邑 12

邑の夜は騒がしい。

人は寝静まるが魔がざわめく。

光が届かない暗闇を好む魔が活発になる時間帯だ。

肌を撫でる潮風は、爽やかどころかねっとりとまとわりつき、不快でしかない。

激しい荒波にまぎれて森の木の葉がさわさわと囁く。


森と隔てる為に築かれた邑を囲む石の壁。

朱色の炎が魔を寄せ付けないよう石肌を照らしている。

それでも安全とは言えない。

夜回りの警備を置き、邑中を満遍なく巡回している。

今夜は晴れているが、月が僅かにもないので薄らの影すら作れない程真っ暗闇。

星の瞬きだけでは一人歩きは心許ない。

勿論、朱炎は持っているが、暗闇というだけで本能的な恐怖が身を掬わせる。


「北側の警邏なんてついてねえな」

「邑は万年人不足。仕方ねえよ」


巡回中の衛兵たちが愚痴を漏らす。

彼らは元放置民、十数年前にリオンに拾われ邑にやってきた。

放置街には身寄りのない子供が溢れていて、野良育ちで素行の悪さから、煌びやかな都に足を踏み入れることを許されなかった。

救ってくれたリオンに恩義を感じており、邑では皆真面目に働いている。

邑の北側は家名持ちたちの邸が並んでおり、縄張り意識の高い彼らは平民たちが足を踏み入れることを嫌っていた。

其の癖、警邏の手を抜くと神殿に乗り込んで憤慨を露にする。

よって、一晩に一組見回りを置くことで決着がついている。

南側に住む兵士たちにとって、北側の警邏は気乗りがしないものだった。

神殿から出発し、東側からぐるっと回り、北の門の前で折返し再び壁沿いを往復、そして夜が明ける前に浜辺がある西側を回って神殿に帰る。


「よお、今夜はおまえらか」

「……ああ。東側は問題なしだ」


神殿から派遣された兵士の他にも、家名持ちの家に仕える下男が警邏に加わる。

同じ平民とはいえ、南側の住人たちに見下した態度を取る為、仲良く手を取り合って、という雰囲気など微塵もない。

彼らは北の門前を陣取り、神殿の衛兵を顎で使う。

理不尽な謗りや命令をしないだけ家名持ちたちよりまし、程度な親密度である。

四つある邑の門を管理しているのは神殿なのだが、北の門だけは、家名持ちの主張で北側の住民たちが管理している。にも拘らず、何か問題があれば責任を神殿に擦り付けるという所業を過去何度も起こしている。


