9章:呪い
9-1
アインビルド家の格上げに伴い、レンの表向きの職務は、取り潰された伯爵が担っていた業務へと移行していた。
紙が舞い、忙しなく常に数人が動き回る事務室から、静かに一人で仕事ができる執務室へ移動したまでは良かったのだが。
「うーん……」
どうにも、この部屋にいると気が滅入るな、とレンは感じていた。
新設される弓兵隊の隊長としてスカウトされたオルキスが
「僕はアインビルドの家臣なので、そういうことはアインビルド伯爵にお訊ねください」
と言い放って面倒を増やしたせいだけではない。
東向きの部屋は書類は多いが窓は大きく、きちんと換気もしているのに、なんだか常に薄暗く、息苦しい気がするのだ。別に、レン自身の体調が悪いわけではない。第二上級騎士隊の訓練のために外に出ると、調子が元に戻るからだ。
ということは、と、顎を指で擦り、その理由に見当を付けて対策を講じることにした。
「父上、お呼びですか」
時間が空いた時でいいから一度執務室に来い、と言ったら、娘は気晴らしだと言って早速のこのこやってきた。そして、
「……この部屋、なんだかかび臭くありませんか」
またしても、開口一番失礼なことを言った。
「かび臭い?」
レンもスンスンと鼻を動かすが、アーユイの言うような臭いは感じられなかった。
「窓は雨の日以外ほとんど開けているし、掃除も定期的に行っているのに……」
そもそも部屋の前の主の件で、無駄にごちゃついていた書類は全て改められ、私財で持ち込まれた調度品などはほとんどが差し押さえとなり、総取り替え。新品の家具ばかりで、かびの元になるようなものはないはずだ。
「うーん……。そうだ!」
アーユイは父親と似た仕草で顎を指で擦り、突然その指をパチンと鳴らした。
途端、室内に爽やかな風が吹き抜けたかと思うと、部屋のどこかからブシャアァァ、とおぞましい音がした。
「あれです、父上!」
言うが早いか、アーユイはつかつかと毛足の長い絨毯に踏み込み、執務机の奥の棚から本を一冊抜いた。速やかにページをめくると、間から一枚の紙切れが舞い、護衛の騎士の足元に落ちた。
「呪い紙ですか」
煤けた栞に記された模様を見て、リーレイがさらりと言った。
呪いと聞いて慌てて長方形の栞から距離を置く騎士とは裏腹に、アーユイは興味深そうに拾い上げる。
「臭いの原因はこれのようです。ピュクシス様謹製の浄化が強すぎて、効果は完全に消えてしまったようですが」
ふんふんと嗅いでみるが、もう部屋のどこからもかびっぽい臭いはしない。
「さっきの、浄化魔法だったのか」
「はい。ピュクシス様から『妙な雰囲気や不快な臭いのする場所にはとりあえず浄化』とお言葉を賜っております」
「……」
神がそんな言い方をするのかとレンは突っ込みかけたが、娘が冗談を言っているようには見えなかった。それにレン自身、不快感が消え去ったことはすぐに実感した。
「呪いの類いだとは思っていたが、そんなところに挟まっていたとは」
「まだ、膿は残っているということですね」
前伯爵派の報復か、レンやアインビルド家への個人的な恨みか。
「その本を置いていった者と、その後に本棚に触れた者は全員覚えている。すぐに当たろう」
「では私は、この栞を解析してもらいにちょっと聖堂まで」
「任せる」
まるで台本でもあるかのように淡々と互いの仕事を振り分ける親子を、護衛の騎士は「自分は何も知らない」と言い聞かせながら眺めていた。
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