魔女は花が好きだった

工藤 みやび

魔女は花が好きだった

 大陸の西には広大な領地を有する王国がある。農耕に向いた豊かな大地、暖かな海に面した海岸線、人々で賑わう王都。女神に祝福されているかのような国だった。

 春先、とある旅商人がその国に辿り着いた。とても素晴らしい国で、人々どころか動物さえも笑みを浮かべているような国であると聞いていたので、旅商人も期待していた。

 しかし、王都に到着した旅商人が目にしたのは、静まり返った大通りだった。日頃は賑やかなのであろう市場も、今は屋台が畳まれており、表を歩く人の姿すら滅多に見受けられない。

 どうしてこんなに静かなのか。数少ない通行人に、旅商人は話を聞いてみた。

 今朝、この国の魔女が死んだのさ。と通行人は応えた。年若い青年だった。


 魔女は王とともにある。ともにあるけれど、城に住んでいるわけじゃない。ただ、とても懇意にしていたらしい。男女の関係だったかは知らんがな。

 魔女がどうして死んだのか? さあ。直接の死因はわからない。でも、自殺だとは聞いている。


 あまり穏やかでない話だ。旅商人が礼を言うと、通行人はさっさと歩いて行った。急いでいたのかもしれないし、不気味なほど静まり返った通りにいたくなかったのかもしれない。

 魔女というのは、旅商人が今まで見てきた国にも存在していた。迫害されていたり、はたまた尊敬されていたり、国によって扱いは様々だが、一様に何かしらの不思議な力と縁がある存在だった。しかし、これほどまでに魔女を要人として扱う国には、訪れたことがなかった。

 旅商人はひとまず今日の宿を探して、通りを端から端まで歩いた。すると、城の門に程近いところに、一軒の小さな宿屋があるのを発見した。漆喰の壁は少し黄ばんでいたが、それなりに綺麗なところだった。

 一晩泊めてくれないだろうか。玄関をくぐった旅商人は宿屋の店主に尋ねた。

 えらいときに来てしまったもんだね。と宿屋の主人は返した。太った中年の男だった。


 王室関係者が悲しげに触れ回っているから国民もなんとなく落ち込んじゃいるがな、はっきりいってあの魔女は不気味だった。魔女だけじゃなく、王様自身も不気味な存在だ。まず、ふたりとも年を取らない。だから王様はずっとこの国の王様だ。在位してから何年たったかもわからない。ただ、その間、ずっとあの魔女を自分のそばに置いていたことだけわかっている。置いていたって言っても、あの魔女さんは少し離れた森に住んでいたんだけどな。

 まあ、とんでもなく賢王だからな。別に不死身なのはいいんだ。ずっと治めていてくれるんなら、それでいい。


 今喋ったことは内緒にしておいてくれよ。宿屋の主人がそういうので、旅商人はわかったと返し、ついでに教えてくれたことへの謝辞を示した。

 旅商人はその晩、旅の疲れを癒すため、泥のように眠った。

 翌朝、目が覚めた旅商人は、荷物をまとめて宿を出発すると、城の門へと歩いて行った。辿り着いて警備の兵士に話しかけるや否や、兵士は疲れ切った顔で、魔女の葬式は今日の夕方からだ、とおざなりな口調で言葉を投げてきた。


 昨日から同じ質問ばかりでな。てっきりあんたもそうなんじゃないかと思って。魔女は確かに不気味がられてはいた。でも王様にとって大事な人物だからな、王様と同じくやんごとない人として扱われてもいたんだ。葬式には大勢の人が来るだろうな。

長く生きてらっしゃる王様だから、自分と同じく長いこと生きてる魔女は、唯一心を許せる友だったらしい。――家族? 王様に家族はいない。死なないならば後継ぎを生む必要がない。つまり結婚する必要がない。王様は孤独な存在だ。あの魔女だけが、ずっとそばにいた。

 ――あぁ、そうだな。王様はとても悲しんでいらっしゃるし、憔悴されてもいる。城の中もばたばたと忙しい。だから、あんた、背中の商品を持って王様に謁見なんかしようと思うなよ。買い物なんかしている場合じゃないんでね。


 やはり、商売人独特の胡散臭い雰囲気はわかってしまうらしい。旅商人は苦笑いすると、背中の革袋から一片の紙に包まれた何かを取り出した。

 それは、不老不死の薬だった。とある東洋の国で、その国の王が焼き捨ててしまおうとしたところを、少しばかり譲ってもらったものだった。

 この国の王は年を取らないというが、魔女が死んでしまったなら、これから寂しくなるだろう。これで新たに死なない友を得るというのは、いかがだろうか。兵士はいかにも怪しいと言いたげな顔で旅商人を見ていた。やはり信じてもらえないか、と旅商人がため息をつきかけたところ、城の門の横にある関係者用の扉が唐突に開いた。

 その話を詳しく聞かせてくれ。そう息巻く男に、兵士は慌てて敬礼した。


 私はこの国の宰相だ。まだ若造だった頃から、王のために身を粉にして働いてきた。その王が、命の危機なのだ。あぁいや、病気というわけではない。ただ、可能性が出てきてしまったという話だ。今までは可能性がなかったのだ。魔女のおかげでな。

