邑 20
「やあ、神官殿。ご足労願って申し訳ないね」
ロ家の工房は神殿のすぐ隣の区画にある。
武官長のルオウの住まいでもあり、神殿に出入りする武具の管理も行っているからだ。
工房の応接室にワンリがいた。
名家の子息とは思えない軽装に頭を被う布を被り、爪には土がつまって汚れている。一見して働き者の農夫だ。
「何度も呼び立ててすまない。話を聞きたいのだがいいだろうか」
「もちろん。いやあ、何か悪いことして怒られるのかと思ったよー」
柔和な笑みを浮かべ、友好的に接してくる。
ワンリが喋る度、周囲の空気がピリピリと緊張感が走る。
何倍も年を重ねた大人であろうと、神官であるクロウに謙った態度で接する。
しかし、ワンリは長年の友人であるかのような口調。
いくら歳上であろうと砕け過ぎだと苛立ちを募らせている。
それがイ家の血筋なのだから尚のこと。
「世情に疎くて、先刻カナン殿に追い出されそうになるまで、マオ嬢が亡くなったことすら知らなかった。うちにも来たんだって?」
「ああ。なかなか応じてもらえずイ家邸に乗り込むことも考えた」
「それはそれは」
クロウが言葉に圧をこめても、ワンリの態度は変わらない。
焦りも怯えもないように思える。
周囲を囲まれているというのに、自宅かのような寛ぎぶり。
対峙をしていると調子を狂わされそうになる。
とりあえず、ワンリの対面に腰を下ろす。
「何が聞きたいのかな」
「……これに見覚えは?」
赤黒く照る焼き物の欠片を提示する。
マオの房室にあったものだ。
「ボクが作ったものだねえ。割ってしまったのかい?」
「亡くなったマオ嬢の房室に散乱していたものを押収した。聞けば、貴方は北の者たちに作品を渡すことがないそうじゃないか」
「あー……なるほどね」
ワンリは得心がいったように嘆息し、天井を仰いだ。
恍けている様で理解が早い。
容疑者として疑われていると受けとったようだ。
しかし、やはり表情に焦りを感じられない。
クロウとて、焼き物ひとつでワンリが怪しいと思っていない。
何かしら手掛かりになればと思っている程度。
ワンリは欠片を受けとると、天井にかざしたり、裏返したり、表面を指でなぞったりと弄んだ。
「これは……我が邸に飾っていたものかな。飾った、というかボクが勝手に置いたんだけど」
「イ家の邸?」
「知っての通り、神殿に納めてるようなものは柄や形を揃えてるんだけど、手慰みで作ったものは大きさも形も好き勝手に造形しているから。ほら、ここは葉が折り重なっているみたいだろう? 森の木から着想を得て作ったんだ」
邑にとって森は、恵みであると同時に命を喰らうもの。
意匠に森を連想させるものを使うことはない。
神殿を飾るものに木の葉の意匠があろうものなら厳しい注意を受ける。
あくまで自分の趣向で彫ったもので、他人に見せるわけではないという。
「よくそんなものをカンが許したな」
「まさか。あの人はボクの作品に見向きもしないよ。あの人の目につく所に置いてないし。他家に譲るくらいなら、その場で壊しそうだなあ」
確かに、カンの印象はよろしくない。
息子でこうなのだから、他人から見てもカンは難のある男だ。
「しかもこれ、東の宮の端にあったものだ。いつの間にかなくなっていたからあの人が破棄を命じたと思っていたんだけど。ト家の姫君の房室にあったとは……」
「心当たりはあるのか?」
「それは……あるにはあるけど。想像の範疇だから答えられないね」
「その想像とやらを聞きたいんだが」
ワンリは困ったように眉を寄せて視線を落とした。
余程言えない事情があるようだ。
簒奪を企むイ家の者なのだ。言葉がすべて正しいとは限らない。
クロウの表情も段々険しくなっていく。
察したワンリが苦笑した。
「誤解しないよう言っておくけど、親父殿に何か吹き込まれたわけじゃないんだ。ボクが考えていることが真実とは限らない、ってことだよ」
「……真意か?」
「もちろん。先入観に捕われると、目が曇って真実から遠ざかるものだからね。言葉は慎重に選んでいるつもりだよ」
「憶えておこう」
「切れ者だといわれる神官殿も、まだまだ幼いなあ」
ワンリは朗らかに笑うが、クロウの背後に控えていた衛兵やロ家の者たちが物騒な雰囲気を醸し出す。
今後ワンリは工房を出入り禁止になるかもしれない。
臣下たちは怒ったが、言われたクロウはそうでもない。
事実、リオンにもよく言われるし、自分自身もまだ未熟者だという自覚がある。
舐められているとはまた違う。
不思議と不快感なく受け入れられる。
「あくまでボクの推測だけど、弟が持ち出したんじゃないかな」
「サイリだと……?」
サイリはイ家の次男。
現在リー捜索の為、邑の外へ出ている。
「邑では森に近いけれど、東の宮は一般的には嫡男に与えられる。ボクの居室も東側にあるけど、最奥にある離れだからね」
「そこまで差別されているのか……?」
「いやいや。家を継ぐとかまったく興味がないから、自分から引きこもったんだよ」
「…………そうか」
それはそれでどうかと思う。けれど口にはしなかった。
アイリの口振りからカンがワンリを重用しなかったと思っていたが、逆だという発想はなかった。
「そんな事情もあり、この作品を持ち出すことが容易だったのはサイリと、彼の世話をしている使用人だね。マオ嬢の元にあったのなら十中八九サイリだと思うけど」
