邑 19
邑の民の夜は早い。
魔が好むのは暗闇。光が届かない場所は魔が活発になる。夜に動き回るのは自殺行為。
日が落ちると、民は火を焚いて家に閉じこもる。外を歩くのは見回りの兵のみ。
火急の用件があろうとも、夜明けまで待つのが常識だ。
魔の森に囲まれている邑は、魔の侵入を拒む為、絶えず火を灯っているので常に明るい。
一等明るい場所は神殿、次いで家名持ちたちが住む北側の地区。
敷地内にいくつも篝火を焚いているので周囲を視認できる程明るい。
加えて、邸の外を警護する家人が松明片手に目を光らせている。
神殿が派遣している見回り兵は二人一組体制で何組も邑内を隈無く歩き回る。
時間差で人が入れ替わるので邑の隅々まで魔の侵入を発見できる。
そんな中で多くの人の目をかいくぐり、不審な行動など出来るはずもない。
マオの生存が確認できたのは、遺体が発見される前日の夕暮れまで。マオの侍女が就寝の手伝いをしたのが最後。
翌早朝、侍女が支度に訪れると、無惨に部屋が荒らされ、部屋の主の姿はなかった。
唯事ではない様子に、当主を起こして大騒ぎとなった。
状況的に見れば、何者かに襲われ、連れ去られ、害された上に浜辺に捨てられた。
しかし、浜辺で発見されたマオは目立った外傷はない。派手に部屋を荒らされたのにだ。
考えれば考える程わからなくなるのは、殺された動機。
単純に考えて、妃候補であるマオがいなくなれば、他の候補者が妃の座に着き易くなる。
そんなことを考えそうな当事者はイ家のカンのみ。
ヘ家はリオンの部下であり、候補者のメイは別の男と恋仲である。候補者に上がったのはあくまで他の家への抑止である。
ハ家は他者を害してまで妃の座を欲しがる野心はない。
イ家の妃候補であるアイリの真意は定かではないが、人に危害を加えるような人物ではない。
それに、クロウの妃に一番有力なのはアイリ。黙っていても妃になれる。カンだってわかっているだろう。
だから、わざわざ危険を犯してト家に忍び込むこともないのだ。
他に動機を持つような人物も現れない。
外出嫌いで、他人と距離を作るような性質で、邑に居着いて十年になるが知り合いらしい知り合いが殆どいない。ト家の当主や親族たちにも心を開いていなかった。
親しい人物といえば、身の回りを世話を焼いてくれる侍女一人のみ。
その侍女の、
「近頃はずっと不機嫌で、癇癪を起こされることもしばしばありました」
という証言から、マオが自殺をするような性質でないことがわかる。
最終的に、神殿はト家の当主であるソンを疑った。秘密裏に問題児であるマオを処理したのだと。
しかし、妃候補であるマオを亡き者にする利がない。
取り乱した様子は自作自演に見えず、ただト家の損失を嘆いていた。
手掛かりという手掛かりもなく、荒れた部屋に落ちていた焼き物の欠片を手にする。
大きさや形から、両手で包める程の置物だろう。
神殿に住むクロウには見慣れた色だが、北に住む家名持ちの邸ではそうではないらしい。
製作者のワンリに話を聞きたいが、そう簡単に会える人物でもない。
なんせイ家の子息であり、公に姿を現さない、実妹曰く変わり者。
まずイ家に赴いても門前払い。神殿へ出頭を命じても通じない。
数ヶ月に一度は作品を持ってふらっと神殿や南区にやってくるのに、用がある時に限って捕まらない。
おかげで、ワンリがマオを害し逃げている、という思考に至ってしまうではないか。
「クロウ様」
クロウ付きの文官が呼ぶ。
生真面目でよく顔色を悪くしているが、忙しさがたたって更に悪い。
「お客様がおみえです」
「誰だ?」
来客の予定はないはず。
リオンや官吏だったなら先に用件を回してくる。
「ロ家の遣いです」
「遣い?」
ロ家の工房は家族で運営している。
神殿御用達の工房であることと、武官長のルオウの実家であることから、何かあればルオウから話が来る。
信頼のおける家からの遣いなら断る理由はない。
ルオウを通さず遣いを送るなら余程に火急なのだろう。
通すように命じると、意外な人物が扉を潜った。
「お時間を頂き感謝します」
平民の出自でありながら、感心する程丁寧な礼をとった。
肩の上で切り揃えた黒髪がさらりと流れる。
成人を迎えた女性は髪を伸ばす風習があるが、肩上の長さに切るというのは、未亡人であることを表す。
彼女はまだ未婚だが、既に家族に迎えられており、家業を手伝っていた。
「ジウか……」
リャンの婚約者であった少女。
リャンの恋人で、とても仲が良かった。結婚を前にリャンが魔の森に喰われてしまった為、結婚の話は断ち切れた。
情の厚いロ家の好意で今でも家族同然に扱われている。
愛らしい容姿から、多くの男に望まれているが、喪が明けるまで考える気はないらしい。
否、リャンを信じて帰りを待っているのだろう。
「はい。お忙しいのは承知なのですが……当家まで足を運んで頂けないでしょうか」
「ここではいけないのか?」
「えーっと……」
気まずそうに視線を彷徨わせる。
ロ家の遣いとして来ているのだから、工房で何かあっただろうが、用件がはっきりしないのならば簡単に動くことはできない。
「今、ですね。工房に、ワンリ大人がいらしていて……」
「ワンリだと!?」
ロ家には、ワンリが現れたら連れてくるように頼んでいる。
日頃の挙動が知れないワンリを捕まえる為、立ち寄りそうな所に待ち伏せすることにした。その一つがロ家の工房。
「ワンリは工房にいるのか?」
「……はい。神殿へ行くよう親方が説得していたんですけど、クロウ様が来るようにって、言われて……」
「なんて不遜な……っ!」
文官が憤慨する。
いくら家名持ちの嫡子でも神官を呼びつけるのは不遜以外何者でもない。
ふわふわと空を漂う雲のような男でも、狡猾なカンの息子であり、あのアイリの兄だ。
何か思惑があるのかもしれない。
「いいだろう。すぐに行く」
「ありがとうございます……!」
頷くとジウの表情が晴れた。
板挟みにさせてしまい申し訳なくなる。
外出着に着替える間もなく、ジウと衛兵を伴い執務室を出た。
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