1-3

 アインビルド家は目立たないのも仕事のうちだというのに。


 そんな父の嘆きが聞こえてきそうだが、起きてしまったことは仕方がない。


 表向きの仕事中に急遽呼び出され、本当に具合が悪そうな顔をした父と共に、アーユイは王宮の謁見の間にいた。


「アーユイ。本当に、ピュクシス神の声を聴いたと申すのか」


初めて謁見する国王は、高い位置にある王座から威厳たっぷりにそう訊ねた。


「ええと……。はい。声はそのように名乗っておりました」


「声は聞こえませんでしたが、ピュクシス様の像が輝くのを我々も目撃しました。あんな現象は、伝えられる限り初めてのことでございます」


興奮しながら付け加える司祭と、頷く助祭、その他居合わせた兵士たち。もはや言い逃れはできない。


「して、声はなんと?」


「今日は挨拶に来ただけだということと、私に加護をくださるとだけ……」


やたら軽くて賑やかだったとか、余計なことは言わない。信者たちにもイメージというものがある。アーユイは賢かった。


「加護! それはどのような!?」


国王が、身を乗り出して訊ねてくる。


「わかりません。今のところ、身体には何の異変もございませんし」


「なるほど……。まあ良い。急なことで混乱もしておるだろうし、今日のところはレン共々、城でゆっくりして行くが良い」


城なんぞでゆっくりできるか、という言葉は飲み込み、


「ありがとうございます」


アーユイはただ、頭を垂れた。その心にはもはや、面倒くさいことになったぞという気持ちしかなかった。


*****


 社交界にもほとんど顔を出さない病弱な下級貴族の娘が聖女に選ばれたという話は、瞬く間に城中に広まった。

 アーユイは身辺警護や政治その他の観点から一旦エンネスト城に居室を与えられ、部屋の外からは隙あらば聖女の顔を拝もうとする野次馬を、せっせと騎士たちが追い返している音が聞こえる。


「落ち着かない……」

「あたしもです……」


せめて身の回りの世話をする侍女くらいは選ばせてくれと頼んで、午後には実家の使用人であるリーレイが呼び寄せられた。アーユイよりも一つ年下だが、いつも血みどろの服の処理などを任せている、一番信頼のできる少女だ。


「正直、お嬢様ほど警護が必要ない姫は、そういないかと思いますよ」


ざっくばらんな性格で気安い間柄の侍女は、主の能力を的確に把握している。


「うん、まあ、しばらくは大人しくしておくよ……」


アーユイ自身、廊下で警護している兵士くらいなら、気取られる前に全員を絞め落とすことは造作もないと思っていた。


 しかし、ピュクシス教は国内だけでなく世界中に信徒のいる宗教だ。その上、聖女というのは竜と並んでおとぎ話級の生き物。聖女を手に入れた国はその後百年の安泰が約束されると言われ、国家の均衡すら揺るがす存在だ。見張りを殲滅して逃走しようものなら、哀れな父を含む実家の者たちと、両親の実家が人質に取られてしまうことだろう。最後の手段にしておきたかった。


「土地を浄め傷を癒やし、全ての者に平等に慈愛を与える、ねえ……」


ソファの肘置きに頬杖を突き、絵本や聖書に描かれる聖女の言い伝えを反芻する。あまりにも似つかわしくなさすぎて、乾いた笑いを浮かべるアーユイ。


「土地を血に染め傷を抉り、全ての者に平等に死を与える、ならぴったりかと思いますが……」


リーレイも神妙な面持ちで頷いた。


「さすがにそこまでないよ。任務以外で人殺しなんて面倒なこと、ごめんだし」


そう、アーユイは基本的に面倒くさがりなのだ。効率主義と言ってもいい。なので、社交界のこまごまとした行事が免除されているアインビルド家の身分は、正直とてもありがたいと思っていた。


「私よりも、父上のほうが心配だ」


「確かに……」


アーユイの父、レンは、表向きにはただの下級文官だ。娘が聖女になったところで、日々の仕事はこなさねばならない。


「今頃、おじさまたちにモテモテだろうな」


「おいたわしや」


城のどこかで働いているであろう当主を、リーレイは心から哀れんだ。

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