没落王太子と婚約破棄令嬢(3)私生児疑惑

 この物語を読んでいる読者諸氏は、シャルル七世の出生に関するおぞましい話を聞いたことがあるだろうか。


「私は、王家の血統ではないかもしれない」


 できればマリー・ダンジューの耳を汚したくない。

 だが、すべての事情と本音を打ち明けなければ、マリーは引き下がらないだろう。


「母が……、私を産んだ張本人が『王太子シャルルは王の実子ではない』と告白している。その話が事実なら、私は王太子どころか王子ですらない。父親不詳の私生児ということになる」


 王侯貴族から平民に至る序列とは別に、信仰を重視する世界で「父親の血筋」はとても重視される。


 正式な婚姻関係にある夫婦の子を「嫡子ちゃくし」。

 婚姻関係ではない男女の子を「庶子しょし」。

 そして、父親に認知されていない、または父親不明の子を「私生児」という。


 私生児は父親の血統が定かではない。

 両親が結ばれるときも、誕生するときも、神の祝福を受けていないと見なされる。財産を相続する権利も、商業ギルドに登録する資格さえない。

 私生児が生きる術はどこにもなかった。

 行き着くところは、この世の最下層——物乞いか娼婦か野盗である。


 私生児は、哀れみと蔑みの対象だった。

 王国の最高位たる「王太子の私生児疑惑」は人々の下卑た好奇心を掻き立てた。


「王太子だ、次期国王だと持ち上げておきながら、肝心の父は私のことを覚えていなかった。実子ではないと考えれば、父のあの振る舞いも腑に落ちる」


 父が私を覚えていないことも、幼少期から冷遇され、宮廷から遠ざけられていたことも、「覚えのない子」だったからではないのか。


「父王の子でないなら、私は王位継承どころか1リーブルたりとも相続権はない。廃嫡されても仕方がないじゃないか……!」


 ある教区の司祭は、ミサで王太子の出生疑惑を取り上げて、「父から忘れられ、母からも憎まれ、誰からも愛されない愚かな息子に、神は王冠も祝福も与えないだろう」と断言した。

 また別の話によると、フランス王家の血を引く者は、体のどこかに王家の紋章フルール・ド・リスの痣があるのだそうだ。

 王位継承者だと証明したいならば、人前で裸になって見せてみろという。

 自分を見せ物にするような挑発には乗らなかったが、平常心で聞き流せるほど図太くもない。

 入浴や着替えのときに、それらしい痣やほくろがないか必死に探した。


「残念だけど、見つけられなかった」


 耳を塞ぎたくなるような、「私生児疑惑の王太子」を面白おかしく中傷する与太話がごまんとあった。

 言わないだけで、マリーの耳にも届いているはずだ。


「いいかい、マリー。私生児かもしれない廃嫡王太子と結婚すれば、アンジュー公令嬢の名誉に傷がつく」


 疑惑の王太子として、私は身の程をわきまえて身を引くべきだ。

 高貴なる令嬢がけがらわしい私生児と結婚したと、好奇の目にさらされる事態を避けたかった。

 もうこれ以上関わってはいけない。甘えてはいけないのだ。



***



 出生にまつわる恥ずべき話を、ひと息に話した。

 震えを止めようと強く握りすぎて白くなったこぶしに、マリーの手が重ねられた。


「わたくしはそのような話を信じていません」


 少し涙ぐんでいたが、やがて静かに語り始めた。


「殿下が迎えに来る日を待っていたのは、わたくしだけではありません。弟たちもシャルル兄様の再訪を楽しみにしていました。幼い子どもは驚くほど無垢で、貴族の称号も血筋の良し悪しもわからないけれど、本心から兄様に懐いてた。アンジュー家の者は、間違いなくシャルル兄様を愛していましたよ」


 それは痛いほど知っている。

 アンジューで過ごした四年間は愛情に包まれていた。私は幸せだった。


「わたくしは王太子殿下をお慕いしています。繊細なお人柄も、それゆえのご心痛も心得ています。近くでずっと見てきましたもの。だからこそ」


 マリーはきっぱりと、「殿下をおとしめる話に耳を貸すつもりはございません」と言い切った。

 返す言葉が見つからず呆然としていると、「それとも、殿下はわたくしのことがお嫌い?」と問われ、私は慌てて首を横に振った。


「不幸にも、国王陛下はお心を病んでしまわれたと聞いています。ですが、お人柄を慕って『親愛王』と呼ぶ者もいると聞きます。きっと王太子殿下と同じように、陛下も優しくて繊細なご気性だったのでしょう」

「私と同じように……?」

「わたくしから見て、殿下は父君に似ていらっしゃると思います」


 アンジュー公妃ヨランド・ダラゴンはしたたかな貴婦人だと言われている。

 娘のマリーはそれほど目立たないが、母譲りの聡明さと柔和な物腰を身につけたしなやかな令嬢だった。柔らかくて簡単に手折れそうなのに、決して曲がらない強さがあった。


 マリー・ダンジューの存在は、私の悲観的な苦悩をだいぶ和らげてくれた。

 その一方で、もうひとつの不安が頭をもたげる。


(もし、私の神経質な気性が父譲りだとしたら)


 私もいつかあの父のように正気を失うのだろうか、と。

 父の子であってもそうでなくても、出生にまつわる苦悩は生涯消えることはないのだ。


 悩みは尽きないが、少なくともマリーに対する私の心はほぐれかけていた。

 複雑に絡まっていた心の根っこがゆっくりと解れていくのを待つように、マリーは穏やかな雰囲気をたたえながら無言で見守っていた——が、せっかちな第三者が紛れ込んでいた。


「ああ、じれったい!」


 突如、取り巻きの侍女のひとりが叫んだ。







(※)モントロー橋事件のあと、本編ではリッシュモン視点の第九章に進んだため、王太子(シャルル七世)方面をあまりお伝えしてませんでした。いい機会なのであらためて。

モントロー橋事件〜トロワ条約当時のシャルル七世は16〜17歳。高校生くらいの少年が、自分ではどうしようもないスキャンダルに巻き込まれて、しかも実母主導で誹謗中傷され、国中で笑い物にされていたら…と考えると、想像を絶する精神的ダメージを負いそうです。

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