ただ、一夜の怪談蒐集
霧中模糊
第1話 思想家
軽佻浮薄である。
後先考えず生きている私は、自身をそう表現する。しかし、「思想家」と揶揄されることのほうが人生において多かったかもしれない。
軽はずみで話のややこしい奴……。こんな奴が社交的に会社で働くのは道理に反するからと言って、文字書きを勧めた天野はセンスがあるが、「ライターになれ」は詰めが甘い。社会貢献と言って時々仕事まで持ってきてくれる天野には申し訳ないが、自分の思想が所々交じる記事を読んでくれる奇人はそうそういない。
──結果が今の有様である。
午後九時十分。各所から集めた資料が散乱する業務デスクは、ライターを始めた当初からグラついてはいたが、今では更に酷く傾き作業ができる環境ではない。そんなデスクに突っ伏したまま寝落ちしていたためか、首はズキズキと痛み、眼の奥には痛みに成長した重さが残っていた。畜生、寝違えた。
その暗い部屋で目の間のPCだけが煌々と画面を光らす。
画面には、やっとありつけたオカルト特集の記事が残っていたが、肝心の中身は一割にも到達していない。……これが納品できなければ未来はない。
「……ネタが無けりゃあどうしようもないか」
分かりきったことをいうんじゃない。そもそもオカルトを説得力もって伝えること自体が矛盾なんだ。お得意の言い訳と思想とほんのちょっとのウンチクで最初からすべてを書ききって、「まるで説得力がある」ような記事をかけばいいと考えていた当初の自分はなんて浅はかな。書けど書けど自分の冷静さを恨むような、あるいは思想家のような無理やり物事を解釈してしまう癖がでて、オカルトとして記事ができない。
「寝起きか? 久しぶりに会いに来たのにひどい顔だな」
……え誰? 私に話しかけてくるような奇人はそもそもこの世にほとんどいない。じゃあこいつは幽霊か? だとしても人の家だ。じゃあ泥棒だ。
「どこから侵入してきた天野」
「玄関から」
ああそう。数少ない友達だとしても、不法侵入は不法侵入だぞ。そう文句をぶつけようとした私を制し、天野は続ける。
「仕事だライター殿」
……それは断れるのか?
結果として断らなかった。
ネタが無くて困っているのを知っていてほかの仕事を持ってくるほど天野は鬼畜じゃないらしく、分け与えられた仕事は付き添い兼ネタ集めである。
「記事には難しい解釈を書く必要はないんだ。ありのままの事実を書けばいい。その調子じゃオカルト記事は完成しないし、凝り固まった考えじゃ「思想家」とネットの隅で小馬鹿にされ続ける状況は変わらん」
「説教は聞かん」
時刻は零時前。そこまで歩く道ではないとは言っていたが、家籠りが長かったせいで革靴はつらい。久々の仕事と天野に合わせる意味も込めて引っ張りだしたカッターシャツは、仲夏という季節柄じっとりと首元を濡らし始めていた。スウェットは天野が深緑、私が深紺でなんだか芸人コンビのようであったが、誰も通らない林道では初めての殺人で死体を隠す二人組にも見えそうだ。であれば、この手持ちライトも消した方が良いだろう。
「街中の心霊スポットでもよかったろ」
そう天野に尋ねると、天野は薄く笑いながら
「暗闇の廃神社はいいネタになるぞ? そもそもお前は俺の仕事の付き添いだ。ネタ探しはついで。金は出すからつべこべ言うな」
そう言って前を歩き始めた。
十分程すると、小さな川が出てきた。川には石橋が架けてあり、苔か湿り気か滑りやすくなっている。
「夜道……それに橋はな、あの世への道としての意味もあるらしいぞ」
「文化的意味に真実があるのか?」
天野はあきれ顔でこちらを見ると、知るかといって歩き始める。
石橋の先すぐに石造りの鳥居があった。廃神社にしては未だ立派に佇むそれも、しめ縄は外れ下に落ちていた。天野に催促する。
「うんちくは?」
「亀毛兎角。幽霊もいないし意味もいらない。そんなこと言ってるやつに説明するウンチクはない」
……拗ねてしまった。まあいい、鳥居をくぐろう。
鳥居の先、境内には石灯籠やら御社殿やらがあり、いかにもな雰囲気がある。やや小さめの神社だった。しかしこれをそのまま書くには少し怖さが足りなく、幽霊の一匹でも出てほしいと願っている自分は、少し罰当たりなことを考えているのかもしれない。でもネタ集めだ、多少は目を瞑ってもらおう。
「俺は御神木に用があるから、自由に回っていいよ」
そう言って天野は奥へと歩いて行った。この暗さに一人は無理だ。「天野」と声をかける。その瞬間、天野の右後ろの石灯籠の間から、黒い影が飛び出してきた。それと同時に天野が振り返る。
二人が固まる。
「今なにかいなかったか?」
天野が最初に口を開いた。
「……動物じゃないか?」
「目の前通ったはずだぞ」
「でも何も見えなかった」
……幽霊? いやそんなはずはない。気のせいだ。
ハハ、と二人で乾いた笑いをすると、今のことはなかったかのように天野がくるっと踵を返して御神木へと向かっていった。
