邑 21

「……それは拙いな」


リオンの執務室の前でいつもより低い叔父の声が聞こえた。

何事かとあいさつを省いて部屋に乗り込む。

相変わらず机の上に山積みになっている様々な書類や木簡が遂に雪崩を起こす瞬間だった。

急ぎの相談があったので自ら赴いたらこれだ。

また未処理の案件が先へ延び、文官たちが悲鳴を上げる未来が容易に浮かぶ。


「叔父上……」

「やあ、いい所に。拾うの手伝って」


リオンは床を這って雪崩れた物を掻き集めはじめた。大雑把な性格が表れている。

いろんな物を一度にまとめようとするので、あとで整理が大変そうだと頭の隅に浮かんだ。

リオンの右腕であるチェンも同じく。無表情であるが故、機嫌が地につく程悪いことが窺える。

そしてもう一人。邑の軍事を統括している武官長であるルオウ。大きな体を小さくしながら床に散らばる紙を丁寧に拾っている。

リオンと同じく大雑把な性格故、工房仕事に向いていないと武の道一本に進んだのだが、流れる血の所為か物の扱いに関しては几帳面さを見せる。

仕方なしにクロウも手伝うことにした。この状態では先に進めない。


「雪崩れる前に処理して下さいと、以前もお願いしたはずですが」

「検証することが多くてすぐに決められなくてね」

「一時の迷いで人命を左右することもあるのですよ」

「勢いだけで決めてしまうのは早計だよ」

「せめて急ぎかそうでないか、仕分けるくらいして下さい」

「もっと言ってやって下さい、クロウ様」


チェンがクロウに加勢する。

この部屋の有様はチェンも同罪だと目で訴える。

間に挟まれたルオウは苦笑するしかない。

リオンがクロウの三倍仕事を抱え込んでいることは知っている。

邑に関するすべての最終決定はリオンにあるとはいえ、任せてもらえないのが少々歯痒い。

けれど、それはそれ、これはこれだ。

あらかた片付け終わり、長椅子に腰を落ち着ける。


「雪崩を起こす前に『拙い』と仰っていましたが、何か問題が?」

「うーーーーん」


途端にリオンとルオウの表情が曇る。チェンは涼しいままだがぴくりと眉が動いた。

クロウに言えない何かがあるらしい。

お互いに視線を交わして会話をしている。


「……まあいいか」


結局、二人はリオンの決定に否を唱えることはない。

リオンは肩をすくめてクロウに向き直った。


「お前の妃候補、ミアン嬢に護衛を付けているだろう」

「そうですね。指示は叔父上がなさったと聞きましたが」


アイリがクロウの執務室に奇襲した直後、ミアンとメイに護衛を付けるようルオウに命じた。

しかし、すでに二人に護衛がつけられていた。

妃候補への配慮がリオンを通して神殿よりされていたと思っていた。


「あれは、アイリ嬢からの頼まれたんだよ」

「……また彼女ですか」


クロウに相談するより以前から動いていたらしい。

疑う気など起きず、すんなり事実なのだと納得する。

カンとアイリは別物だとクロウは認めている。

アイリは本気でミアンと友人になりたいのだろう。友人(仮)に危害が及ばないよう配慮したのだ。

彼女の機転に感心せざるを得なかった。

反対に、自分へ失望に似た感情がわく。


「また?」

「いいえ。それで?」


アイリに指摘されるまで気づけなかったことがまだあると知られたくない。

先を促すと、見て見ぬ振りをしてくれるようだった。


「ミアン嬢につけているフォウからの報告で、どうもミアン嬢の周辺できな臭いことが起ころうとしている」

「具体的には?」

「見張られているらしい。確認したわけではないけれど視線を感じるそうだよ」

「実害があるわけではないんですね」

「まだね。けれど頼まれた手前、怪我をされる前にこちらで保護した方がいいんだけど……」


被害に遭う前に神殿に匿う手がある。

しかし、リオンの顔は渋い。チェンとルオウも同じく眉根を寄せている。


「何か問題でも?」

「その場合、メイとアイリ嬢も神殿に身を寄せることになる」

「見られている、だけでは被害に遭っているとはいえません。神殿で保護するのなら、同じ妃候補として公平に扱わなければなりませんから」

「それに、妃候補本人だけでなく、その家族も護衛対象になるんですよ」


大事にするだけ対象を増やし、ただでさえ少ない人員が更に必要になる。

未然に防げるなら良い手なのだが、用意できても他に綻びができる。

だが、民の命に替えられない。


「皆、神殿に身を寄せればいい。護衛対象が一ヶ所にいてもらった方が守りやすい」

「私は反対です。イ家の者を神殿に滞在させるのは、彼らの介入を許すことになります」

「って感じで、チェンが反論するから話が進まない」

「貴方がつくった邑を守ろうとしているんですが!?」


リオンはチェンの嘆きを右から左に受け流した。

リオンへの忠誠は誰より高いのに報われない。


「当面は候補者たちの護衛を強化して、何か仕掛けてきたところを捕まえる、ってくらいしかないかな」

