邑 17

妃候補のマオが殺されて二日が経った。

報告を受け、すぐさま神殿の兵がト家の調べに入ったが、未だ全貌が見えてこない。

マオの居室に入ったルオウの報告によると、人の仕業とも言い難い有様だったようだ。

衝立の布は引き裂かれ、調度は薙ぎ倒された上修復できないほどに無惨に壊されていた。足の短い卓も真っ二つに割られ使い物にならない。

香の入っていた壷も、棚に飾ってあったであろう焼き物も、破片となって床に散らばっていた。

寝台も滅茶苦茶。裂かれた布地から中詰めの綿が散乱し、庭にまで散っていた。

床の一部に鈍器で開けられたような穴があったりと、まるで獣が暴れたような荒れっぷりだったという話。


邑に獣はいない。

生物は特に魔の影響を受けやすく、魔に侵されれば自我を失い肉体が暴走し、被害が拡大する。

クロウの白炎を持ってしても、一度侵されれば元に戻れない。

住民の安全を考えれば、多少不便でも獣を受け入れない方を選んだ。


マオ付きの侍女の話からも何も得られていない。

何も知らない、日が落ちる前に離れたきり、を繰り返すだけ。

他のト家に仕える者も同じ答えだった。

ト家のマオは、神官の妃として育てられ、家人であっても滅多にお目にかかれない存在だったらしい。

こうなると発見された日に亡くなったかも怪しいが、神殿の治療師の見立てでは一日も経っていないという。

この夜、住民の所在の確認は取れている。

部屋を荒らされた理由も、手法もわからず、手を下した人物も見えてこない。

もし、部屋を荒らしたのが魔に憑かれた人だったら……と考えるが、誰が憑かれたのかも、何故マオの部屋に現れたかも、何所に行ったのかも見当がつかない。

今の所、あの晩以降行方がわからなくなった輩はいない為、こちらの線はないと思っている。

つまり手詰まり。

溜め息も出る。

卓の上にはルオウが押収した壷や焼き物の破片が置かれている。

割れ方は普通。高い所から落ちたと思われる切り口だ。香の灰や煤は付いているが事件に直結する痕はなさそうだった。


「やらなくてはならんことが多いというのに……」


クロウは隣の書類の束を見て眉根を寄せた。

事が解決するまで通常業務が減るわけではないのだから。


魔による被害は邑では日常茶飯事で、すぐに元の生活に戻った。

しかし、一部に限ったこと。

普段被害に遭うのは魔の森に近い南部に多く、北西にある家名持ちたちの居住区では稀だった。

未だ騒然としている北の居住区は魔に怯え、家に引きこもる住人が多くなり、神殿からの警備兵の姿を見かけるようになった。

元避難民が大多数の神殿の衛兵を家名持ちたちは自分たちの居住区に入れることを嫌った為、夜の外壁見回り以外の侵入に難色を示した。

それが事件後、警備を増やせと要望がある程。

ただでさえ人手不足な邑だ。自分たちで賄える部分はなんとかしてもらうしかない。


人手不足、そう、人手不足なのだ。

信頼できる者はクロウの前から消え、優秀な者はリオンの腹心、クロウの周囲は浅い経験しかない者ばかりが集まった。

空いた場所の穴埋めで入った者たち。最初はできなくても仕方がない。これから覚えれば良いのだから。

しかし、忙しさも最高潮に達すると愚痴の一つも言いたくなる。

こめかみを揉んで頭痛をやり過ごす。

連日魔の気配で起こされ、しっかりと眠れていない所為か、体に疲れが残っていた。

子供の頃は、眠れない夜はリーの寝台に潜り込んで眠ったものだ。

抱き枕……もとい、リーの体温に安心して良く眠れた。そして、翌朝寝台の上で仁王立ちしたリーの説教までがお約束なのだが。

クロウの執務室は窓が大きく陽の光が入ってくる。

ちょうど応接用の長椅子に陽が当たっている。寝そべったら気持ちが良さそうだ。


「…………」


執務室にはクロウひとりだけ。

衛兵は扉の外にいるが、昼時で文官に休憩を取らせている。

少しだけ、文官が戻ってくるまで、と自分に言い訳しながら、長椅子に体を預ける。

目を瞑るだけでも疲労が回復するからと瞼を閉じれば、くらりと睡魔が襲ってきた。

この魔はクロウでも滅せない。なかなか厄介だ。

意識が重くなる。指一本も動かすことも難しい。

ぽかぽかとした日差しに後押しされ、クロウは意識を手放した。




人の声がする。

文官が帰ってきたようだ。

もう起きなければと思うけれど、体が言うことを聞かない。

日差しが気持ち良すぎてずっとこのままでいたい気持ちが強い。

もう少し……


「ん……」


一瞬意識が浮上したがまた眠ってしまいそうだ。

