没落王太子と婚約破棄令嬢(4)ぱふぱふ

 身分ある王侯貴族が、完全に一人きり、または二人きりになる機会はめったにない。

 どんなときも、世話役と護衛を兼ねた従者——侍従や侍女がそばについている。

 秘密の恋人のもとへ夜這いする時でさえ、いちゃつく主人のすぐ横で明かりを手に持った従者が控えている。黒子に徹しているとはいえ、ムードもプライベートも無いに等しい。


「ああ、じれったい!」


 突如、かたわらで見守っていた取り巻きの侍女が叫んだ。

 一部始終を見られているのは仕方がないとしても、これはルール違反である。

 びくりとして顔を上げると、マリーの肩越しに問題の侍女と目があった。その顔に見覚えがあった。


「もしかして、ルネ?」


 マリー・ダンジューの弟、ルネがそこにいた。

 ルネは女性の名前としても使われるが、ルネ・ダンジューはれっきとした男子である。

 子供の声や体つきは男女差を感じにくい。とはいえ、そろそろ12歳になるはずだ。


「えっと、何してるの?」

「マリー姉様が家出をすると言うから、心配でついてきたんですよ」

「家出したって?!」


 令嬢育ちのマリーがそんな振る舞いをするとは、にわかに信じられない。

 マリーは愛用の羽根付き扇をひろげながら、「まぁ、ルネったら人聞きの悪い……」などと言って、ばつが悪そうに目を逸らした。どうやら家出したというのは本当らしい。


「ねえマリー、アンジューへ領地視察に行く途中だと聞いたんだけど」

「誓って嘘は申してませんわ」

「公妃は、マリーがここに来ていると知っているんだよね?」

「書き置きを残してきました」


(家出じゃないか!)


 私は頭を抱えた。

 いや、あの賢明なアンジュー公妃ヨランド・ダラゴンのことだ。マリーの思い切った行動もすでにお見通しかもしれない。だが、ルネのことは知っているのだろうか。

 それとも、ヨランド自身が「姉についていくように」とルネを諭したのだろうか。


「ぼくはマリー姉様の味方ですからね」


 正体がばれて、もう隠れる必要がないと判断したのだろう。

 ルネは侍女のドレスをはためかせながら、ずかずかと私とマリーの間に割り込んだ。


「ぼくはね、物心がついた時から、マリー姉様とシャルル兄様は大人になったら結婚すると信じていました。別の人を『義兄あに』なんて呼べないし、考えられませんよ!」


 ルネはぷんすかと鼻息を荒げながら、「シャルル兄様以外の人が義兄になったら、悪い小舅になって結婚をぶち壊すかもしれない」などとほのめかした。


「それは脅迫のつもり?」

「シャルル兄様の意気地なし。姉様は待ちくたびれちゃったんです。今さら、他人行儀になれる訳ないじゃないですか!」


 ルネの言い分から推測すると、どこかの良家から縁談が舞い込んだのかもしれない。

 それなら、書き置きを残して家出したというマリーらしくない強硬手段にも説明がつく。

 元婚約者の意志を問い正し、決断を促すために、はるばる会いにきたに違いなかった。


(なんて無茶なことを!)


 治安の悪い昨今である。

 私は「令嬢の軽率な行為」を諌めなければならない立場だが、マリーの健気さに心を打たれたのも事実だった。「公妃のもとへ帰れ」などと言えるわけがない。


(そうは言っても、ルネの扮装はやりすぎだ)


 男が女装したり、女が男装することは、異端者として教会で裁かれる危険がある。

 ルネの振る舞いは、アンジュー家の評判を落とす問題行動だ。


「余興みたいなものですよ」


 ルネは悪びれるどころか、スカートの裾をつかんで見せつけるようにひらひらと回りながら「全然気づきませんでしたね。意外と似合うでしょう?」と言っておどけた。

 私は義兄として、義弟の悪ふざけを咎めなければいけないが、ルネは憎めない子だ。

 マリーとともに数日は滞在するだろうから、その間に礼拝堂で懺悔すればいいかと思い直した。


「やれやれ」

「へへ、シャルル兄様はまじめですねぇ」

「そういえば、さっきマリーが……」

「えっ?」


 最近のルネは少し食べ過ぎでぽっちゃりしてきたと教えてくれた。

 何とはなしに、私は手を伸ばしてルネの腹まわりに触れた。

 ぽよっとした感触と同時に、絹を引き裂くような悲鳴が上がり、私はすぐに手を引っ込めた。


「えっ……」


 真っ赤な顔をしたルネが「信じられない」とつぶやいて、私を見上げていた。


「今、ぱふぱふをしましたね?」

「ぱふぱふ?」

「シャルル兄様のえっち! それとも天然なんですか!」

「えっち……? 天然?」

「こうなったからには責任をとって結婚してもらいますからね、マリー姉様と!」


 無茶苦茶な理屈だが、ルネは何がなんでもマリーと私を結婚させたいらしい。


(ぱふぱふというより、ぽよぽよだったけど)


 マリーとルネの不思議と辛気臭くない健気な振る舞いに、私はすっかり胸を打たれたのだろう。

 ぷっと吹き出すと、本当に久しぶりに大笑いして、そして人目も憚らずに泣いてしまったのだった。







(※)シャルル七世の気の置けない「親友」がデュノワ伯ジャンだとしたら、苦楽を共にすると誓った「盟友」がルネ・ダンジュー。このポジションは生涯変わらなかったらしい。

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