「見回りの兵も増やし、怪しい輩がいたら即時捕まえます」

「頼んだ」


ルオウが抑揚に頷いた。

懸念がある以上、他に案は出ない。


「そういえば、クロウ。私に何か用だったのかい?」

「ああ、はい。やっとワンリと話す機会が持てまして」

「マオ嬢に房室にあったというあれか」


ワンリから聞いた話をかいつまんで報告する。

マオの部屋にあった割れた陶器はワンリが作ったもので、家名持ちたちに作品を積極的に配っていないこと。

イ家の邸に飾っていた置物がマオの房室にあった経緯の推測。

妃候補であったマオとイ家の次男のサイリとの仲。

それがカンによって仕組まれたこと。

三人は各々驚いているが、ルオウは加えて肩を落とした。

森を注視するあまり、邑内部の動向を逃していた。

ルオウが統括している兵士たちに見落としがあったと言われているようなもの。

再度順路を見直すだろう。


「ト家の者は知らなかったのか?」

「ソンはそう主張しています。マオの侍女は、通う男がいると察していたが、相手がサイリとは知らなかったそうです」


その侍女はソンの怒りを買って暇に出されたので、南の畑で働く女たちに預けている。

侍女から聞きたいことはまだあると推察している。

邑から出たいと懇願されても、魔の森をひとりで出歩かせることはできない。

不満そうではあったが、身を置く場所を紹介するだけましだと思ってもらいたい。


「カンは何を考えているのやら」

「我々の邪魔をしたいのか……ああ、サイリ殿とマオ嬢ならば朱髪の子が生まれるかもしれませんから、そちらが狙いでしょうか」


朱色の髪ーー神官の能力を持って生まれるのは、両親が神官の血筋であることが絶対条件。

赤混じりの髪色を持つサイリは見た目通り神官の血を引いている。

ト家のマオも妃候補に選ばれるのだから、もちろん先祖に神官がいる。

滅多にないが、先祖返りの神官が生まれないとも限らない。


「朱髪の子が生まれようと、クロウの替わりになれないのにね」


リオンの声が重く響いた。


「そんなことも知らないで、あの人たちは馬鹿なことをしてくれたものだ」

「……叔父上。過ぎたことは置いておきましょう」

「今はワンリ殿ですね」


暗い目を宿したリオンを制し、議題を戻す。


「クロウ様はワンリ殿を信じるのですか?」

「すべてを信じたわけではないが、嘘は言っていないと思う」

「親父や兄貴も言ってましたが、のらりくらりとつかみ所がなく、いつの間にかあっちの要求を通されてる、不思議な御人だという話ですが」

「神出鬼没も加えてくれ」

「……胡散臭くないですか?」

「傍から見るとすごく胡散臭いが……信用に足る人物だと思う」


今までじっくり話す機会がなかったが、言葉に嘘がない。

家名持ちたちがよく使う、腹の探り合いのような遣り取りもなく、疑問を投げかければきちんと返ってくるやりとりに親しみすら湧いた。

確かにのらりくらりとはしているが誠意はある。


「それにしても、まさか出立を偽装していたとは……」

「そちらは予想しておりましたよ。あの者たちがこちらの要求を素直に呑む道理はないのですから」

「邑から出たがっていた輩もいたから、何人かは都や栄えている町に行ったと思うけど、帰っては来ないだろうねえ」

「彼らの興味をそそるものがありませんからね、邑は」


生きていく最低限のものしかない。

華美を好む者たちからしたら退屈な集落に他ならない。

邑を治める神殿が節制を謳っているのだから、表立って贅沢を口にすることはないだけで、裏では商人たちを個人的に招いていることは知っている。

個人の財であるので咎めることはできない。


「見送った我らの目を欺いて戻ってくるのだから、周到に準備しておったのでしょうな」

「確か、神殿前の西門から出て行ったのでしたね。なら北門から入ったのでしょう。北門の鍵の一つはあちらが持っていますから」

「商人を招く為に必要だって陳情を連ねたやつね」

「……いいや、森の外まで送ったんだ。護衛を兼ねて付き添った者たちからも報告受けてますんで」


ルオウは無精髭が生えた顎を摩り、二年前の情景を思い起こした。

森の外まで同行する部下に指示を出している時、不服そうなサイリたちを目にしている。


「商隊に紛れることができるだろう」

「なくはないですが。途中から神殿が派遣する護衛が合流しますんで、怪しい人物がいようものなら報告があります。だが、聞いたことがない」

「…………なら、どうやって」


人の命を脅かす魔の森を抜ける為には神官の炎が不可欠。

邑を行き来する商隊には特別に授けている。

炎を持っていることが通行証とも言える。

炎を持っていないサイリたちが森の外から邑に自力で戻ってくることは不可能。

四人は顔を見合わせ、互いの表情から答えが出ないと結論づける。

イ家の疑念がまた深まった。

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