気づいていないのか文官は起こさない。

卓を挟んだ正面に座っているのに……


「……?」


勤務中に文官が長椅子に座るわけがないと思い至り、うっすら瞼を持ち上げる。


「!?」


正面、目の前に思わぬ人物が座っていた所為で一気に眠気が吹き飛んだ。


「やっとお目覚めですか」

「なぜ貴女が」


正面の長椅子には、妃候補のひとりであるアイリが悠然と書物を読んでいた。

目が合うと控えめに微笑んだ。

行政区といえど、神官の部屋に令嬢が一人で居座るものではない。

文官もアイリの侍女も部屋にいない。

クロウと二人きり。余計に悪い。


「貴方様に聞いてみたいことがございましたので、寄ってみました。書庫に行ったついでですけど」

「ついで……」


とりあえず居住まいを整える為、アイリの正面に座り直した。

アイリが読んでいる書物にちらりと目をやる。


「兵法?」

「ええ。戦記なども読みますよ。二百年程前に書かれた書記伝も面白いですわね」


女性が読む類ではない。

知識が深いと思っていたが、まさかその手のものまで読んでいるとは思わなかった。

噂で耳にするアイリの印象とはまるで重ならない。


「それで、聞きたいこととは?」


アイリは書物から顔を上げ、クロウを見据えた。

口元は小さく弧を描いているが、目が笑っていない。

媚びる様子もなければ、友好を示す様子もない。

けれど嫌な印象も受けないので、反応に迷う。


「まず一つ。マオ様の件の進捗はいかがです?」


今の悩みの種を強打された。

同じ妃候補だったのだから気になるのだろうが、少し違う気がする。


「…………まったく。不可解なことが多すぎる」

「あら情けない」

「……………………」


はっきりと扱き下ろされ、思わず渋面になる。

アイリの印象を更新しなくてはならないな、と頭の片隅に書き留めておく。

身近な誰かを彷彿とさせられる。

どちらかといえば、クロウとの方が血は近いはずなのに。


「仕方のないことかもしれませんが、頑張って下さいませ」

「……善処する」

「ええ、是非とも。でないと、危なくて外出もままなりませんわ」

「今だって神殿まで足を運んでいるじゃないか」

「わたくしではありませんわ。メイやミアン様が、です」

「メイとミアン嬢?」


予想とは違う答えに言葉を重ねて返した。

イ家の令嬢が他家の令嬢、立場が同じ妃候補を気にするのは意外だった。


「今一番身に危険が迫っているのはあのふたりです。理解なさっていますか?」

「…………っ!」


言われてみればそうだ。

マオ殺害の真相ばかり気を取られ、他の妃候補に気が回らなかった。

それを女性であるアイリに説かれるとは。


「……貴女はいいのか?」


妃候補というなら、アイリもだ。

危険なのはメイとミアンで、自分は大丈夫だと言っているような口振り。


「あら、心配なさってくださいますの? わたくしが妃候補を降りると口にしない限り、命を奪われることはございませんわ」

「……なるほど」


マオ殺害の黒幕は身内だとわかっているようだ。

それを神殿の長に悟らせている。また、神殿の推測もアイリに伝わっただろう。

メイとミアンの安否に気を配る言葉から、カンとは別の意図で動いていると推察できる。

少なくとも、彼女たちの敵ではない。


「友人想いなのだな」

「ええ。メイは唯一のお友達ですもの、憂い目に遭わせるのは不本意です」

「唯一、か……」


アイリの周囲にはいつも人がいた。

家名持ちの令嬢や子息。中には嫡男もいて、アイリを正妻にと望む声もあると聞く。

アイリにとってそれらは「友人」ではないらしい。


「神官様こそ、唯一の大事なお友達がいたのでは?」


アイリが袖の向こうで笑みを作った。

敵意はない。けれど、悪意があるように感じる。

クロウは僅かに眉間に皺を作った。

リーの存在は邑では有名で、常にクロウの傍らにいたことは多くの住民が目にしている。

リオンにとってのチェン、のような明確な部下ではなく、友人の延長のような主従関係だったことも明らかだった。


「あまり見せびらかすものではありませんわ。それが弱みだと宣言しているようなものですもの」

「…………今更だな」


クロウが傍に置いた所為で、常に悪意に晒されていた。

リーが受けていた嫌がらせは、すべてクロウに向けられていた。

リーがクロウの弱点であるばかりに。

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