邑 15 (アイリ視点)
妃候補のト家のマオが遺体で発見された。
茶器を持って戻ってきたメイが青い顔で告げた。
「アイリ……知っていたの?」
「行方がわからないとまで。そう、見つかったのね」
「遺体、って……死んじゃった、んですか……?」
遺体と聞き、ミアンも顔色を悪くする。
ぎゅっと袍を握り込み、震えている。
同じ妃候補で一度顔合わせをした知っている女性の訃報は衝撃だろう。
アイリも予想していたこととはいえ、現実に起こったと知ってしまうと、痛ましさで胸が痛む。
口に含んだお茶も上手く飲み込めない。
とても会話ができる空気ではなく、落ち着くまでいくらか時間がかかった。
アイリが生まれて二十一年。
二十一年間、ずっと父親のカンから『神官の妃になるのだ』と言われて育った。
アイリの養育を任された義母も期待を込めてアイリを育てた。
礼儀作法から始まり、歌、楽器はもちろん舞踊に書、必要な教養はすべて身につけた。
女に不要とされている学術や武術も進んで手をつけた。
カンは良い顔をしなかったが、何が神官の琴線に触れるかわからないと容認された。
容姿にも恵まれ、外見を磨くことも怠っていない。
成人前から才色兼備と誉めそやされ、誰もが最年少神官の妃はアイリしかいないと口にした。
カンの実子は三人いるが、全員平等に愛情を向けられていなかった。
長子のワンリは乳母に育てられたようなもの。血の繋がった家族とまともに顔を合わせたのも指を折って数える程度。
唯一の女子は未来の国母という名の駒。着飾った人形と変わりがない。
カンが一番目にかけていたのは次子のサイリだった。
理由は明白、髪の色だ。
神官の血が流れていても神官の能力を持って生まれる者は極僅か。
能力が発現する者は例外を除いて、皆鮮やかな朱色の髪を持っている。
サイリの髪は赤褐色。
鮮やかではないが赤が混じった色合いをしている。
イ家直系で赤混じりの髪を持っている若い世代はサイリだけだった。
本家にも現れたと聞いていない。
おかげでカンの関心はサイリに集まり、甘やかされ、奔放な性格に育ってしまった。
嫡男であるはずのワンリより、サイリが家を継ぐのではと思われるほどの優遇ぶり。
アイリにとってはどちらでもかまわないのだけれど。
重い空気のまま時間が流れた。
神官の居住区に近い中庭は人の行き交いが殆どなく、時折遠くで張り上げた号令が聴こえるくらいで静かだった。
メイもミアンも俯いたまま。
このまま解散した方がよい雰囲気だが、そうもいかない。
情報交換は社交の上で一番重要なのだから。
二人が落ち着くまで気長に待つ。
「……クロウはもう出掛けたのかい?」
「自室だと思われますが」
「ならいいよ。あんな顔色で出歩くのは、何かあったと言っているようなものだしね。民の不安を煽るだけだ」
「いつにも増して優れない様子でしたね。薬を出すよう言っておきます」
行政区と居住区を繋ぐ回廊を先代神官であるリオンと腹心である文官長が通りかかった。
こちらに気づいているだろうに見向きもしない。
早足で通り過ぎていく。
神官を引退しても権威を持ったまま。
前線で戦うクロウに何かあった時、体を張って邑を守るのはリオン。
リオンは邑の創建者だ。邑で暮らす身の上として尊ばなければいけない存在である。
それなのに、カンを含めた家名持ちたちはリオンを下に見ている者が多い。
この不毛な地で十年以上も人が生活できる地盤を作ったのだ。それだけでも尊敬に値する。
現大神官を兄に持つ直系の神官の血筋でありながら、変わり者で、神官の位を蹴って都を出た。
人前のリオンは柔和な笑みを浮かべ、余裕の態度で接している。
何を考えているかわからない人種の印象。
尊敬はできるが、信用できない。
常に胡散臭い笑みを貼り付けている所為か、腹の中は真っ黒にしか見えなかった。
為政者とはそういうもの。
それに比べて、クロウは潔癖すぎる。
誰の影響なのか……
「…………そうよね、クロウ様が大変な時に、私たちばかり落ち込んでいても仕方ないわ」
「メイ。大丈夫なの?」
「ええ。心配かけてごめんなさい。ミアン様も」
「い、いいえ! わたしの方、こそ……すみません……」
弾かれたようにミアンも顔を上げる。
社交の場で沈黙はよろしくない。
近い人が亡くなっているのだから無理もないかもしれないが、都だったら足を掬われているところ。
「お茶をいれ直すわ」
冷めきってしまった茶を変えるため、メイが立ち上がる。
熱い湯でいれられた茶が目の前に差し出された。
温かい茶は強張った体を解してくれる。
青白かった二人の頬に朱が差した所を見計らって口を開く。
