邑 13

妃候補が遺体で見つかったことは、瞬く間に邑中に広がった。

狭い邑内では衝撃的な話題はすぐさま人から人へと伝わってしまう。

クロウが行政区の敷地に入った時点で、すでに誰もが事件を知っていた。

箝口令を敷いているわけでもないし、表立って調べるのは神殿だ。

神殿内部だけが騒がしいのかもしれない。

ルオウが待っている棟へと急ぐ。

十数人が座って話し合える大部屋にいるという。

調査の報告ならクロウかリオンの執務室でもよかったのだが、案内人が指定したのがそこだった。

部屋に着くと、すでにリオンとチェン、それにルオウがいた。

さらに、ソン、カン、ハク、トゥンの姿もあった。

騒がしいのは神殿内部だけではないようだ。

報告によると、妃候補のアイリ、メイ、ミアンも登殿しているらしい。

政は男の仕事で、女が口を挟むことははしたないとされる。

元々神殿で働いているメイはともかく、後見人に連れられて別室で待機しているとのこと。

妃候補が無惨な姿で発見されたからといって、すぐに関連性を決めつけるわけでもないが、候補たちの後見人は気が気でないのだろう。

リオンに詰め寄っていたソンはクロウを視認すると、矛先をそちらへ移した。


「神官殿! ご説明願いたい、何故マオがっ!?」


ソンが掴みかからんばかりの勢いでクロウに詰め寄る。

寸前に衛兵に遮られ、しぶしぶ後退った。


「私も先程聞いたばかりだ。ルオウ、わかったことの報告を」

「是……ですが……」


ちらりと後見人たちにちらりと視線をやる。

兵士でも役人でもない者たちに聞かせる話でもない。

しかし、説明しなければ出て行く様子がないので話すようルオウを促す。


「では。朝方遺体で見つかったのは、ト家のマオ嬢で間違いありませんでした。ト家の侍女に確認してもらっています。服装は昨夜、就寝前に着用していたものとのことです」

「就寝着ということか」

「はい」


余程のことがない限り、良家の子女が寝間着姿で外を出歩くとは考えにくい。

勾引されたか、親しい者に誘導されたか、他者の手で敷地内から出されたと推測できる。


「最初に発見したのは漁を生業にしているグォン。岩場に停めていた船に横たわっていたそうで……」

「そいつだ! そいつがマオを殺したんだっ!」


顔を赤黒く染めたソンが席を立ち上がり叫んだ。

皆の注目がソンに集まるが、その目は一様に冷ややか。

頭に血が上ってまともな思考回路ではないのは一目瞭然だった。


「憶測で話を遮るな」


なおも叫び出しそうなソンを、カンが鋭い視線を浴びせる。

朝から騒ぎに巻き込まれ虫の居所が悪かったのだろうか、一睨みで射殺せそうだ。

都での家格はイ家が上。

彼らに染み付いた習性なのか、ソンは苦々しく顔を歪めるが大人しく口を噤んだ。

静かになった所で、ルオウは咳払いを一つして報告を続ける。


「衣装は濡れていましたが……目立った外傷がなく、眠っているようでした」

「周囲に異変は?」

「砂浜には足跡がいくつかありましたが、マオ嬢の遺体があったのは岩場で、わかることがなにも」

「夜は水嵩が増え、岩場あたりまで浸かってしまうからね」

「いいえ。昨夜は月が欠けていましたので、水嵩は岩場まで到達していません。だからこそ、船も岩場に置いたでしょうし。衣服が濡れていたのは飛沫の所為かと」


リオンとチェンが補足をする。

月の満ち欠けで潮の満ち引きが変わる。

月のない夜の昨晩は、潮は引いていたはず。

少なくとも海水による溺死ではない。


「巡回からの報告は聞いているか?」

「是。魔が出たという報告はありません。異変はなかったとのことです」

「……警邏に当たっていた者全員に聞いたのか?」


クロウが大きな魔の反応を感じ取ったのは、まだ薄明かりにもならない真夜中のこと。

魔が騒いだことは確か。

すぐに収まったとはいえ不安が残り、北西の警備を増やすよう指示をしたから、当直をしていた衛兵たちには記憶に新しい。

彼らを纏める武官長のルオウも聞いているはずだ。


「あ……四人には聴取済みです、が……」

「聞いてない者がいるのか?」

「…………北の方々から派遣されている担当者には……」


ルオウの視線が足元に落ちる。

