16章:暗殺姫

16-1

 人間の怨嗟のなれの果てを前に、アーユイは構えることもなく静かに手を組み、祈りの姿勢を取った。


 瞬間、パキンと涼やかな音が鳴り――、広場中の魔物が、溶けるように白い花びらとなって、空に舞い上がった。


「何!?」


時間を掛けて集めた魔物たちが一瞬で消滅し、タブシルの表情が崩れる。


「これは……浄化……?」


「綺麗……」


木々の茂る広場に花びらが降り注ぐ幻想的な光景は、人々の恐怖を和らげていった。


「うん、良い景色だ」


樹上に風神が座っていることには、誰も気付かない。


「タブシル王子。次の手は?」


アーユイは、堂々と敵の名を呼んだ。タブシルは歯噛みする。


「お前たち!」


王子の指示で、取り巻きの魔術師たちが一斉に杖を構えた。


「僕たちにも見せ場をください、聖女様」


「わかりました。存分にどうぞ」


「そう来なくっちゃ」


アーユイは下がり、代わりに騎士隊が魔術師たちに向かって突進する。まさか魔術師相手に突っ込んでくるとは思っていなかったようで、慌てて火球や風の刃を放つが、それらは全てアーユイの結界が阻んだ。




 やがて、魔術師たちの腕は切り落とされ、杖は折られ、息をしている者は一人もいなくなった。もちろん、騎士隊のほうはほとんど無傷。


「仕方がない。我が直接手を下してやろう。ヘプタ随一の魔術師である我の魔法で死ねること、光栄に思うがいい!」


タブシルはもはや身分を隠すこともなく、腰に差していた杖を抜いた。詠唱もせず先ほどの黒い暴風が吹き荒れ、魔術師の死体もろとも騎士隊が吹き飛ばされる。驕るだけの実力はあるようだった。


「聖女様、逃げてください!」


暗殺姫がこんな奴に負けるわけがないが、聖女の姿でいる以上、白装束を血に染めるわけにはいかない。アーユイの側にいたおかげで暴風を免れたロウエンは、庇うように前に出た。


「私のことは構わずに、吹き飛ばされた隊員の救護を。急を要する者がいたらすぐに治します」


「でも……!」


「大丈夫ですから。信じてください」


「強がるな、小娘! 貴様ら教会の者は攻撃魔法がろくに使えぬことくらい、知っている」


タブシルの言う通り、ピュクシス教の教会員で攻撃魔法が使える者は少ない。


「聖女様……」


一方の聖女は、頼りの炎神を人前で呼ばないという約束をまだ守るつもりでいるようだ。そうなると通常の魔法で対抗することになるが、アーユイが権能や神の祝福以外の魔法を使ったところなんて、ほとんど見たことが――。


「いいからどけ、ロウエン」


アーユイは突然、ぴしゃりと王子を呼び捨てにして押しのけた。


「はいっ」


旅で染みついた反射でぴゃっと飛び退き、場所を譲るロウエン。オリバーは頭に手をやり、やれやれと首を振った。


「……? 何だ?」


急に雰囲気の変わった聖女を、タブシルは警戒する。


「市民も粗方避難してくれました。これで存分にやれる」


そう言うと、アーユイは亜空間から、銀色に光る美しい杖を取り出した。


「私の母は、アールの平民階級の出身なんです」


慈しむようにその杖を撫でると、ヒュッと振って握り具合を確かめる。急に身の上話を始めたアーユイに、タブシルは眉をひそめた。


「そんな母と、エンネア貴族である父が、どうして結婚したのか教えて差し上げましょう」


まるで剣を構えるように、ぴたりとタブシルの鼻先に先端を向けた。


「何の話――」


「負けたのですよ。母に魔法で。牙風ウルフィム


世間話のついでに放たれた突風が、正確にタブシルの鼻を捉えた。


「お返しです」


何の前触れもないアーユイの魔法に防御魔法の展開が間に合わず、大の男が数メートル吹っ飛び、自らが築いた瓦礫に突っ込んだ。


 ゆっくりと歩み寄りながら、アーユイは続ける。


「高いだけの下品な衣装、神がいないなどという虚言、あまつさえ自分が神だと言う傲慢。鼻が曲がりそうなくらい人間臭いくせに、何が神ですか」


神々はアーユイを怖がらせないよう、彼女に合わせて人間のように振る舞っているだけだ。本質には底知れない、触れてはならない怖さと不気味さがある。人はそれを、畏れと呼ぶ。


「呪いには、対価を払って自らの魔術的な能力を強化するものがあると聞いたことがあります。タブシル王子の力も、そうやって手に入れたものなのでしょう?」


ただの魔法一撃で鼻から血を流して震えている青年からは、何一つ畏れる要素は感じられなかった。


「残念ですね。呪いに手を出していなければ、その鼻、治療して差し上げることもできたのに」


柔らかく微笑みながら見下ろすアーユイ。


「魔法なのに、使い方が物理なんだよなあ……」


瓦礫から這い出し、畏怖の表情で聖女を見上げる哀れな敵国の王子を見ながら、ロウエンは後頭部をさすった。

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