鳥居の下で立ち尽くす。今のは錯覚? いや錯覚で片づけるのはいささか無理やりだ。しかし二人分のライトで照らしたうえで見えない生き物は生き物なのか? 落ち着け……。そうだ、私は「思想家」だ。理論家ではないところが自分ではないか。理由を……、可能性を……。
体感で五分ほどその場で考える。消えた理由の説明をこじつければいい。
……グレア現象。そうグレア現象だ。二人の光源があれば説明がつく。角度や光量は関係ない。可能性の話だ。この説明なら文句は言われない。記事のネタにはならなかったが、恐怖心はおかげでだいぶ落ち着いた。
天野にも説明してやろう。また文句が出そうだが、そこはお得意のウンチクで押そう。
……選択的注意とかどうだろう。「幽霊がいる」という思い込みの上では、あれを幽霊に見えるように意図的に情報を取得してしまう。ビビりめ。
天野の向かった方向へ歩き出す。話す内容を整理しようとブツブツ独り言を言いながら、歩く。この様子を傍から見れば少し怖いかもしれない。
「で、振り返った天野のライトが、」
ここで私まで振り返る必要はなかった。ただ、少し探偵気分になっていたかもしれない。そんなことしなければよかった。……しめ縄の位置がおかしい。鳥居の下にあったはずのしめ縄が、今や自分の足元にあった。革靴に引っ掛かっていたわけではない。そんな感覚はなかった。
これは違う。幽霊じゃない。そうだ考えことをしていたんだ。蹴とばしたか引きずったかしていたことに気づいていなかっただけだ。理由として成立している。
「そう、こういった選択的注意に左右されないこの結論が」
とここまで呟いて、自分のやっていることも選択的注意ではないかと考える。無理くり過ぎな説明ではないか、この説明で説得できるか、やめだやめ。このままでは幽霊がいることになってしまう。それは一番避けるべき結論だ。
「あ、あ、天野」
我ながらひどい怯え方である。しかし一人は心細く、今すぐ天野に話を聞いてほしかった。駆け足で御神木に向かう。二十秒もしないうちに御神木が見え始め、その根元に天野が立っていることを確認した。
「よかった。天野、この廃神社ちょっと怖いから明るいうちに出直さないか? いや別にさっきの現象で怯えている訳じゃないんだ」
「あ……ああ、そう」
天野は容量を得ない返事をする。話を聞いていないような素振りで、しきりに手持ちライトで御神木を照らしていた。彼には彼の仕事があるんだろう。それでもこの場からは一刻も早く離れたい。何とか説得しようと口を開こうとすると、それに被せて天野が呟いた。
「なあ、なんでもかんでも否定できるウンチクはあるか?」
「……独我論なら無理やり」
「じゃあ、お前が死んでるっていう状況の説明はできるのか」
は? とだけ呟いた。会話の意味が理解できず思考が停止する。天野が照らすライトの先、ここからでは見えないが微かに誰かの足先が見えた。泥で汚れた革靴、深紺のスラックスがご神木の中央当たりから天に向かって伸びている。震える足を前に進め天野の隣まで向かう。右手で天野を押しのけようとするが、その手が空を切った。
手持ちライトを御神木に沿わせて下から上へと這わせていくと、革靴、スラックスと順に見え、カッターシャツ、そして顔が見える。脱力しきったその顔は、穴という穴から謎の液体を垂らしていた。首元に食い込む縄がギシギシと音を立てている。
……その顔は自分ではなかった。ああ、よかったとホッとしたのも束の間、その顔に見覚えがあった。……天野? 深紺にみえたスラックスは、深緑が垂れ流される体液によって変色していただけに過ぎなかった。
「なあ、こいつ天」
天野に向かって話しかけようと振り向くが、そこには誰もいない。
汗が冷えはじめているのか、首元に鳥肌が立つ。無音。最初から私は一人だったのだろうか。いや、天野はいたはずだ。いたはずなんだ。
おぼつかない足で歩き出す。全身ががくがくと震え始めまっすぐ歩けない。崩れかけの石灯籠に手をかけながら、体を引っ張るように鳥居へと向かう。大丈夫、大丈夫。鳥居から出て、石橋を渡り、深呼吸して警察に連絡だ。何も怖いことは起こっていない。説明できる。落ち着けば頭が冴えてくるはずだ。そうすれば妙案が……。
鳥居をくぐるころにはふらつきながらも前へ歩けるようになっていた。一歩一歩踏みしめるように石橋へ向かう。大丈夫ここまでくれば……。
石橋は滑りやすかった。ふらつく足腰では踏ん張りがきかず、橋の上にへたっと倒れこむ。持っていたライトが手を離れ、水面を映し出した。
石橋にへたれこんだ自分が映る。その顔は天野だった。
「あれ……、俺って」
グレア現象、選択的注意、独我論、ウンチクばっかりの天野にウンチクばっかりの……。
「納品できなければ未来はない……」
未来のない私はどうした?
軽佻浮薄。逃げ道は一つしかなかった。
寝違えた首がズキズキと痛み出した。
ただ、一夜の怪談蒐集 霧中模糊 @mikagirukagiri
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