「サイリとマオは付き合いがあるのか?」
クロウが訊ねると、ワンリは柳眉を顰め、大きく息を吐いた。
目が、呆れた、と言っている。
「なるほどねえ。妃候補から外れないわけだ」
「まさか……」
クロウが察すると、ワンリは大きく頷いた。
まさか。妃候補に手を出す男がいるとは思わないではないか。
「本人の口から聞いたから真実だと思う」
「イ家は皆知っているのか?」
「少なくともボクと妹は知ってる」
「アイリ嬢も? では、カンも……」
「知ってるも何も、あの人が言い出したことだよ」
妃の条件に、以前の交遊は問題にならない。
しかし、外聞的によろしくないとされ、清い身で嫁ぐ妃が殆ど。
二十年程前、とある男の婚約者であった娘が大神官に見初められ、そのまま大神官の妃になった例がある。
寝取られた男は当時はまだ未成人で相手は大神官、抵抗する術を持っていなかった。
神官の妃になる娘は周囲の目を気にしなければならない。
それを知っているカンがマオと縁を結ぶようサイリに命じたのなら、意図的に作り出された関係だ。
顔合わせの時のマオを思い出す。
言葉と裏腹にクロウを侮蔑の目で見ていた女。
マオは本気でクロウの妃になりたくなかったのだ。
白髪(クロウ)だったからか、赤褐色(サイリ)ではなかったからか、知れないが。
「余計にわからないな。マオとサイリが男女の仲であるのなら、殺してしまうのは合理的ではない。しかも、サイリは今邑にはいない……」
他にも疑問点がいくつもあるが、一番はそこ。
サイリは邑の外に出ていて不在。
魔除けとして築かれている石壁がある為、門以外から邑に入ることはできない。
彼らが出掛けて二年、門番から彼らが帰って来たという報告はない。
「そうだね。前に見かけたのは六日前だったかなあ」
「は……?」
「定期的に帰って来てるよ。サイリだけじゃなく、他の人たちもね」
「なーー……っ!?」
「しー。静かに」
ワンリが人差し指を口元に添えた。
燭台に照らされている所為か、ワンリの瞳に朱が混じる。
じっと見つめられると底冷えするような迫力があった。
「なぜボクが神殿ではなくロ家の工房にキミを呼んだのか、想像したかい?」
「……?」
「神殿には親父殿の監視の目がある。ボクが赴いたらバレてしまうだろう」
「神殿に?」
神殿には常に衛兵の目がある。
住民に開かれた場所ではあるが、神殿という場所柄、ふらっと入れるものではない。
不審者がいよう者ならすぐに取り押さえられるよう訓練している。
「例えば……そこの彼が、実はあの人の息がかかっていたら?」
「なんだと……?」
「オレはそんなこと……っ!」
「例えばだよ。ね、ありえなくないだろう?」
疑われたと、兵士が抗議の声を上げた。
ワンリは悪びれることなく、クロウににっこり笑みを向ける。
確かに、絶対あり得ない、とは言えない。
人の気持ちは簡単に変わることを、痛い程知っている。
その所為でクロウは都にいられなくなったのだから。
「あの人を舐めない方がいい。小者だけれど神官と同じ学舎で学を修めているし、邑の北を仕切っている。それに口が立つ」
「そう、だったな……」
カンには何度も苦汁を舐めさせられた。
追いつめてもするりを躱される。
もしこの残忍な事件の裏にカンが糸を引いているとしたら、今度こそ逃がすつもりはない。
「それで、サイリたちは本当に邑にいるのか?」
邑の門には兵士が立っていて、人の出入りは管理されている。
赤褐色の髪を持つサイリは特に目に付き易い。
「六日前から邸の自室にいないみたいだし、はっきりといるとは言い難いなあ」
「この騒ぎで邑に居辛いでしょうし……」
「逆に潜伏しているとも考えられる」
「邸内なら妹の方が詳しいかもしれないね」
「またアイリ嬢か……」
あの女傑と対峙するのは精神を削られる様でなかなかに疲弊する。
無意識に溜め息が出てしまう。
「ちょっとお転婆だけどいい子だよ」
「お転婆……」
ちょっとかどうか個人の匙加減だが、身内の評価はやや甘めらしい。
同じ邸に住む血の繋がった家族だとしても、個々の思惑はばらばら。
カンも、アイリも、ワンリも、それぞれ違う着地点を想定している。
まさか庇い合っているとも思えない。
「そろそろ焼き上がる頃合いかな」
ワンリが席を立つ。
本当に炉を借りる為に工房に立ち寄ったのか、クロウを呼び出す為かわからないが、新しい情報が手に入った。
果たしてマオを害した犯人に繋がるか否かは不明。
割れた焼き物の破片を眺めていると、まったくの無関係とは思えなかった。
「神官殿。出来上がった作品は南のどこかに飾ってもいいかな?」
「……構わない」
「どこがいいかな。やはり、魔が出やすいと聞く門辺りかな」
見張りの兵士と森を出入りする者たちしか近寄らない場所を選ぶようだ。
確か、商人が使用する森の中の道にも置いてほしいと言われ、いくつか飾っている。
周囲に歓迎されない趣味持ちもなかなか大変なのだろう。
目の前の本人は、出来上がりが楽しみなのか、鼻歌でも奏でそうな程上機嫌なのだが。
「喜んでもらえるといいなあ」
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