15章:聖女誕生式典

15-1

 ロウエンは、王家の居住区の廊下に立っていた。


「あれ? えっ、あっ! もしかして、転移じゃなくて転送!?」


てっきり、来た時と同じようにアーユイの実家に戻るとばかり思っていたのに、油断した。


「……アーユイ……」


まだ残る手の感触は、まるで夢でも見ていたかのようだった。




 すぐにでも伝達でアーユイも戻ってきているか確認しようとしたが、さっきの今ではなんだか気まずく、


「あ、侍女さん? 聖女様は戻ってきていますか?」


悪いと思いながら、リーレイを間に挟んだ。


「ええ、つい先ほど。その様子ですと、フーヤオ様はアールに置きっぱなし、王子は転送で飛ばされたようですね」


察しのいい侍女は、わざと呆れた声色で主の行動を言い当てた。そして、


「お嬢様なら、挨拶も早々にお風呂に入られました」


直接本人に確認しなかったのは、連絡が付かなかったからだと勘違いしてくれたようだった。


「さすが、帰る時間を見計らって湧かしておいてくれたんだね」


「ええ、本日中に帰ると先に連絡がありましたから」


それから一拍置いて、


「とうとう言いやがりましたか?」


「えっ」


リーレイは敬語になっていない丁寧な口調で、唐突に訊ねた。何のことかは聞き返すまでもない。


「……あー、はい、言いました。何かとご協力ありがとう」


父親のレンよりも近いところで、ずっとアーユイを見てきた侍女だ。彼女の些細な心境の変化にも、一瞬で気付いていた。


「お嬢様からの返事はまだなのですね」


「はい、式典が終わるまでお預けです」


「それはそれは。……いい気味です」


ふふ、と小さく笑った声がした。ロウエンがリーレイの笑い声を聞くのは初めてだった。


「僕が式典までそわそわし続ける羽目になったのを、面白がっていますね?」


「そんなことは。それでは、あたしはお嬢様のお休みの準備をしなければなりませんので。ご機嫌麗しゅう、王子」


「あっ、はい……」


通話を切り上げた後、


「いかがです?」


リーレイは、周りに集まってきていた使用人たちを振り返った。


「悪くない」


「及第点」


「容姿と家柄はこの上ありませんし」


「上手くお嬢様の尻に敷かれてくれそう」


王子の印象は、概ね好評だった。


「……お前たち、一応、我々の本来の主ですよ。聞こえていなくても言葉に気をつけなさい」


諫めたのは、家令のキールだった。


「我々の主はレン様とアーユイお嬢様ですよ」


一人が言い、うんうんと口々に頷く。アインビルドの使用人たちはいずれも元孤児やあぶれ者ばかりだ。拾って安心できる住処を与え、真っ当とは言い難いが人として更生させてくれたレンや、兄弟のように育ったアーユイのためにならどんなことでもする覚悟があるが、その更に上層にはあまり興味がなかった。忠誠を誓った人がたまたま王家に忠誠を誓っているから、従うだけだ。


「……まあ、私もそうですが」


「キールさんは、どう思います? ロウエン王子のこと」


キールからしてみれば、アーユイは孫同然だ。うーん、と顔をしかめた家令に、使用人たちは首を傾げる。


「あまり良い印象ではない?」


「いいえ。お嬢様も憎からず思っておられるようですし、馬の骨に攫われるくらいならとは思います。しかし……」


腕を組むキール。


「アーユイお嬢様が王子妃になられたら、アインビルドの跡継ぎはどうなるんです?」


「あっ!」


ただお嬢様が幸せであればいいとしか思っていなかった使用人たちは、顔を見合わせた。


*****


 アーユイが王子の申し入れにすぐに返事をしなかったのも、跡継ぎの懸念があったからだ。


 本来なら、同じ暗部に属する家柄の次男三男辺りと縁談を組み、婿入りしてもらうのが正しい。だが、アーユイは聖女になってしまった。誰と婚姻を結んだところで必ず噂になり、どんな家柄の奴かと隅々まで調べられ、監視されてしまうだろう。

 かと言って、王子をアインビルド家に婿入りさせることはできない。ロウエン自身がそれをよしとしても、世間が許さない。




 「というわけなんですよ」


久しぶりに呼ばれた真っ白な部屋で、アーユイはあろうことか、神に人生相談をしていた。


「まあ、見ていたから知っているけれど。ロウエンくんも、よりによって教会の聖堂で告白するなんて大胆ね。私がガチ恋禁止勢だったら雷に打たれてたところよ?」


「ガチこい……?」


神は時々アーユイの知らない単語を使う。


「だって、同志だって本人にも言ってたじゃありませんか。見守ってもらいたかったんじゃないですか?」


ピュクシスの隣でにこにこと話を聞いていた別の女神が、笑いながら口を挟んだ。


「そういえば、教えによっては自由な婚姻が許されない場合もありますよね」


幸いにもピュクシス教は違うが、中には神官や巫女は生涯独身でいなければならないという宗教もある。


「そうね、そういう神もいるわね」


「そういう神も? 神様って、そんなにたくさんいらっしゃるのですか」


「そうよ。私が直接任せたのは、このテリトワを含めた四柱だけど」


土神テリトワは、茶色がかった豊かな黒髪と、もっちりとした豊満な身体を持つ女神だった。


「好きに管理していいって言われたから、私たちも部下を作ったんですよ」


ころころと朗らかに笑うテリトワ。


「そうそう、忘れてました。土神テリトワ、ピュクシス神の愛し子に土の祝福を授けます。フィーゴくんみたいに、いつでも呼んでくださいね」


テリトワはおっとりとした口調でそう言い、ふくよかな柔らかい手でアーユイの手を包んだ。


「ありがとうございます」


「最上位の四柱の祝福があれば、下位の神が逆らうことはないわよ!」


つまり、アーユイは世界中のありとあらゆる神の祝福を受けることができるということだ。


「アーユイちゃん。さっきの話、アーユイちゃんは、どうしたいんですか?」


「私ですか?」


「うん。家の跡継ぎのこととか、ロウエンくんの家柄のこととか、心配なのはわかります。でも、周りの人のことばかりで、アーユイちゃん自身の気持ちがないがしろになってません?」


ふわふわとした笑顔から感じられるのは母性。母なる大地の力だった。


「そうよそうよ。アーユイちゃんのそういうところも好きだけど、もっとわがままになっていいと思うわ!」


ピュクシスも賛同した。


「私が加護を与えたせいで余計な苦労をかけちゃったかもしれないけど、解決策は思ってるよりもたくさんあるんだからね。とりあえず心配事は置いておいて、まずは自分の気持ちを優先してほしいなっ」


「自分の気持ちですか……」


顎に指を添えてしばし悩み、唸り、


「……まあ、期限までもう少し時間がありますから、ゆっくり考えます。そうだ、今日はもう一つ聞きたいことがあったんです」


アーユイは一旦、思考を放棄した。

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