「マオ様のこと、何か知っていて?」
「何かって……」
「今回のこと、わたくしたちも無関係ではないと思うの」
「まさか、私たちを疑ってるの!?」
「違うわ」
事の裏にカンが動いているとは思う。
けれど、手段が見えない。
まさかト家の人間が手を貸してはいないだろうけれど。
魔の仕業かもしれないが、神官の炎に守られている邑内で、室内にいたマオを攫うことができたとは思えない。
それにマオは妃候補だ。
妃になるため育てられ、嫁き遅れと言われても邑で暮らしていた。
今更自分の足で逃げるとも考え難い。
計画されたにしろ突発的な事故にしろ、人の手で屠られたと考える方が自然。
マオが亡くなって得をする人間をまず絞る。
南の住民に利はない、よって最有力候補がカンである。
もしカンが関与していて、妃候補を害してアイリを確実に神官の妃にすることを計画していたら、メイとミアンの身が危険に晒される。
アイリとて安全が保障されているわけではない。
カンがアイリのような口達者な女を疎ましく思っているから尚更だ。
しかし、そんなことを二人に言えるはずもない。
「じゃあ、私たちも殺されるかもしれない、ってこと……?」
「殺されたかどうかはわからないけれど、可能性はあるわ」
「そんな……っ!」
メイたちの不安は尤もなもの。
しかし、否定しても現実は変わらない。
妃候補になったばかりに、命を狙われる。
魔ではなく、悪意を持った人によって。
許容できる話ではなかった。
震える肩にそっと触れ、不安を払うように優しく撫でる。
メイはゆっくりと顔を上げ、アイリと目を合わせた。
「アイリ、あなた冷静ね」
「充分驚いているわ。だからといって、嘆いていてもマオ様が戻るわけではないもの」
「見た目を裏切るその冷徹さ。痺れるわね」
「見た目は関係ないでしょう」
アイリの外見は、例えるなら咲き誇る大輪の花や花の周りを優雅に舞う蝶。男なら守ってあげたくなる儚げさを備えた美しい容姿をしている。
にこりと微笑めば大抵の他人は外見通りの性格だと信じて疑わない。
実際は沈着冷静で効率重視の現実主義者。
メイ曰く「そこらの男たちより男らしい」。
つまり可愛いとはまったく言えない性格をしている。
情がないわけではないが、他人と比べたら薄いという自覚もある。
「ねえ、メイ」
「……なに?」
「わたくし、もう少し詳しく知りたいの。誰かに聞けないかしら」
「無理よ。お父様も衛兵も、話してくれないわ。さっきだって漏れ聞いただけだもの」
「やはり、そうよね。ミアン様は?」
「ええっ!?」
「別室でされていたお話、お父上様に窺えるかしら」
「え、と……たぶん、む…………むり、です」
ミアンもおどおどとしながら答えた。
気安い親子関係であっても無理だと断言してしまう。
もちろんカンなど詳細等聞く以前の問題だろう。
男女の差別は無意識に行われている。
それをメイもミアンも不思議に思っていない辺り当然で、根付いているのだろう。
思わず、ふう、と溜め息が出た。
それにミアンがびくりと反応する。
ミアンへの失望と捉えられてしまったらしい。
「あ……っ、すみません! わたし、あの……違うんです!」
「落ち着いて、ミアン様」
「怒っているわけではないのよ」
「あの……あの……」
ミアンとは数日前のクロウとの顔合わせが初対面になる。
何度か同じ席で茶を飲み、少しずつ話すようになった。
人見知りをしていたわけではないが、話すことがなかったので特に会話を必要としなかった。
同じ妃候補として情を持たないようにしていたつもりだったのに、一生懸命話しかけようとしてくるミアンに僅かばかり絆された。
動揺しているミアンを慰めたいと思う程度には親愛の情が湧いている。
「湿っぽい話は止めましょ」
「そうね。ほら、お菓子も召し上がって」
「い、いただきます……」
アイリが邸から持ち出した菓子を差し出す。
炒った豆に蜜がかかった甘い菓子は邑では滅多に見ない贅沢品。
たっぷりの蜜を使った菓子が食べられるのはイ家や商人と繋がりのあるト家くらい。
甘味を口にして三人の気分がやや上がる。
「あら? ミアン様は甘い物はお好きなのかしら」
「はふ……っ、ふ……すみません……」
ミアンの手が次、次と菓子を口に運んでいることに気づいた。
指摘され、ミアンの顔が真っ赤に染まる。
「家で、食べたことなくて……おいしくて……つい」
「いいのよ。たくさん召し上がって」
申し訳なさそうに小さくなるミアンに、アイリは気持ちを和ませた。
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