9-2

 城の大聖堂は、市民にも解放される日以外は静かなものだ。当代の聖女が現れたことにより聖女の儀を受ける者も来なくなり、更にひっそりとしている。


 では暇になったかというと、そういうわけでもない。


 元々は、王家直属の呪いに関する研究機関だったからだ。呪いの治療に浄化や治癒の魔法が効果があるとわかって、教会から人員を派遣してもらうために交換条件として聖堂を建てたという歴史がある。



 アーユイが大聖堂へ向かうと、人の良い司祭は祭典の会議に駆り出されているとのことだった。代わりに聖堂の管理を任されている助祭たちに簡単に事情を話し、呪いの栞を見せると、ヒッと喉を引きつらせ、慌てて奥の部屋へ案内した。


 奥の部屋にいたのは、一応教会の白装束を着ているが、何故だかそれが医者や研究者の白衣に見えてくる、もっさりとしたメガネの男。


「呪い紙ですか! 早速拝見いたします!」


アーユイの手にある紙切れを見ると、名乗りもせずに嬉しそうに手をわきわきさせた。


「ははあ、古典的な弱体の呪いですね。シンプルであるが故に、仕込みさえできれば効果は高い」


まだ若いがピュクシス教会呪術研究室の室長を務めているという無精ひげは、ルーペを取り出し細部までまじまじと観察した。


「そうなのですか」


アーユイたちは、それが呪いであると判断することと、現場証拠から術者を突き止めることはできるが、種類や効果には詳しくない。


 呪うくらいなら毒を喰らわすし、表向きのアインビルド家は今まで地味すぎて呪うに値しなかったし、裏の顔を知ったところで、所属している人間の中でまともに名前がわかるのは、当主のレンくらいだからだ。


「この呪いのかけられた部屋に数日も籠もっていれば、常人なら寝込んでしまうところなのですが……。もしかして、聖女様の加護はお父上にも適用されるのでしょうか」


そわそわと興味深げにメガネを光らせる男。


「いえ、父は元々、呪いが効きにくい体質なのです。曾祖母……、父の祖母が南の水の巫女の家系で、その影響だと聞いたことがあります」


「なるほど!? 水の巫女と言えば、水神タラッタ様に愛された一族ですからね! 女系の一族と聞いていますが、男性にもその体質は受け継がれると!?」


男が産まれにくい水の巫女の家系は、男性のデータが乏しいらしい。教会の研究者は興奮していた。


「そもそも呪い紙というのは、どうやって作られるのですか?」


鼻息の荒い男に助祭たちや騎士は引いていたが、アーユイは一切気にしない。男のほうもスルーされたことを気にしない。


「作り方としては、魔術式と変わりませんね。特殊なインクと文字で効果や対象を書き、そこに魔力を込める。ただし、この魔力に術者の念が乗るところが、魔法との違いでしょうか」


「念?」


「恨みとか憎しみの念です。それが強ければ強いほど、呪いも強く解きにくくなります。たとえ本人に魔法の才能がほとんどなくても」


故に、弱者が強者を呪うことが多いのだという。


「ただし、もちろんリスクもあります。術者は神に見放されると言われており、実際に治癒や浄化の魔法が効かなくなります。それと、解呪された場合は術者本人に呪いが返ってきます」


解説書を読むように、淡々と言う研究者。


「通常の解呪は時間を掛けてじわじわと行い、術者にもじわじわと返っていくものですが……、聖女様によって一瞬で解かれたとなると、今頃、この呪い紙を仕掛けた人物は大変なことになっているんじゃないですかね」


*****


 本棚に触れた参考人のうち、アーユイが聖女に選ばれた時にレンを取り囲んだ元同僚子爵の一人に会いに行くと、部屋は酷い有様だった。


 悶え苦しんだのか、逃げ惑ったのか。椅子は倒れ、机の上の書類や筆記用具は床に散乱し、水差しとコップは床に落ちて割れていた。


 そして部屋の主はと言うと、


「なるほど。これがアーユイが言っていた、かび臭さか」


本棚から落ちた本に埋まり、首を掻き毟って息絶えていた。その首には、人ならざる何かに絞められたどす黒い痕跡。身体からは、腐臭とも違う妙に煤けた臭いが漂っていた。

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