邑 11

神殿の敷地は小さな半島の約二割程ある広大な建造物。

石壁から等間隔に並ぶ朱の柱も神殿の一部と呼ぶなら、邑すべてが神殿といえる。

邑の大凡中央に位置する神殿の南側は平民の居住区。北側が家名持ちの居住区。

神殿を挟んで区分けされている。

便宜上、というより、平民と同列を嫌がった家名持ちたちが勝手に区切った所為である。

半島にある邑は南は海。南東から北までの東側は魔の森だ。

北東側は緩い丘になっており、頂上から海が見渡せる以外なにもない。

魔の森と接しない北西側に彼らの住居が集中している。

高い壁に囲まれた居住区はひとつの街と言える程、独立した自治区となっている。

邑から出る定期の外商とは別に、邑で生産された特産品を神殿から安値で買いたたき、高値で伝手のある商人に高値で売り払う。

四つある邑の門の北側を管理しているのは、実質家名持ちたち。

危険な魔の森を通ってくる商人たちは、外部から一番近くの北の門を利用する為、勝手に設定された通行料はまるっと家名持ちたちに入る。

さらに多くの物資を買い付けたり職人を派遣したりと、彼らなしでは外貨が稼げない状態だった。

外との商売の大部分を北側が占めているため、神殿も強く出られず、南側との壁は高くなる一方だった。

いくら平等を謳っていても、邑の外部の取引において、旨味を持っているのは家名持ちたち。

平民たちだけでは、外貨を稼ぐのは難しい。


神殿の行政区、門を潜って三つ又に別れる廊下を真っすぐ歩いた正面、邑すべての民が収容できる程広い部屋がある。

幾本の朱の柱が天井に伸び、白い壁が炎の光を明るく映えさせる。

部屋の奥、上座の椅子に座ったクロウは、不機嫌さを隠すことなく目の前で礼をとる者たちを見下ろしていた。


「神官殿におきましては、ご機嫌麗しゅう……」

「良いように見えるか?」


横で見学していた叔父から嗜めるような視線が刺さる。

礼儀に欠いた返事だと自覚はある。

けれど構わず相手を見据える。

先日の宣告通り、家名持ちの当主たちが面通りにやってきた。

妃候補となる娘を伴って。


「本日は神官殿の妃候補を連れて参りました」


そう言って、カンはうしろに控えていた娘を自分の前に促す。


「娘のアイリです」

「神官様、お久しぶりでございます」


カンの娘、アイリ。

年はクロウの一つ上で、華やかな美貌を持つ令嬢だ。

面識もあり、何度か言葉を交わした際、文学の話から大陸の歴史の話になり、知的な印象を受けた。

楽器を操り美しい音を奏でることも得意とし、才色兼備と名高い。

年も近く、妃候補を募れば筆頭となる娘に違いなかった。

礼をとる仕草ひとつも優美だ。


「姪のマオでございます」

「お会いできましたこと嬉しく思います」


ちっとも嬉しそうではない色を浮かべるのはト家のソンの姪、マオ。

きっちり着込んだ上からでも香しい妖婉さを孕んだ美女だ。

年は二十五を越え、世の結婚適齢期が過ぎてしまっている。

それというのも、マオはソンによって家族と引き離され邑にやってきた。

ト一族の未婚の女性がマオしかいなかった為、神官の妃にと売られたのだった。

クロウとは面識があるが挨拶のみで、どのような人物か計れない。

少なくともクロウに対して好意的ではなさそうだった。


「当家の長女、メイです」

「本日はお時間頂きありがとうございます」


ヘ家のハクは神殿で官位を持つリオンの部下であり、娘のメイも神殿で女官をしている。

妃候補の中では一番付き合いが長く、人柄もよく知っている。

それに、メイとアイリは同い年の友人だと聞いている。

候補に挙がったのは家名持ち側への抑止の役割の為。

クロウはちらりと部屋の隅に控える衛兵のひとりを見た。

衛兵の男とメイは恋人同士。すでに婚約期間のはずだった。

メイ以外に適任がいなかったとはいえ、酷な役割を押し付けてしまい苦労を掛けると心の中で詫びておく。


「ハ家のトゥンと申します。こちらは娘のミアンでございます」

「は、初めておっ、お目にかかりますっ」


ハ家は良くも悪くも目立つことのない普通の家名持ちの家柄。

当主のトゥンは元は地方神官であるリオンの兄、ロアンの部下だった。

人材不足を懸念したロアンにより、神官の血が混じった一族から選ばれ、邑に来た。

神殿内ではなく、復興事業を手がけているため、神殿とも家名持ちとも平等な付き合いをしてる。

娘のミアンと正式な面識はないが、トゥンの後に付き従う姿を何度か見た覚えがある。

成人したばかりで、まだ幼さが残る。

挙げる程の特徴もない、素朴な少女という印象だった。

緊張からか可哀想な程に震えている。


メイを含め、令嬢全員が家からの命令でここにいる。

皆、『クロウの妻』ではなく、『神官の妃候補』として参上させられた。

