9-3
数日後、知らせを受けたアーユイが執務室を訊ねると、レンはやっぱり来たか、と言いたげな顔をした。
「父上。呪いの栞の出所がわかったそうですね」
わざわざ事情を知るオリバーを護衛に付けているところを見ても、込み入った話をするつもりである。
「……いいからお前は、聖女の仕事をしてろ」
財務の書類に素早く目を通しサインをしながら、レンはため息をついた。
「たまには家の任務もこなしていないと、勘が鈍ります」
シーラから戻ってきた後、当然と言えば当然だが、一度もアインビルドの仕事をしていない。家臣たちは優秀だが、負担になっていやしないかと、少し心配もあった。
「……」
勘が鈍ると言った娘に、レンは複雑そうな表情をした。
「お前はそれでいいのか」
「え?」
アインビルドの人間は表向きには淡白だが、皆アーユイのことを大事に思い、気に掛けていた。
特にレンは、家業の都合でアーユイが学校にも通えず、同年代の友人も作れず、普通の子供とは全く違う生活を送らなければならないことへの申し訳なさ、後ろめたさをずっと抱えていた。
「……せっかく、堂々と表舞台に立てる身分になったんだ。わざわざ面倒ごとにすすんで首を突っ込む必要は、もうないんだぞ」
正直なところ、アーユイが聖女に選ばれた時、レンは少しだけ心が軽くなったのだ。これでこの娘は、王国の影という鎖から解放されると。
しかし、
「私には呪いが効きませんし、聖女の立場からの情報収集も可能です。探るには適任でしょう」
あっさりとアーユイは言った。術者にとって、聖女の体質と一瞬で呪いを解く力は、正に天敵と言える。
「適材適所がアインビルドのやり方では?」
「そういう問題じゃない。やりたくないことは、やらなくていいと言ってるんだ」
絞り出すようなレンの声を聴いて、しばし黙っていたアーユイは、大きくため息を吐いた。
「……父上は、自分の娘のことを何もわかっていませんね」
「なんだと?」
「私がいつ、家の仕事をやりたくないと言いましたか」
「言わなくても、普通はこんな仕事、誰もやりたがらないだろう」
常に命の危険に晒され、送り出した部下と二度と会えないこともある。妻のユイファだって、アインビルドに嫁ぎさえしなければ、もっと長生きできたはずだ。アーユイにも、家業だからと無理をさせているのではないかと、常々思っていた。
「そりゃそうです。でも、誰かがやらなくてはいけない」
腰に手を当て、椅子に座る父を見下ろし、堂々と見据えるアーユイ。
「どうせやるなら、成功率はなるべく高いほうがいい。違いますか」
「それはまあ、その通りなんだが……」
淡々と言ってのけた後、アーユイはふ、と微笑んだ。
「安心してください、父上。家のことが嫌だったら、とっくに逃げ出していますよ。去年の父上の誕生日、私の変装を見破れなかったことをお忘れですか」
任務の中で、アーユイは一般的な貴族の生活も、庶民の生活も知った。加えて彼女のスキルがあれば、山で隠遁することも、任務中に命を落としたように偽装することもできる。世間知らずで選択肢がないわけでも、家の教えに洗脳されているわけでもないのだ。
「普通の生活とやらに憧れたこともありましたが、今は、王国の影という肩書きに誇りを持って仕事をしています。家業を継いだのは私の意思です」
演説にも似た娘の言葉に、レンは珍しくぽかんと口を開けて、呆気に取られていた。そして、アーユイの背後から聞こえた豪快な笑い声で我に返った。
「騎士隊の剣聖と呼ばれた男も、娘の前じゃ形無しだなあ! 腕も鈍ってるんじゃないか? 今なら俺も勝てるかもしれん」
「オリバー!」
「剣聖? その話、詳しく聞かせてください」
「ただの昔話だ、やめろ!」
「それでは父上、今夜帰宅しますので詳細はその時に。オリバー様、この後私の部屋でお茶でもいかがです?」
「聖女様のお誘いとあらば、断るわけにはいきませんなあ。じゃあな、レン。キリキリ働けよ」
「おい、待――」
引き留める声も虚しく、重厚な扉はオリバーによって大きめの音を立てて閉められた。
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