10-3

 どの部署も頑固な汚れに苦労していたようで、ほとんど二つ返事の許可が下り、ささやかに聖女の城内浄化ツアーが開催された。


 まずは第一上級騎士隊、そして第三上級騎士隊。第二ほどの慣れ慣れしさはないものの、可憐な白装束の聖女はほどほどに歓迎された。


 それから厨房、最後に洗濯場。事前に聞いていたとは言え、聖女が裏方に現れることに使用人たちも最初は緊張している様子だった。が、見違えるように綺麗になった服や器具を見て、恐れよりも感動が先に出たようだ。定期的に来て欲しいと懇願された。



 もちろん、そんな聖女の動きに好意的な者ばかりではない。


「あら、ごきげんよう聖女様。最近お掃除屋さんに転職なさったと聞きましたけれど、いかがお過ごしかしら」


誰だっけ、とアーユイは内心で首を傾げた。茶色の巻き毛に豪華なドレス。推定年齢と衣装の形から、成人前の未婚の令嬢だ。


「ごきげんよう。ええ、やはり綺麗になると気持ちがいいですね。浄化の力を授けてくださった神に感謝しなくては」


ダメだ、どこかで聞いた声のような気がするが、姿が記憶に該当しない。とりあえずこんなところで堂々と話しかけて来るからには、貴族の身分的には格上に違いないと、丁寧にお辞儀をした。皮肉が効かなかったことで、どこかの姫はむっとする。


「お父上が伯爵になられたのでしょ。人気取りなのか知りませんけれど、使用人に媚びを売るなんて浅ましいこと、ご身分に似合わないのではなくて?」


「父は父です。私の身分は今教会預かりとなって、貴族ですらありません。お嬢様こそ、そのような者にご挨拶などなさらないほうがよろしいのでは」


ヴェールで表情すらわからない、得体の知れない女に淡々と言い返され、どこかのご令嬢はフンとそっぽを向いて離れていった。


「思い出した。あの声、同じ日に大聖堂で聖女の儀を受けた娘じゃないかな」


そうだ、司祭に質問をしていた少女だ。


「それはそれは」


察するに、人生で初めて自分よりも他の女が優先された瞬間だったのだろう。リーレイはただ、可哀想に、と去って行く令嬢の後ろ姿を見送った。


*****


 聖女が隅々まで浄化してくれるという噂を聞きつけ、良かったらうちも、ならばここも、と、最終的には城のほとんどの施設に呼ばれた。アーユイに取っても、いざというときの隠れ場所と転移先が増えた良いツアーだった。


 更に、


「聖女様! 今日はどうされたんですか?」


「ちょっと父の執務室まで」


「見てください、この前浄化してもらったエプロン、前よりも汚れにくくなったんですよ」


「そんな効果が? 興味深いです」


城内でのアーユイの人気は高まるばかりだった。そんなに皆、掃除や洗濯に苦労していたのだろうかとアーユイは思っていたが、実はそれだけではない。


 神に選ばれた少女とはどういうものだろうかと訝しんでいた使用人たちが、実際にアーユイと話してみて、意外と庶民的で親しみやすいということがわかり、気軽に話しかけて来るようになったのだ。



 だがそうなると、逆に気軽に話しかけられなくなった者もいる。


「はあ……」


休憩時間、ロウエンは肩を落としていた。隊員たちも、なんだか元気がない。


「俺たちの聖女様が……」


「この前、第三の奴らが聖女様のヴェールの下が美人だって話してるの、聞いたんだよなあ」


「もう前みたいに修練場には来てくれないのかな……」


「こうなりそうな気がして、本当はあんまり気が進まなかったんだ……」


洗濯ツアー開催前に止めることができなかったロウエンが、再び大きなため息をつく。


「じゃあもっと強く止めてくださいよお。一応王子でしょ」


「一応ってねえ。……本人が乗り気なのに、止められないよ」


彼女は自由に動いている時が一番美しい。今も不自由を強いているが、その中でもできる限り好きなように振る舞ってほしかった。


「どうしたんだ。みんなしてため息なんかついて」


「聖女様に会いたいなって、言ってたとこ」


「私に? 何か用だったのか?」


「え?」


惰性で喋っていたロウエンは、はたと気がつき顔を上げた。


「せい……じゃないや、侍女さん!」


逆光と目深に被った制帽で顔が見えづらいが、隊員たちが待ち望んだ男装の麗人が立っていた。


「どうしたの、その格好」


慌てて立ち上がるロウエン。今度はアーユイが見上げる番だった。彼女が着ているのは、上級騎士隊の練習着だ。


「父に頼んで、融通してもらったんだ。いい加減、身体が鈍ってしまうからって。私も混ぜてくれ」


確かにこの姿で騎士隊に混ざっていても、人数を数える者がいるわけでもなく、隊員は全員グルだ。気付かれることはまずない。


「本物の侍女さんは?」


「私の格好をして部屋で寝てる。私と交代になるけど、たまに彼女も参加させていいかな」


「もちろん」


「ありがとう。よろしく」


ふふ、といたずらっぽく笑うアーユイを、隊員たちは大変喜んで歓迎した。

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