第4話 お酒の勢いに身を任せ
「さて、一通り掃除も終わったし、改めてお誕生日おめでとう」
「あ、あはは……ありがとうございます……」
コンロで燃えて飛び散ったエロ本の残骸を集め終えた紅葉先輩と俺はくたびれた様子でリビングのクッションに座り込む。
先輩の目論みでは上手く焼き燃やせると思っていたらしく、まさかコンロの火口からの風で吹き飛ぶとは思いもしなかったようだ。先輩の慌てふためく姿が少し可愛く、思わず笑ってしまいそうになった。
とはいえ、エロ本を自らの手で燃やしたショックは大きく、しばらく立ち直れそうにない。神妙な表情を浮かべ、先輩からのお祝いの言葉も苦笑いで返すことしか出来ない。
そんな俺を前にしても先輩は先輩のままで、重苦しい空気の中にあっけらかんとした声が響き渡る。
「大丈夫大丈夫。私だってそう鬼じゃないわよ。今度、お詫びのものを用意してあげるから」
「お詫びって、例えばどういう……」
「え、私のえっちな自撮り写真集とか?」
「まさかの自作とは」
「ちゃんと印刷業者に依頼して、製本して貰うわ」
「そこまでしなくてもいいと思いますよ!?」
相変わらず先輩の考えが一切読めないが、少なくとも『先輩を想起させないものでは思い耽ってはダメ』というのだけはわかった。
先輩の不安は分かる。俺だって先輩が俺以外の男を頭に浮かべながら思い耽ってたら嫌だ。今回燃やすことになったエロ本たちは先輩の不安解消する為の生贄だと考えたら安い。
褐色や青髪の子にうつつを抜かさずにもっと先輩成分を補給すればなんてことない。そう……先輩が揶揄ったりせずにスキンシップを取らせてくれればなんてことはないのだ……。
先輩の不安を理解すると同時に、『果たして先輩は本当に俺の事が好きなのだろうか』と今度は俺が不安になってしまう。
好きでもない相手に同居を持ち掛けるような軽い女性では無いと分かっているけれども、未だにキス手前までしかしてない身からしたら、『先輩の好きは“ラブ”じゃなくて“ライク”なのでは?』と不安を持たずにはいられない。
しかし、実際に紅葉先輩に直接聞く勇気は俺にはなくて
「とりあえず、孝志くんもお酒飲んでみよ? 初心者でも飲めそうなの買ってきてあるから」
「あっ、はい! お手柔らかにお願いします!!」
と、その場の流れに身を委ねてしまった。
俺の悪い癖。流れを断ち切る事が出来ずに自分の言いたい事・伝えたい想いをなぁなぁに流してしまう。
全部なぁなぁだ。先輩に俺の事を本当に好きかどうかを確かめられず、キスしたい事も伝えられず、そしてその先の事も当然……。
せっかくの誕生日なのに少し自分を嫌いになる。生まれて初めての恋人と過ごす誕生日なのに、ズンズン気持ちが沈んでいく。
そんな状態から抜け出す為に俺は先輩から勧められたお酒をためらう事なく飲んでいく事にした。少しでも気持ちをハイにする為に。
「まずはカルピコサワー。度数が低くて飲み易い甘さだから初めてのアルコールにオススメ」
「カルピコソーダみたいな感じですね!」
「まぁ、そのソーダをアルコールに変えただけだもの」
口の中に広がる甘い酸味。その後に広がる仄かな違和感。きっとこの後味がお酒の味なのだろう。
思ったよりなんて事ない。むしろ、気持ちが昂ってくる。
この調子で、次のお酒を手に取り先輩のお酒紹介の後に一気に口に含む。
「次にチョーマの梅酒。定番中の定番のお酒だから味を覚えておいて損はないよ」
「自販機で時々見る梅おろしジュースみたいな味で結構イけますね!」
「そりゃ梅だもの」
鼻に直接入ってくる梅の強烈な香りと一緒に美味みが舌に広がっていく。カルピコサワーを飲んだ時に感じた違和感は無く、梅そのものの美味しさを味わっているようだった。
しかし、やっぱり飲んでいるものはしっかりとお酒で、ヒリヒリとした感覚が喉奥で疼いている。
それでも、自分が今感じたい『ハイな気分』には程遠く先輩が俺の為に用意した最後のお酒にも躊躇なく手をつけることに。
「最後にコレ。やっぱり一度は飲んでおこう。アサヒのハイパードライ!」
「苦い……っ! けど仄かに感じる旨味……。これはなんかクセになりそう……!!」
「いい飲みっぷり!! これは外で飲める日が近いかもね!!」
先輩の嬉しそうな反応とは裏腹に、俺は心の中で喜び満ちていた。頭がフワフワとする感覚。それでいて昂る気持ち。
求めていた『ハイな気分』にたどり着けた事を一人心の中で喜んでいた。
そんな独り善がりな喜びも束の間、視界が急激に歪む。
「あれ……先輩、イリュージョン覚えました? ものすごくグニョグニョしてますよ?」
「ありゃ、やっぱり酔っちゃったか」
「ボクは酔ってましぇん!!」
「そう言って強がる人は大抵酔ってるから。ちょっと待っててね、今お水持ってくるから」
そう言って俺のそばから一旦離れようとする紅葉先輩。そんな先輩のセーターの裾を俺は無意識に掴んでいた。
「あの、孝志くん……?」
「先輩は……俺の事、本当に好きですか……?」
ハイな気分になっていたはずの俺の口から、女々しい言葉が飛び出ていく。
頭はフワフワしてるのに気持ちは逆に重苦しい。
「もちろん好きよ」
「本当ですか……? 実はドッキリでしたとか、ないですか……?」
「無いわよ。ちゃんと君だけが好き。本気で君に恋してるわ」
「じゃあ……キスしてください……」
女々しい自分を止めたいのに、そんな俺の意思とは関係なく心の中で思っていた言葉がどんどん口から出ていく。抑えていた枷が目から流れ落ち、溢れ出た不安が先輩の耳に入っていく。
紅葉先輩はそんな俺をただじっと、真剣な目で見つめてくる。
真紅のサイドテールを揺らしながら、さっきまでのヘラヘラとした表情とは一変した真面目な先輩が、お酒で濡れた唇を小さく開けて、ポツリと質問。
「……したいの?」
「俺は大好きな紅葉先輩とキスがしたいです……。先輩は違うんですか?」
また本音が零れ落ちる。
「もちろんしたいわよ。でも、今じゃないかな」
「それは俺の事が本当は好きじゃないからですか……?」
「そうじゃないの。ただ、酔っ払った勢いで大事なものをあげたくないの」
俺の隣に座り直し、自分のカバンから飲みかけのお茶をとり出すと、そのまま俺の口に押し当ててくる。
不意に口の中に入れられたお茶は、いつもより何倍も濃くて苦かった。先輩好みの甘いお茶と同じものとは思えないくらいに……。
「だから、キスは朝まで待って? それまではちゃんとそばにいてあげるから、ね?」
「……はい」
お酒の酔いにとうとう打ち負けた俺は、そのまま沈むようにと目を閉じていき、そのまま誕生日を終えるのだった。
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