邑 16 (アイリ視点)

茶を飲み、甘い菓子を食べ、だんだん気持ちが解れていく。

半刻前の重い空気はすっかり霧散し、口も滑らかに会話が重ねられていく。

しかし、会話の内容は変わらずマオの話だった。


「マオ様って、妃になりたかったのかしら」

「と、いうと?」


ふとメイがぽつりと呟く。

それを拾ってやると、眉を下げて苦笑した。


「顔合わせの時、ソン様は乗り気だったけれどマオ様は……どちらかといえば、嫌がってた、ように見えたわ」

「そうなんですか……?」


ミアンは緊張でそれどころではなかったようだ。

アイリは覚えている。

不満があろうと顔に出すべきではない。恥知らずとすら思ったものだ。


「亡くなった方を悪く言うのは好きではないけれど、神官様に良い感情は持っていなかったでしょうね」

「まあ……ト家の方は、クロウ様を悪く言う人が多かったし」

「あ……聞いたことあります……」


主に神官にあるまじき白い髪と金の目のことを。

その見た目から本人のいない所では『鬼児』と呼び、北に住む者たちの間では暗黙とされていた。


「マオ様といえば、あまり表に出ない方だけれども、親しいご友人とか知っていて?」

「い、いえ……」

「アイリが知らないなら、私たちも知らないわ」


イ家には様々な情報が持ち込まれる。

イ家と繋がりを持ちたい北の住民たちが誰かしら訪れている。

中にはアイリの友人と名乗り押し掛ける令嬢や縁戚を狙う令息などもいる。

適当にあしらいつつ情報を得ていた。

ただの噂話でも、狭い邑内なので正否は容易く聞き分けられる。

例えば、どこそこの奥方が外部の商人から絹を取り寄せた、とか、あの家の下男が南に住む婚約者のいる少女に言い寄っている、とか、大家の令息がどこかの令嬢の元に通っていた、とか。