失態というほどではないが、見逃しがあったことがルオウを気落ちさせた。

魔が活発になる夜に、わざわざ起き出すような輩は邑にいない。

その当たり前と部下への信頼がルオウに隙を生ませた。


「あとでいいので聴取を頼む。どこの家の者かわかっているのか?」

「い、いぇ……」

「昨晩は当家の者が行なっているはずですぞ」


口を挟んできたのはカン。

一同の視線が集まる。


「当家でも確認している。それについて少々よろしいか?」


カンが発言の許可を求める。

リオンは頷いて言葉を促した。


「深夜に怪しい動きをしていた者を炙り出そうと言うのですな」

「可能性の段階だがな」

「それは、平民や警邏の兵も含まれるのですかな」

「……勿論だ」

「ならば結構」


カンは満足げに口角を上げた。

家名持ちだけを調べるつもりはない。

南側の住民や昨夜警邏に当たっていた兵にも等しく聴取をする。

可能性があれば誰でも対象だ。


「では、当家の下男からの報告を伝えておこう。昨晩、一度持ち場より戻ってきたらしい」

「戻った?」

「北の門前でそちらの巡回と落ち合った時分、当家の近くで炎が揺れたらしく、確認にきたらしい。邸の前を警備していた下男が不注意で角灯を揺らしてしまっただけで問題はなかったと聞いております」

「……情報感謝する。その下男に確認のために話を聞きたいが、可能か?」


クロウは目を細めてカンを見据える。

嘘だと疑うわけではないが、状況の擦り合わせをしたい。


「勿論、可能でございます。後程、神殿に参上するよう命じておきます」

「感謝する」


カンの口端がクイっと上がる。

神官からの感謝の言葉がカンに優越感を齎せているのだろう。

わかりやすく権威に固執する男だと再認識する。

十年程前、カンがクロウたちにしたことを考えれば、疑いの目を向けざるを得ない。

邪魔だと考える輩を消そうと画策する男なのだから。


「魔の方面からも調べなければな」

「昨晩は魔が騒いんだろう?」

「叔父上も感じ取りましたか」

「鳥肌が立つ程度には。おかしいと思ったから、おまえは警備を増やしたんだろう?」


こくりと頷く。

夜に魔がざわめくことなど日常茶飯事。

けれど、昨夜は何か直感に触れるものがあった。

魔のこと、マオのこと、警邏のこと……

いくつもの仮説を組み立てる。


「……ルオウ。時系列も調べてくれ」

「時間、ですか?」

「俺が指示を出した時間と、衛兵が巡回していた道と時間だ」

「御意」


昨晩の邑の様子はこれでいいだろう。

まだ確認しなければならないことがある。


「さて、ト家のソン殿」

「な、なんでしょう……?」


急に矛先を向けられ、ソンは恐る恐るクロウを見た。

弱き者には横柄な態度を取るが、立場が上の者には身を竦ませる。

家ではクロウを鬼児を罵り、神殿に来ては機嫌を伺う。

狭量な男である。

これでも都では豪商の家系に生まれ、そこそこ成功を掴んでいた。

どんな手を使ってでも神官の血を取込む為、邑にやってきたのだった。

欲をかいて機を読み間違えた。

都の権力から一番遠い場所にいることを自覚していなかったのだから。


「マオ嬢の交友関係を聞きたい」

「交友関係でございますか……」

「発見されたマオ嬢は夜着のまま。もし来訪者があったとするならば、とても親しい間柄だろう」


暗に通いの男がいたのかと尋ねた。

含まれた言葉の意味を正しく理解したソンは憤慨を露に立ち上がる。


「マオは神官の妃にと育てた娘ですぞ! その言葉、当家への侮辱と受けとらせて頂く!」

「……気を悪くしたのなら謝罪しよう。マオ嬢のような妙齢の女性に言い寄る男のひとりやふたり、いてもおかしくないと考えたまでだ」


神官の妃は純潔であることを求められる。

都の後宮で妃と神官以外の異性が通じていたなら極刑もの。

候補であるマオがクロウ以外の異性と関係を持っていたのなら、妃に選ばれる資格はない。

故に、ソンは厳しく制限していたはずである。

おかげでマオは嫁き遅れてしまったのだが。


「馬鹿なことを申すな! あれには祭事以外の外出を禁じておりました。与えた部屋だって離れで、私の息子たちともほとんど顔を合わせたことなどない! 言い寄る男などいるはずないのだ!」