「今夜はやけに魔が騒ぐな」


衛兵のひとりが低く呟いた。

光を苦手にしている魔は、夜でも月が満ちている時と欠けている時では強さが変わってくる。

月のない夜は特に危険だと周知されている。

だからといって、警邏を怠るわけにはいかない。

むしろ、月のない夜だからこそ一層の警備強化が求められる。


「うん?」


兵士のひとりがじっと一点を見つめ、目を細める。


「どうした?」


相方が異変があったのかと緊張を強めた。


「いや……炎が移動した気がして」

「こんな夜更けに人が出歩くわけないだろう」

「気の所為か……いいや、念の為確認しておこう。何かあってからでは遅いしな」


正義感の強い兵士が見に行こうと提案する。

しかし炎が見えたのは邸と邸の間。

下手に近づくと家名持ちたちが神殿へ怒鳴り込んでくる。


「ならオレが行こう。あそこはオレの主人の邸だ」


下男が名乗りを上げ、そのまま小走りで向かっていった。


「でかい邸だな。あそこって……」

「イ様の邸だ」






炎がパンッと音を立てて弾けた。

魔を滅する炎の燃料は空気や木炭ではない。

神官の生命力を糧に燃える。

消えるのも大きくなるのも、生み出した神官の意思による。

だから音が立つことはない。

部屋を照らす燭台の火ではない。

反応するのは一つ、魔だけ。

大きな反応に目が覚め、衝動的に寝台から起き上がる。

ぐるりと視線を巡らせる。

室内ではない。

方角は北から西にかけて、家名持ちたちの住居がある辺り。


「西は珍しいな」


魔の森は南東から北にかけて広がっている。

半島の西側は海なので魔が出ることは比較的少ない。

神殿の西側に唯一海に降りられる浜があり、漁や水汲みで人の出入りがある為無人の夜でも炎を置いている。

炎が弾いたので邑の内部には入り込んでいないはず。

念の為、衛兵に邑の北西の警備の強化をするよう言付けを頼んだ。

家名持ちたちが何と言おうが邑全体が危険に晒されるのだから、雑音は無視をする。

森と邑を隔てる壁の警備は、昼間より夜のが堅固。それなりに人員も割いている。

一人二人なら神殿の警備が減っても大丈夫だろう。

しばらくは神経を集中させ、邑中に配置している炎の気配を読んでいた。

魔が襲いかかるのは毎晩のことなのだが、この夜は特に強い気配を感知した。

月が隠れた所為もあるだろう。

もう魔の気配はない。邑の様子も騒ぎになっていない。

疲労がどっと伸し掛かり、再び寝台に寝そべった。

幼い頃から炎の制御を訓練し、眠っている時も炎が消えないようにする術を学んだ。

炎の制御はできるようになったが、いくら休んでも疲労が消えない日がある。

おそらく今日もそうなのだろうな、と希薄になる意識の中で思った。




次の目覚めは控えめな戸を叩く音から。

魔に限らず人の気配にも敏感な方だ。

熟睡していても物音がすればパッと目が覚める。

この日は声をかけられるまで意識が虚ろなままだった。

声の主が世話を焼いてくれているランという妙齢の女官とわかるまで僅かに間が空いた。


「おはようございます、クロウ様」

「………………おはよう」

「ずいぶんお疲れのご様子ですが」

「魔が騒いで眠りが浅かったようだ」


言うなり大きな欠伸が出た。

眠り足りないが、これ以上寝ていたら体が軋みそうだった。


「では、薬湯をお持ち致します。食事ももちろん召し上がって下さい」

「わかった」

「それと、ト家のソン様が謁見の申し入れがございました」

「こんな早くにか?」

「はい。なんでも火急な用件らしいですわ」


まだ太陽が姿を現してから数刻も経っていない。

いくら何でも急が過ぎる。

普段は呼んでもないのに参上するのだから、申し入れをしたことだけは褒めてやってもいい。


「ならば昼前で会おう。遣いをやってくれ」

「御意に」

「叔父上の予定は?」


リオンの予定を管理しているのは右腕であるチェン。

チェンの細君であるランもある程度知っている。


「リオン様は終日執務室でお隠りです」

「なんだか嫌な予感がする。忙しい所申し訳ないが、叔父上にも同席を願いたい」

「畏まりま……」

「ーー失礼しますっ!」


ランの言葉を被せるように、衛兵の一人が飛び込んできた。

よっぽど急いでいたのか、手に槍を握ったまま礼をとっている。


「ご報告致します! 先程、浜辺で女性の遺体が出ました」

「魔の仕業か?」

「なんとも……今、武官長が詳しく調べております」

「身元は? 邑の者か?」

「それが……妃候補の、ト家のマオ様、らしいと」

「マオだと?」


最近、クロウの妃候補として顔を合わせたばかりの女性。

他の候補であるアイリ、メイ、ミアンは神殿で会うことが増えた。

しかし、マオだけは初日以降姿を見せることはなかった。

後見人であるソンが連日神殿に来ては、家に招待したいと言ってきたが素気なく断ってきた。

マオはクロウに会いたくなかっただろうし、クロウもマオに興味がなかった。

会いに行ってありもしない既成事実を吹聴されたら堪ったものではない。

本人が嫌がっているなら速やかに候補から外したいくらいだ。


「なるほど。ソンの用件はそれか」

「朝早くから来ていましたね」

「申し入れがあったんじゃないのか?」

「いいえ。夜が明けきらない時分に乗り込んできたので、謁見の申し込みをしてもらって帰しました」

「遺体はいつ見つかった?」

「夜が明けて半刻くらいでしょうか。漁の船を出す者が見つけました」


マオが発見されるよりソンが神殿に来た時間のが早い。

夜から行方が知れなかったのかもしれない。


「浜……西だな」


昨夜、魔の反応があったのは北から西にかけて。

浜辺があるのも北西。

魔の仕業であることは疑いないだろう。

不可解なのはマオの行動だ。

壁の外は魔が彷徨いている。

壁の内側でも夜は炎の松明を携帯するのが普通、壁の内側であっても安全ではない。

出歩かないよう触れを出しているので、外出する者など警邏以外いない。

屋外に出るだけで目立ち、咎められる。

暗闇で灯りを持てば巡回の兵士が気づく。

魔が邑内、しかも邸の中にいるマオを襲ったのなら、今頃邑中大騒ぎになっている。

人ひとりの被害では済まないからだ。

だから、マオは自ら外に出て明かりを持たず暗がりを歩く、または、見知った誰かに勾引されたのでなければ浜辺にいた説明がつかない。

昼間であれば太陽の光で魔は弱まり外に出ることも可能だけれど、お嬢様育ちのマオが一人で外出するだろうか。

もし曲者がマオが暮らすト家の邸に忍び込み、誰にも見られず成人女性を運ぶなど、不可能に近い。

家名持ちの邸には各々雇っている護衛がいるはずだし、神殿から派遣している警邏が見逃すはずがない。

朝になるまで人目も魔の気配も見つからないとは考えにくい。

しかも壁の外にある浜辺に。

わずかな情報だけの推論では答えは見つからない。

調査結果を聞く必要がある。


「ルオウを呼んできてくれ」


ただでさえ頭痛がするのに、厄介なことが積み重なり頭が割れそうだ。

重い体を引きずりながら身支度を整えた。

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