マオについて確かな人脈は、ト家に属するタ家の夫人とチ家の娘と交流があるくらい。

その二家が犯行に及んだとは思えないけれど、事情は聞かれるだろう。

アイリも容姿や性質は知っていても、実際に姿を見たのはクロウとの顔合わせの日が数年振りだった。


「メイーー!」


行政区の棟からメイを呼ぶ声がした。

振り返ると、メイと同じ衣装を身につけた女官がいた。

大きな籠を両手に抱えている。


「お話中悪いけど、人手が足りないの」

「わかったわ」


メイは名残惜しそうに仕事へ行ってしまった。

神殿全体が慌ただしいのだから、メイものんびり茶を飲んでいる場合ではないだろう。

メイが抜けたことで、アイリとミアンの二人きりになった。

途端にミアンの顔色が変わり、辺りをきょろきょろ見たりと落ち着きなくなってしまった。


「あ、あの! わたしも、おいとましようと……」

「あら」


そわそわした様子から意を決したように勢いよく立ち上がった。

しかし、言葉の語尾はだんだん尻つぼみになっていく。

逃げるように退席されるのは面白くない。


「このあとご用があって? それとも、わたくしと同席するのがお嫌?」

「そんなっ! そういうわけでは、ないです……」


ミアンは再び着席する。

アイリもただ着席を促したわけではない。

ミアンに聞きたいことがあったからだ。

メイがいない席なら尚良い。


「ねえ、ミアン様」


アイリはミアンに流し目を送った。

意味ありげな目に、ミアンはびくりと縮こまる。


「あなた、隠していることがあるのではなくて?」

「っ!? あのっ、その……えっと」

「落ち着いて」


誰しも知られたくない隠していることがある。

しかし、ミアンの様子から知られてはいけないことを隠していると感じた。

それも、マオについて。

いつも自信なさげにビクビクしているミアンだが、何度も顔を合わせていれば感情の種類が読めてくる。

新しい茶をミアンの前に置く。

湯が温かったのでじっくり抽出した香りと甘みが出る茶を選んだ。

ミアンはコクコクと頷いて、茶を一気に飲み干す。

大きく息を吐くと同時に肩の力を抜いた。

顔を上げたそこには先程の動揺は薄れていた。


「アイリ様の仰る通りです。でも、言っていいか、わからなくて……」


ちらりとアイリに上目遣いで視線を向ける。

続けろ、という意味を込めて頷く。


「昨晩……部屋の窓から外を見ていたんです。わたしの家、森側の丘の上で、浜辺の方が一望できるんです」

「北側は邸が密集しているのに、ミアン様お邸だけ外れにあるのね」

「邸とかじゃないんです。以前の嵐で倒壊してしまって、神殿の方々に立て直してもらったけど、大きくも……家族四人が住めるだけの広さしかないし……」

「……それで、何を見たの?」

「あ……あの、炎? を」

「炎? 篝火ではなく、神官の炎だったのかしら?」

「あの色は、炎だったと思います。一番大きなお邸の西隣のお邸の端で。炎を……人が抱えてお邸の外に走っていきました」

「知っている方?」

「遠くて顔までは……髪が、赤みがかってい、ました。でも……そんな…………ごめんなさい」


謝罪を口にし、ミアンは俯いてしまった。

おそらく、ミアンとアイリの脳裏には同じ人物が浮かんでいる。

そこにいるはずのない人物が。

魔の森に囲まれている邑は、どの家も火を絶やさない。

闇夜を照らす炎と篝火では燃え方が違う。一目で分かるはずだ。

もし本当に神官の炎だったのなら、いくつか仮説が立てられる。

もしも、もしも、もしも……幾通りの仮設の中でも順列を付け、その結末迄を予想した。

アイリは長い睫を伏せ溜め息を吐いた。

アイリの重い吐息にミアンがびくりを体を震えさせる。


「ミアン様。先程のお話なのだけれど、誰かに話して?」

「いいえ……」

「お父上様にも?」

「あ、アイリ様が、初めてです」

「そう……」


さりげなく周囲を見渡す。

護衛を任された衛兵は建物の入口に待機している。

侍女は邸に置いてきた。

聞いている者はいない。


「ミアン様」

「は、はい」

「昨夜のことはお忘れになって」

「え?」

「誰にも言ってはなりません。メイにもご家族にも、神官様にもです」

「どうして……」

「どうかお忘れください。悪いようにしませんから」


アイリは深々と頭を下げた。

高位の家名持ちの令嬢が頭を下げるなどあり得ないことにミアンは息を飲んだ。

まず所作の美しさに見惚れた。

令嬢が自尊心から頭を下げることはない。自分より下位の身分なら尚更だ。

けれど、アイリはミアンに心からのお願いをする為に頭を下げた。

ミアンはすぐに我に帰り、慌てた。


「や、止めてください! 言いません、誰にも言いません! 約束しますっ!」

「約束、しましたよ?」

「はいっ。破りません、絶対!」

「……ありがとう」

「!」


アイリはミアンの手を取り、ぎゅっと握った。

安堵の為か、表情筋が緩んだようだ。

間近で見たミアンの顔がみるみるうちに真っ赤になる。

大輪の花が目の前で開花したのだ。無理もない。


「ごめんなさい。わたくし、用ができたので席を外しますわ」

「え……」

「ミアン様も帰る際は護衛をつけてもらって」

「護衛なんて。ひとりで帰れますから……」


立ち上がろうとするミアンの肩を押して留める。

ミアンの顔が不安に揺れる。


「外は物騒ですわ。必ず誰かを伴っていらして」

「は、はい……」

「そうだわ。お気に召したようなので、僅かですがこちら差し上げます」


アイリは懐の包みから更に小分けにされた包みを取り出した。

先程広げたものと同じ甘味菓子だった。

ミアンの手を取り、ちょこんと乗せてやる。



「わたくしとのお約束、お忘れなく」


足早に東屋から退席し、庭から行政区の棟に入っていった。

バタバタと慌ただしい衛兵たちを見送りながらとある部屋を目指す。

大広間より奥、官吏たちの執務室だ。

目的の部屋の扉を軽く叩く。

部屋の主はいるはず。メイが呼ばれるより前に、再び回廊を渡っている所を見たのだから。

返事はなく細く開いた戸から補佐官が顔を出した。

普通は衛兵が取次をするものだが皆出払っているようだ。

訪問者がアイリだとわかると軽く目を見開き、一度扉を閉めて部屋の主に是非を問う。

忙しいからと追い返される可能性もあったが、扉は再度開き、部屋の主はアイリの訪問を受け入れた。


「あなたが訪ねてくるとは思わなかった」

「ぜひ聞いて頂きたいお願いがございまして」


散乱している冊子や巻物、石の欠片や木の模型など、棚という棚、床にまで積み上がっている様子に呆気にとられたけれど、表に出すアイリではない。

何喰わぬ顔で部屋の中頃まで歩み寄る。

卓の周りは特に物が多く、それ以上先に進めなかった。

補佐官が長椅子に積まれている書物を片付けているけれど、座る気になどなろうはずもない。

部屋の主は構わずアイリに向き合う。


「お願いとは?」

「あなた方が信頼する腕の立つ武官をお貸し頂きたいのです」


柔和な笑みを浮かべた部屋の主は目を細めた。

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