 魔女はもともと、生まれつき呪われていたのだ。その呪いというのが、不老の呪いだったのだ。

 魔女はその呪いのせいで、大昔は迫害されていたらしい。誰もが魔女を気味悪がって、見かければ石を投げ、物は売らず、それはひどいことをしていたそうだ。

 ただひとり、かつてこの国の王子だった現王だけが魔女を受け入れた。それがもう何百年も前のことだ。

 王は森の奥でひっそりと暮らしていた魔女のもとへ足繁く通った。ふたりは友になったのだ。そんなある日、王は魔女におっしゃったのだそうだ。

「その呪いを、私にも分けてくれないか」と。

 魔女は大いに戸惑った。できないということはなかったのだ。長く生きている中で、呪いを解く方法はわからなかったが、その呪いを他者にかける術は知っていたのだ。渋る魔女に、王はどうしてもと頼み込んだ。

「私はこの国をより良いものにしたい。そのためには、人並みの寿命では短すぎる。それに、お前がいれば、長く生きるのも悪くない」

 そう言われた魔女は、王に呪いをかけることを承諾した。ただし、それは魔女にかけられた呪いより不完全なものだった。

 呪いをかけた魔女が死ねば、王の呪いは解けてしまう。つまり、王は今、人と同じ時を歩み始めてしまったのだ。王が死んでしまえば、この国はおしまいだ。誰もあの御方の代わりを務められる者などいない。

 そこで現れたのがお前だ。その薬は確かに怪しいが、今は藁にもすがりたい思いなのだ。是が非でも王に会ってもらう。一緒に来なさい。


 宰相は旅商人を城の中へ連れていくと、長い廊下を歩き、いくつもの部屋を通り過ぎた先にある、とても大きな部屋へと導いた。とても静かで、厳かな雰囲気のある部屋だが、空気がやけに冷たく、重く張りつめている。

部屋の中央には棺が置いてあった。その棺に縋りつくようにして俯いている男が、きっと王なのだろう。国の外から来たばかりの旅商人にも、すぐわかった。

 王よ。宰相が入口から呼ぶ。こちらの旅商人が、珍しいものを持って参りました。東洋より仕入れた不老不死の薬とのことです。まず毒見を別の者で済ませてから、是非とも王に召しあがっていただきたく思います。

 王はこちらに背を向けたままだった。泣いているのかもしれないし、そうでないのかもしれない。旅商人はその様子を、やけに凪いだ気持ちで見つめていた。宰相が隣で苛立つのが伝わってくる。彼はきっと、ひたすらにこの国が大切なのだろう。しかし王は背を向けたままだ。


 どうして魔女は自ら命を絶ったのだと思う。


 やがて、本当に小さく、王がふたりに問う声が聞こえた。旅商人が想像していたよりずっと若い声だ。宰相は面喰らったように目を見開くと、少し考えて、何事かがあってこの世が嫌になったのでしょう。と答えた。自分が死ねば王の呪いが解けてしまうというのに――無責任ではないかと、私は思います。忌憚のない意見だ。こういう意見をはっきりと言い合えるのは、王と宰相の関係がそれなりにいいからだろう。と旅商人は考えた。やはり良い国なのだ、ここは。

 王はゆっくりと振り返った。とても若い見目をしている。見目相応の年の頃に、魔女の呪いを受けたのだろう。


 魔女は花が好きだった。


 王はぽつりとそんな言葉を落とした。旅商人も宰相も、言葉の意図を汲み取りかねて押し黙った。王は再び魔女に向き直ると、棺の中に手を伸ばした。そして一輪の百合の花を手に取ると、それにじっと見入った。水から離れた百合の花はややしおれてしまっていたが、王はその花を愛おしげに口元に寄せると、なにかを小さな声で呟いた。旅商人にはうまく聞き取れなかったが、なんとなくそれが魔女の名前だったのだろうと予想はついた。


 その日の夕方、魔女の葬式は滞りなく執り行われた。多くの国民が参列し、王国とともにあった魔女の死を悼んだ。

 弔辞を捧げた王は、併せて国民に向けて自らの呪いについて語り、もう自分が不老の存在ではなくなってしまったことを説明した。それに伴い、優秀な世継ぎを育てること、そのために国内外から妃や側室を迎え入れる準備を始めることを宣言し、弔辞を締めくくった。

国民は衝撃を受け、あまりの事態に倒れる者も続出した。果たして弔辞の場面で話すことだったのかはわからないが、きっと王は魔女にもこの決意を聞いていてほしかったのだろう、と旅商人は葬列の後ろの方で思った。

 王は薬を買わなかった。魔女は花が好きだったから。


 これからこの国は忙しくなる。翌朝、旅商人を見送るために城から出てきた宰相が、やや疲れた様子で呟いた。結婚も世継ぎ作りも、この城ではずっと縁がなかったことだ。よりによって私が宰相をやっている間にやることになるとは。王が替われば、うまくいかなくなることも出てくるかもしれない。壁にぶつかったらどうすればいいんだ。

楽しそうじゃないですか、と旅商人は言葉をかけた。慰めではなく、本心から出た言葉だった。宰相は恨めしげな視線を旅商人に向けたが、異国人である旅商人にはどこ吹く風だ。

枯れるまで咲き続けるのがよろしいでしょう。

 旅商人はそう言うと、宰相に背を向けて歩き出した。通りは相変わらず静かだったが、とてもよく晴れていた。

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魔女は花が好きだった 工藤 みやび @kudoh-miyabi

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