺の反応を見るや否や顔を覗き込ませながらニヤリと笑って問いかけてくる。


「照れてる?」

「照れてません」

「本当に照れてない?」

「照れてませんってば」

「じゃあ私を見てよ〜」

「それはちょっと、今は出来ません……」

「やっぱり照れてるじゃない〜」


 先輩の怒涛の攻めに、俺はついに陥落してしまった。

 いや、可愛さと美しさを両立させる紅葉先輩に顔を覗き込まれながら問い詰められて照れない男がいるだろうか。少なくとも俺には無理だ。

 照れていないと強がっていても自然と表情はニヤけてしまうし、私を見ろと言われても見れる訳がない。きっと、いや間違いなくもっとニヤけて、さらに先輩から揶揄われる事になる。

 そう思って顔を逸らしてみても、結局揶揄われてしまった。


 いつまで経っても揶揄うことの止めない紅葉先輩に俺は別のアプローチを仕掛ける事にした。

「と、ところでさっき言ってた約束って……?」

 と。


「あ、話逸らした。もー、照れたのを隠さなくてもいいのに〜」

「うっ……」

「まぁ、そういう孝志くんが私は好きなんだけどね〜」


 無理矢理話題を逸らそうとしている事を見抜かれているどころか、トドメにまた揶揄われる。

 俺はきっとこの先、先輩に揶揄われ続けるのだろう。不思議とそれを嫌と感じない自分がいる事に今更ながら気がついた。


 そんな俺の気付きを打ち消すような真面目な声が先輩の口から聞こえてくる。

「その様子じゃあ、昨日寄ってた時の事は覚えてないわよね」

 と。


「……ごめんなさい」

「ううん、謝らないで? むしろ謝りたいのは私の方。色々と我慢させてたみたいだから。ごめんね、揶揄って色々ともどかしい思いをさせて」

「それって……」

「昨日、酔った勢いで君が教えてくれたの」


 思わず謝ってしまったが、先輩は真面目な声とは裏腹に表情はとても穏やかだった。

 それ以上に先輩が最後に放った言葉が気になった。


 ───酔った勢いで君が教えてくれた。


 俺は昨日、一体何をしたんだろうか。酔って、先輩に何を言ったのだろうか。どこまで、心の中の不安を語ってしまったのだろうか。

 知られたくなかった事を自分の言葉で説明してしまった事に恥ずかしさを覚えると同時に、真剣に俺の事を心配してくれる先輩に愛おしさを覚えてしまう。


「君を揶揄うのは多分これからも止められないけど、心の底から好きなの。だからこそ、少し体を差し出すのが怖かった。嫌われたらどうしよう。尻軽だと思われたらどうしようって」

「そんな事思うわけ……っ!」

「そうだよね。君はそんな事しないよね。なんせ、色々溜め込んでいるのに、それを私に気付かせる事すらしなかったんだもの」


 俺はさっきまでとは違った理由で紅葉先輩の顔を見れなくなってしまった。

 照れ隠しとは違う。先輩があまりにも愛おしく見えてしまい、これ以上見ていると理性なんて吹き飛んでしまう気がして顔が見れないのだ。


 しかし、大事な決断を迫られる時はやはりいつも突然で、考えさせてくれる時間すらもそう与えてくれない。

「ねぇ、しよっか」

「するって、何をですか……」

「もちろん、キスよ」

 俺の返事を聞くまでもなく先輩は立ち上がり、テーブル向かいにいる俺の顔を両手で優しく包み込む。


「やっぱり寸止めですか?」

「しないわ」

「間接キスの方ですか?」

「ダイレクトキスよ」

「……鼻と鼻───」

「マウストゥーマウス」


 うじうじと俺が質問してる最中、先輩は俺の唇を親指でプニュプニュと押して遊んでくる。

 チラリと先輩の顔を見てみれば、唇は瑞々しく瞳は熱っぽい。そこに揶揄い上手の先輩は居らず、代わりに恋する乙女が宿っていた。


 そんな先輩に、俺は何度目かの恋をする。


「質問はもうおしまいかしら?」

「俺、初めてなのでその……お手柔らかに……」

「ふふ、分かったわ。初めては優しくしてあげる」


 ニコリと微笑んだ先輩の唇はみるみるうちに俺の唇へと近づいていき、やがて優しく触れ合った。


 優しく触れ合うだけのキスなのに、それは今まで想像してきた先輩へのあんな事そんな事よりも、濃密なものだった。



 それがたとえ、味噌汁の香りのするキスだとしても。

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