10章:城内大掃除
10-1
目を覚ますと、目の前に顔があった。深海を思わせる底の見えない濃紺の瞳、そして髪は、常に形を変え続ける青く透き通った水。
「……おお」
あまりにも近かったのでさすがに数歩下がったが、
「……本当。全然驚かない……」
美女も、くるりと宙を泳いで距離を取った。その下半身は、魚の尾びれのように先細り、髪同様に透き通る水で形作られていた。
「アーユイちゃん! いらっしゃい」
その先には、後ろで手を組んでうふふと笑うピュクシスがいた。
ぽつりぽつりと話す水神の声は、湖面に落ちる水滴のように静かに辺りに染み渡る。
「……水神タラッタ。ピュクシス神の愛し子に、水の祝福を授ける……」
表情が全くないが、祝福されたということは少なくとも嫌われてはいないらしい。
「ごめんねえ、この子愛想が悪くって」
後ろから、じ、と見つめていたタラッタを飼い猫のように引き寄せると、膝の上に乗せた。すると、タラッタはそれに合わせて子供くらいのサイズになった。それを見て、
「あ」
アーユイは小さく漏らした。
「タラッタ様、前に一度お会いしたことがありますか? 曾祖母の家で」
すると、こくりと頷く。
「あら、そうなの? 早く言ってよ」
アーユイが物心つくかどうかという幼少の頃だ。一度だけ、曾祖母の葬儀のために出向いた南の地で、青い不思議な少女に遊んでもらった記憶が突然蘇った。
「そういえば、アーユイちゃんには水の巫女の血が入ってるんだったわね。じゃあ、水の魔法でできることはわかっているかしら?」
「少しだけ。水を生み出したり操ったりする以外に、聖属性とは別の浄化魔法がありますよね」
「ええ。水の浄化は、お洗濯にも使えるわよ! 旅の途中で不便してたでしょ」
「本当ですか。助かります」
とうとうシミ抜きの魔法を手に入れた。リーレイが喜ぶことだろう。実験がてら、第二の隊員たちの練習着を洗濯しに行くか、などと企てていたが、ふと思い出して訊いてみる。
「浄化と言えば、ピュクシス様。呪いについてお訊ねしたかったのです」
「ああ、レンくんの部屋にあった、栞の件ね?」
レンくんて。しかしアーユイは突っ込まない。ピュクシス神は頬に手を当て、少し困ったように首を傾げた。
「呪い、呪いねえ。あれは少し、私の想定外のものなのよね」
「想定外?」
「怨嗟の感情を作ったのはもちろん私だし、そこから魔物が生まれるようにしたのも私だけれど」
魔物は神に逆らう咎であるとする、ピュクシス教の教義を揺るがすような事実だった。
「ただ、呪いは、魔物が生まれる仕組みを利用して、人間が作ったものだから」
「……つまり……。人工の魔物?」
「理解が早いわね! 時々そうやって神に挑戦しようとするところ、面白いわよね」
面白いで済ませていいのだろうか、とアーユイは苦笑した。
「呪いを使役した者は、治癒や浄化が効かなくなると聞きましたが、本当ですか」
「ええ、挑戦者に慈悲は必要ないでしょ?」
「なるほど」
反逆者に罰をとか、神の怒りを買ったとか、そういうことではないようだ。にやにやと笑っているところを見ると、やはり人ならざるものなのだなとアーユイは感じた。
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