もとより政略結婚をさせられる身の上、期待など互いにない。

どの娘にも装飾品を贈ろうとも思えなかった。

美しい娘だろうと心を揺さぶられることがないのだから仕方がない。

とりあえず顔合わせのみでこの日は解散した。

自室に戻る前にリオンに呼ばれ、説教を受けた。




クロウの私室は神殿の最奥にあり、魔の森を背面に構えている。

間に何重もの対策が施され、魔の手が神殿内に届くことは今日までない。

何よりクロウ自身が魔を滅せられる。

一番危険であり、一番安全な部屋だった。

私室の扉を開けると応接間。運び込まれた食事はこの部屋で摂る。

間仕切りの衝立の向こう側が寝所となっている。

寝所には隣の部屋に続く扉がある。

神官の妻である妃の私室とつながっている。

クロウに妃はいない。

二年前までリーが使っていた部屋だ。

護衛のためと理由をつけ、側から離れることを許さず、部屋を与えて縛っていた。

今でも変わらずリーの部屋になっている。

若干倉庫がわりになっている節があるが、いつ戻ってきてもいいよう整えられていた。

魔が入らぬよう、毎日クロウ自ら朱炎で部屋を照らしている。

毎日、部屋の主不在な寂しい部屋を見て、目を細めるのだ。


神殿の私の部分、居住区は行政区ほど広くない。

個々の部屋と生活に必要な設備があるだけ。

側近たちの家は神殿の外にあり、仕事中に休息を取る部屋は行政区に設けられている。

邑は広くない。北の端から南の端まで一刻あれば走って行けてしまう。

神殿から自宅まで目と鼻の先なら、わざわざ神殿で寝泊りする必要がない。

なので、居住区に余分な部屋がない。

本来なら妃候補は神殿に止まり、神官と親睦を深めるものなのだが、こういった事情もありお引き取り願っている。

新たな住人を迎え入れる前提で神殿を造っていなかったのだ。

そもそも、クロウに外部から妃を迎える気がまったくなかったので、今になって慌てる事態になったのだった。

それを理由に妃の件を頓挫させても、暫くもすればまた家名持ちたちが釣書を持ち寄り乗り込んでくるだけ。

彼女、いや、彼女たちの後見人を諦めさせるにはどうしたらいいか、公務よりそちらに思考が飛んでしまう。


「クロウ様。訓練中に考え事なさっていると怪我しますよ」


すぐ側まで来ていたルオウに気づかず、ハッとなって手を止めた。

周囲の視線が集中していることに気づく。

クロウは、神殿前の広場で行われている剣の訓練に参加していた。

執務室にいてもいっこうに減らない書類に嫌気を差し、体を動かすことにした。

訓練の始めは素振りから。

兵士たちと号令に合わせて訓練用の剣を上下に振り下ろすだけの所作だが、全身を使う為なかなか大変だ。

剣術の基本動作になるため、子供の頃からやっている。

長年の慣れからながら作業になってしまった。


「すまない。集中しよう」

「お疲れでしたら休まれた方が……」

「大丈夫だ。続けてくれ」


クロウが制すとルオウは全体が見える位置に戻っていった。

要らぬ心配をかけてしまった、と反省し、柄を握り直す。

クロウが前線で剣を振るって戦うことは滅多にない。

対面で襲われない限り鞘から抜くことすらない程度。

けれど、剣術の訓練は欠かさず行っている。

単純に体を動かすことが好きなこともあるが、勉強嫌いのリーが嬉々として習得していたもの。

リーより弱いわけにはいかない、という自尊心から一心で身につけたものだった。

我先にと飛び出していく質のリーを力づくで納得させる手段の一つでもあった。

神官という立場から命じるのはなんとなく嫌だったのだ。


人に見られるのは慣れている。

親愛なものから嫌悪まで、いろんな視線を浴びてきた。

広場の端で女性が数名が固まって訓練風景を見学している。

妃候補のアイリとメイとミアンだ。

侍女を従えて用意された腰掛けでじっとクロウを見てた。

親睦を深めるため参上させられたのだろう。

アイリとメイは友人同士なので一緒にいても不思議ではないが、ミアンがいるのにマオがいない。

クロウはどうもマオに嫌われているようだった。

無理もない。

神官の妃になる為に家族に売られ、華やかな都暮らしから何もない土地での生活を強いられている。

妃になれる確証もないのに、他の男との接触すら禁じられていると聞く。

さらにクロウは五つも年下で、神官の一族でも滅多にない色彩の持ち主。

陰で鬼児と罵っているような叔父の元で育てられた娘だ。偏見も強いだろう。

どう思われても構わないが、媚びられるのは御免だ。


何度考えても回避する良い案が浮かばない。

順当にいけば、アイリが妃となるだろう。

百歩譲ってアイリを受け入れたとしたら、父親であるカンが黙っていまい。

政に口を出してくる。

娘を神官に差し出した家は、神殿から金と権利が贈られる。