ソンははあはあと肩で息をしている。

クロウの言葉に本気で憤っている証拠だ。

ソンの言葉に嘘はない。

嘘はない、のだろう、ソンにとっては。


「ならば、その言葉が真実か、ト家の邸を調べさせてもらう」

「!?」

「マオ嬢が暮らしていたという離れに、マオ嬢が亡くなった痕跡があるかもしれない」

「離れは、侍女以外の出入りを禁じており……」

「マオが死んだ理由を知りたいのだろう?」

「…………御意にございます」


断れないと悟り、ソンが折れた。

何度断られようとも理由をつけてト家の邸に捜査の手が入る。

ルオウに、ソンと数人の衛兵を連れてト家に行くよう命じた。

部屋に残っているのはリオン、チェンと妃候補の後見人であるカン、ハク、トゥン。

ソンと共に退室するでもなく、彼の背中を見送っただけで出て行く様子がない。

チェンとハクはいい、官吏でありリオンの傍に侍る理由がある。

トゥンはおそらく誰も立たないので機を逃しただけ。

居心地悪そうに周囲を伺っている。

カンの腹の内が読めない。

まだ話し足りないのか、神殿内に留まりたい理由があるのか。


「ところでカン殿とトゥン殿」

「なんでしょう」

「はっ、はい!」

「早朝よりご足労だった。しかし、なぜ貴殿らが神殿に?」


カンと視線がかち合う。

焦りや不安を感じない、余裕すらある印象を抱いた。

妃候補が減った所為か。

先日まで妃を娶れと言及したきた人物とは思えない


「当家はト家の邸と隣り合っているため、ソン殿が早朝から騒ぎながら神殿に向かったと耳に入ったのですよ。妃選びをしている最中に何かあったのかと気になるものでしょう」

「私は、イ家の遣いという方から神殿に集まるようにと言われて参上致しました」


カンが驚愕を僅かに含んだ目でトゥンを見た。

どうやらカンが送った遣いではないようだ。

もちろん神殿が収集をかけたわけでもない。

カンにとってトゥン、否、ハ家は取るに足らない地方出身の田舎者。

妃候補に挙がったのも、補欠程度だと思ったのだろう。

つまり、見下し侮っている。

それが、イ家の名前を使われ、幹部が揃うこの場に収集された。

憤りが隠せないのも無理はない。

誰がイ家を騙ったかわからないが、家名持ちも一枚岩ではなさそうである。


「なるほど。集まってもらったのだが、捜査はまだこれから。今は話し合うことも多くないので、お開きとしよう。後日、また協力を願うこともあるだろうから、その時は頼む」

「御意に」


彼らは立ち上がり、扉に向かって歩き出す。

彼らが帰ったあとにも、クロウたちは話し合いをするつもりだ。

もし、故意にマオを殺めたのなら、殺人者が邑にいることになる。

邑の住民を守るため、早急に事件を紐解き、犯人を検挙しなくてはならない。


「ああ、そうだ。神官殿」


カンが振り返った。

丁度うしろにいたトゥンも、何事かと足を止める。


「捜査に熱心になられるのも結構ですが、妃を選ぶこともお忘れなく」

「…………忠告、痛み入る」


衛兵を伴い、ふたりは退室していった。

今度こそ見送るとどっと疲れが体にのしかかった。頭痛もするかもしれない。

顳顬に指を押しあて、ぐりぐりと強めに解す。

ランが用意した薬湯を飲んでから参加すればよかった。


「我が甥子殿はどう見る?」


リオンの声に顔を上げる。

叔父もクロウ同様、頭が痛いと言わんばかりに眉根を寄せていた。

何を差しているか言葉にしなくてもわかる。


「カンが関わっていることは確かでしょうね」

「だけど証拠がない」

「探して見つかりますかね」

「見つからないでしょう。証拠がないから強気に出たのでしょうから」


チェンも苦い表情を浮かべている。

糾弾できる材料がないのは今回のことだけではない。


「私も、理想の国づくりがしたいわけではないから、彼らがどうしようがある程度は目を瞑るけどね」

「己の好奇心のために国を興した酔狂な方の意見は寛大ですね」

「その酔狂に付き合う側近もよっぽどの物好きなものだ」

「何も知らずに巻き込まれた人たちを哀れんだだけです」


リオンは有能だけれど、チェンの舵取りがなければ、今より良い環境になっていなかった。

邑が危うい場面で、何度チェンがリオンを諌めていただろうか。

クロウが見ていない所でも同じような遣り取りはあるだろう。

偶にどちらが主従なのかわからない時もある。


「ルオウが何か見つけてくることを願いましょう」

「ルオウは大雑把だからなあ。多少目端の効くリャンがいたら……」


余計なことを口にした、とリオンは言いかけた口を閉ざして顔を歪めた。

クロウもいつまでもくよくよしているわけではない。

罪悪感は消えないが、割り切っているつもりだ。


「師匠だって勘はいい方です。俺は西の門を見てきます」


深夜に炎が反応した場所を確かめるため退室した。

外出する前に薬湯をと私室に戻る。

応接間がある行政区と私室がある居住区の間にある中庭に、着飾った女性がいるのを見つけた。

遠目からでもわかる、クロウの妃候補たちだ。


「彼女らは、まだいたのか」

「はい。せっかく集まったのだからとお茶会をするらしいです」

「……そうか」


妃候補者たちにあまり興味を持てない。

中庭を素通りして私室に戻った。

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