9-4

 清廉で規則正しい聖女を夜に訪ねて来る者はさすがにいないが、アーユイは念のためにリーレイと入れ替わった後、転移の魔法で帰還した。


 実家の様子は、特に変わり映えしなかった。即ち、恙なくアインビルドの仕事がこなされているということである。


「お嬢様、お帰りなさい」


転移魔法を使えることは、いつかの賊を牢に送った時に家の者たちに知らせてある。よく教育された使用人たちは、アーユイが突然自室の内側から現れても、誰も驚いた様子は見せなかった。


「ただいま。みんな元気にしてる?」


父が何も言わないということは問題は起きていないということだが、昨日まで元気だった部下と二度と会えないこともざらにある。念のための確認だった。


「お嬢様がお城に行かれてから、欠けた者はおりませんよ」


レンの父の代からアインビルドに仕え、家令を務める初老の男キールは、淡々と答えた。


「何よりだ。父上は?」


「お風呂に入っておられます。お食事はどうされますか?」


「城で食べてきたから、少しつまめるものと飲み物を」


「畏まりました」


仕事帰りと何も変わらない会話をして、父が風呂から上がってくるまで何をしていようかとしばし考え、


「そうだ。リーレイにも何か土産がいるな」


「でしたら、何か甘い物がいいですね」


自分以上に不便を強いられている少女も労ってやらねばと思い立った。


「甘いものか……。そうだ、あれがいい。母上が時々作っていたあれ」


「あれですか。申し訳ございません、今は材料を切らしていて……」


「そうか、食べる人間がいなかったから仕方ない。取りに来るから、発注しておいてくれ。届き次第、城の厨房を借りて私が作る」

「承知しました」


キールは一礼すると、速やかに厨房に消えた。


「せっかく帰ってきたし、暇を潰せそうなものを持ち込むかな……」


着替え、本、ボードゲーム、酒とつまみ、馴染みの武器、とあちらこちらから亜空間に物を放り込み、


「フィーゴ神のおかげで自由に火が扱えることだし、いっそ第二の隊員たちを誘って、修練場で鍋でもするか」


などと悪巧みをしていると、レンが風呂から上がってきた。


「お疲れ様です、父上」


当然のように城から脱走している娘に、レンは諦めたようにため息をついた。


*****


 気を取り直したレンは、淡々と情報を共有するに徹する。


「火元は、貴族街の西にあるビラール家の息子だ」


「ビラール家……。名前からすると、ヘプタの血が入っていますか?」


「ああ。先の大戦でエンネアに付いて戦果を上げて、爵位を賜った男爵家だ」


「シーラから帰還する際に襲撃してきた賊も、ヘプタ系でしたね」


「どこかで繋がりはあるだろうな。口は割らないが」


つまり、ビラール家はかなり長い時間をかけてエンネアに取り入った、ヘプタのスパイということだろうか。


「良い忠誠心です」


アーユイは、敵を素直に褒める。呆れられることもあるが、おかげで敵の実力や思惑を見誤らないのだ。


「近々、ヘプタからも聖女を拝みに使者が来るでしょう。それとなく探りを入れてみます」


「来るか? ヘプタは確か、皇帝を現人神あらひとがみとして奉っていただろう?」


聖女に謁見などしたら、別の神の存在を認めてしまうことになる。しかしアーユイは、自信満々に頷いた。


「皇帝本人は来ないでしょうが、きっとそれなりの立場の人間が、身分を偽って内密に来ますよ。もしかしたら、そのビラール家の人間が来るかもしれません。他国が手に入れた強力な最新兵器の情報は、なるべく早めに正確に把握しておきたいはずですから」


「兵器……」


聖女の権能をそういう目線で見れば、アーユイの言うとおり、戦場に一人投入するだけで戦局を引っくり返す兵器と言えるだろう。


 ――他国を警戒させて攻め入ることを躊躇わせ、いざ開戦しても即座に終わらせることができるという意味では、聖女は正しく平和の使者かもしれない。他人事のように暢気にワインを手酌するアーユイを、レンは複雑な思いで眺めるしかなかった。

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