渦をまく夕方3


「その後……どうしたの?」

 一つ布団の中、僕の話を聞き終えた彼女は、静かな声で聴いてきた。

「どうもしないよ。たまに向こうから手紙とか葉書が来たりしたけど、少ししたらそれも来なくなった」

「そうなんだ……」彼女はこちらに寄せていた身体を少し話して呟くように言った。ベッドがキシっと小さく軋む音がした。

「今も、後悔してる?」

「さすがにもうしてないよ。少なくとも、あのときみたいに何もかもどうでもいいやって気持ちになるほど後悔はしてない。やっぱり、時間が解決してくれるものもあるんだなって思う。そうじゃなきゃ、人は生きていけないんだろうね。きっと」

「私も、それはわかるよ」と彼女は、恐る恐るといった様子で僕の手を取って言った。

「小さい時からの記憶がずっとずっと完璧に残ってたなら、たぶん、私はここにいなかったと思う」

「僕も、もしあんな状態を引きずってたら、全然違う方向に進んでただろうね」

「東京に来ることも、私と出会うこともなかった?」

「多分ね」

「じゃあ奇跡だ」

 彼女は笑って、頭の裏に手を入れて仰向けに眠る僕の左肘に頭を乗せてきた。真夏の蒸れた空気にかぐわしい香りが漂う。

「でも、一つだけ、最近思い出すんだ」

「え?」

 あの時、怒りのせいですぐに忘れてしまった違和感のことだ。落ち着いて過去を見つめることができるようになってから、そのときの違和感が頭に蘇ったのだ。

「あのとき、渚が石段を上ってきた時、渚の上着の色が少し変だったんだけど」

 最後に会ったとき彼女は、薄青い長袖を着ていた。見覚えはあったけれど、何かおかしいと思った、あの長袖。その時は怒りに、その後は後悔に気が回っていて忘れていたけれど、僕は気付いていたんだ。その正体に。

「隣に座ってたとき、タグが見えたんだよ。逆だったんだ。渚の服は」

「うん。……うん? それが?」

「いや、もしかしたらだけどさ、って。他の記憶は色落ちしてくのに、突然、それだけ思い出したんだよ」

「……」

「だったら、尚更、ちゃんと話せばよかったなって思ったりするんだ」

「渚さんのことが、好きだったんだね」彼女は珍しくジェラシーのこもった声音で言った。

「どうなんだろう。もう今となってはわからないけど、普通の友だち以上に思ってたのは間違いない」

「そう……」

 溜息を吐いた彼女は、瞬間、僕の身体に腕を回してきた。

「そんな風にしなくてもどこにも行かないって」

 そう言って聞かせたが、彼女は首を振るだけだった。その背を、苦笑気味に僕は撫でる。

 やがて、彼女が眠りについた後で、僕は瞳を閉じた。

 けれど、フラッシュバックしてしまったあの日の夕方の景色のせいで、うまく眠れなかった。

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【解釈】渦をまく夕方 蓬葉 yomoginoha @houtamiyasina

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