没落王太子と婚約破棄令嬢(2)
マリー・ダンジューとの婚約は一旦解消した。
アニエス・ド・ブルゴーニュと先に婚約していたからという理由だったが、「王太子がブルゴーニュ無怖公を殺した」とあっては、婚約も結婚もありえない。
後を継いだブルゴーニュ公フィリップは、王太子への報復を宣言してイングランドと同盟を結んだ。
表立った戦争も、水面下の謀略も激しくなるばかり。
私は厭戦・厭世的な心境をこじらせていた。
「争いが収まるなら、いっそのこと私の命を差し出してしまおうか」
「変なことを言わないでくださいよ」
「……冗談だよ」
幼なじみで侍従長のジャンにたしなめられて、私は笑ってごまかした。
第一、そんなことは反英・反ブルゴーニュ派の側近たちが許さない。
もし早まったことをしたら、私は拘束され、保護・監視のために幽閉されるだろう。たとえ心が壊れたとしても、必ず生き長らえさせる。
イングランドもブルゴーニュも内通者や暗殺者を送り込んで、私を抹殺しようとしている。
もし、アニエス・ド・ブルゴーニュとの結婚話が進むとしたら、私は初夜の床で殺されると思う。
「祝い」と「呪い」は紙一重だった。安らぎはどこにもない。
***
「先約があるならばと、わたくしなりに筋を通したつもりです」
マリーの声で、現実に引き戻された。
束の間のやさしい現実だ。離れる時は、またつらくなるだろう。
「最初の婚約が無効になったのでしたら、わたくしとの関係を解消する理由はないはずです」
マリーは婚約破棄を受け入れ、一度は身を引いた。
だが、「状況は変わった」と言いたいらしい。
「マリーは婚約を復活したいと望んでいるの?」
「今さら、婚約だなんて……」
それはそうだ。
私もマリーも十代後半だ。婚約ではなく、その先へ——
「わたくしはずっと待っているのに、いつになったら迎えに来てくださるのですか」
私たちはもう結婚すべき年齢に達していた。
だが、私は「婚約を復活させて縁談を進めよう」とは考えなかった。
「情けないけど、パリに帰還するめどが立たない。『迎える』状況ではないんだ」
私は淡々と、理屈っぽく事実を説明した。
王太子になってアンジューを発つとき、私は「落ち着いたら迎えにいく」と告げた。
実際は、落ち着くどころか、事態は悪化の一途を辿るばかり。
「マリーにはすまないと思っている。王太子妃として、心置きなくパリの大聖堂で盛大に迎えてあげたかった」
私たちが結婚したら、フランス王国をめぐる争いにマリーを巻き込むことになる。
アンジュー家は、イングランドやブルゴーニュ公と敵対したと見なされるだろう。
マリーの将来を縛りつけることも、恩義あるアンジュー家に災いをもたらすことも、私の本意ではないのだ。だから「結婚はしない」と決めた。
「見くびらないでください!」
ところが、今回のマリーは引き下がらなかった。
「王太子殿下の重責も、シャルル兄様の不遇な生い立ちもよく知っています。兄様に比べたらわたくしは恵まれているわ。両親に愛されて、何不自由なく育てられてきたもの。でも、これだけは分かって欲しいの」
マリーは、「大切な人が、孤独に苛まれて傷ついていくのを、黙って見過ごすほど愚かじゃない」と畳み掛けるように言った。
「わたくしの『大切な人』が誰か、分かりますか」
「アンジュー公と、公妃と……」
「わざとはぐらかしているの? 父も母も、もちろん弟たちも大切ですけど」
いつの間にか、鼻先がくっつきそうなほど近くにマリーがいた。
滑らかな指先が頬を撫で、甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「わたくしの『大切な人』はね、今ここに、目の前にいらっしゃるのに」
自覚を促すように、鼻先をつんと突かれた。
私たちにしてはめずらしく甘い雰囲気が漂っていたが、恋人や婚約者というより母親が子供を、または姉が弟を優しく諭すようでもあった。
王侯貴族は名誉を、男は力強さを重んじる。
女性からの子供扱いを「侮辱」と受け取る者もいるが、私は嫌じゃなかった。
王太子になって以来、いつも気を張っていたから、誰かに甘えたかったのかもしれない。
「マリー、私だって君のことが……」
大切な人だからこそ——。
余計なことを考えないで、心地よいぬくもりと甘い匂いに浸りたい。
ほだされそうになったが、すんでのところで踏みとどまった。
「私はあなたにふさわしくないと思う」
マリーの優しさを踏みにじるようで気が引けたが、私は冷淡に拒絶した
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