都と同じことが邑で罷り通る筈もないが、邑を創っているのは元は都の人間。主張されれば理解できてしまう。

忌憚のない意見も必要だ。

けれど、クロウたちが求めている意見ではない。

平民を退け、家名持ち優位の政治をしかねないのだから、取り合わないようにしてきた。

メイを妃にするつもりはない。

彼女はあくまで公平を期す為の過激派たちの抑えだ。

かといって、ハ家のミアンを、というのも安全とは言い難い。

彼女自身は純朴でどこにでもいる少女。

父親のトゥンも仕事ぶりは真面目で、野心家に見えない。

ミアンが妃になったとして、他の家名持ちたちが大人しくなるかと言えば、ありえないと即答できる。

ハ家に要らぬ苦労をさせることが目に見えている。

何より、リーの部屋を他の誰かに使わせたくなかった。

リーを妃にすることは諦めていない。

クロウの願望を引き延ばしてきたからこそ、眼前の厄介事にぶつかった。


「どうしたものか」




どうにも身が入らず、訓練を抜けてきたクロウは、妃候補の令嬢たちと親睦を深めることにした。

否、内情を探ると云った方が正しい。

彼女たちも父親と同じ思惑なのか確かめたかった。

神殿の庭にある東屋に案内し、霊祭の少し前に来た荷で届いた高価な茶葉でもてなした。

室内の応接室は事務的で、雑談を交わすには似つかわしくない。

官吏たちの休憩室など持っての他。

女性が好む飾り気のない風景ではあるが、室内よりましだった。

石畳が敷かれた庭に、数種の花が咲いている。尤も、薬師が植えた薬草だが。

潮風にも強い花しか育たない邑で植物を育てるのは大変だ。

一度煎じて飲んでみたが、えぐみが酷くて飲めた物ではなかった。

葉が止血に効く薬草なのだと神殿付きの薬師が言っていた。

そんな薬草も観賞の風景にされるとは思ってもみなかっただろう。

東屋に茶器を揃え終わると神殿付きの女中は下がっていき、四人になった所で会話が始まった。

親睦を深めるといってもクロウは聞き役。

口を挟むことなく彼女たちの話を聞いていた。

絶えず喋っているのはメイ。

アイリやミアンの情報を聞き出すように話を振って場を盛り上げようとしている。

アイリもミアンも積極的に自分から話すことは殆どなく、聞かれたことに相づちを打つのみ。


「以前クロウ様が探されていた書物、アイリの家の蔵書になかったかしら」

「どういったものかしら」

「えーっと、人体に関するもの、だったかしら?」

「医学書ならいくつか当家でも所持しておりますわ。病に関するものも、傷に関するものも。わたくしに専門的な知識はございませんので、当家の治療師に聞けばわかると存じます」

「クロウ様にお見せしては?」

「当家へ要請していただければ届けさせますわ」


「ミアン様はお父上様のお手伝いをされているのですよね」

「は、はい! その、えっと」

「落ち着いてお話ししていただいて大丈夫ですよ」

「はい。あの、微力ながら……」

「ご立派です。普段は何されていますの?」

「そんなっ! た、大層なことは……」

「私は刺繍を刺すことが好きなのですけれど、ミアン様のお好きなことはなんですか?」

「私は……花を、育てるのが……好き、です」


という感じでメイが仕切っている。

二人ともクロウにも互いにも興味がないようだった。


クロウが介入しなくても話も時間も過ぎていく。

茶を二杯飲んだところでアイリの付き人が迎えにきたのでお開きとなった。

アイリが帰るというということで、ミアンも慌てて帰ると言う。

一人の帰り道にもしものことを考えて近くに控えていた衛兵に付き添うように命じる。

メイだけが東屋に残った。

顔を見合わせ息を吐く。


「苦労をかける」

「いいえ。お力になれずすみません」


メイはすまなそうに頭を下げる。

すまないと思っているのはクロウの方だ。

メイの負担が大きすぎる。

クロウからも歩み寄った方が良いかもしれない。

令嬢個人と対面した感じでは、彼女たちから敵意はない。

婚姻を迫る様子もなければ政治に口出しする素振りも見せない。

集団の力は単純に個人の倍以上の力を発揮する。

クロウが今回押し切られたのは、集団で詰め寄られ、こちらの弱みを突きつけられた所為だ。

彼女たちの後見人の方を先にどうにかしなければ一歩先の見通しすらつかないだろう。


「叔父上に相談するしかないか」

「我がヘ家も力になりますから。乗り切りましょう」

「この馬鹿騒ぎが片付いたら、ライとの式をすぐに執り行うと約束しよう」

「ふふふっ。期待してますからね」


明るく微笑むメイに励まされ、ぼんやりとしていた方針を定めていく。

始まったばかりの演目を壊そうとする一手が見えないまま。

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