港町 16
薄闇に煌々と燃える朱が映える。
夕暮れ前から一つ、二つと増えていき、陽が落ちる頃には無数の光が街を照らす。
飲み屋の提灯が軒を飾り、仕事終わりの男たちが店に足を運ぶ
港町の商業区東側にある酒場は本日も満席。
夕方は屈強な海の男たちが汗をかいて失った水分を酒で補い、夜は商いの玄人たちが一日の儲けと客から得た情報を交換しながら酒を飲む。
今の旬な話題は、海沿いにある西側の門に現れた男だった。
全身ずぶ濡れの満身創痍で現れ、門番の前で気を失ってしまったので商業区内にあるシャオ老師の診療所に運ばれた、ということだった。
状況と出で立ちが二年前の酒場の看板娘に似ていたので知り合いではないのかと何人か囁いていた。
リンがシャオ老師の元に食事を届けていると知っている者たちは、すでに会ったのではないかと勝手に盛り上がっている。
下世話にも、二人が恋仲で、リンの跡を追って来たのではないかと噂する輩もいた。
昼間でも酒場は開いている。
しかし、足を運ぶのはほんの数人。一部の常連だけ。
昼間の往来は地元の買い物客が多く、食事はこぎれいな食堂や甘味処を利用する者が多い。
大陸の風習では、食事は1日2食。昼から夕方にかけて饅頭や揚げ団子などの軽食を口にをするのが一般的で、3食がっつり食べるのは力仕事を主にする者だけ。
故に、昼間に訪れる客は奇特だと言われるのだ。
シャオ老師に昼食を届けに行っていたリンが店に戻ると、いつもの席に奇特な客がいた。
港町の役人のスエンだ。
平民出身のスエンは町の人たちとの関係も概ね良好。
酒場の主人の料理を気に入っており、日を置かず店に通っている。
役場の仕事は夜番が多く、仕事前に酒場で腹ごしらえをしていくのだった。
「よお。最近戻りが遅いな」
「いらっしゃい。老師の話し相手になってんだ」
「毎日?」
「そうだ」
正確には「老師の(診療所でリャンの)話し相手に」だが。
すっかり常連となったスエンは運び込まれた男について耳にしている。
役場でも取り調べの対象になっている。
おそらく知られているので隠した所で意味はないかもしれない。
リャンは意識不明で話すことができない。ということになっている。
起きて、意識もはっきりしていると知られれば役場に連行されてしまう。
リャンは家名持ちであり、曽祖父と叔父は都では有名人。
神殿が気づいたら……?
リンはこの町にいられなくなるかもしれない。
町の人たちは引き止めてくれても、神殿が黙っていない。
リンもリャンも、所詮、都から逃げた余所者だ。
捕縛は免れないだろう。
「……今は非番だし、診療所の奥で寝てる奴のことは聞かねぇけど」
「いいのかよ」
「仕事中じゃないしな」
「案外不良だな、あんた」
気が抜けて、ほっと息を吐いた。
知らず知らずに緊張していたようだ。
話している間もスエンの手は止まらず、次々と料理が消えていく。
本日も絶好調なようだ。
食べ終わる頃に茶を入れてやる。
「そういやあ、明日、来れねぇんだ」
「珍しいな?」
気に入ったと言った日からほぼ毎日食事に来ていた。
詰所の寮で一人暮らしの為、まともな食事を取ることもなく、近くの屋台で済ませていたらしい。
質より量のスエンらしい食生活を送っていたようだ。
「明日は合同演習があンだ」
「合同演習?」
「あー……っと、地方神官がいる町の奴らがこっちにきて一緒に訓練するんだ」
「こっちに来るのか?」
「前回はこっちが出向いたからな。持ち回りなんだ」
「へぇー」
この辺りで戦があったのは十年以上前で、以降は平和を保っていた。
盗賊や個人の小競り合いはあったけれど、極々小規模なもの。
それでも神殿所属の軍人は各地に配属されている。
訓練は日々しており、時には他の都市と腕を競い合うのだという。
「夜勤明けで演習だからな。ここに来る時間がない」
時間があれば来た、と言い換えられる。
それほどまでに大将の料理を気に入っている。
それに、スエンの大食らいぶりでは、他の店ではゆっくりできないだろう。
せっかくの料理を味わう間もなく喉に流し込むのは勿体ない。
大将の料理に惚れ込んでいるからこそ、リンはスエンの気持ちがわかる。
「なら、詰所まで出前しようか?」
「出前?」
「時間を指定してくれれば持っていってやるよ」
思ってもみない提案にスエンは目を丸くした。
しばし考えて頷いた。
温かな食事と遠慮と理性をかけて、食欲が勝った。
「ありがたいけど、いいのか?」
「少し遠いけど隣村まで行くわけじゃないし。いいだろ、大将」
厨房に向かって叫ぶと、店の主人から軽い返事が来た。
リンの休憩時間が減る分にはかまわない、という少々薄情な冗談をまぜての了承だ。
「お前がいいなら頼みたい。お代は先に出しておく」
「食べたいものがあるなら言っておいた方がいいぞ」
スエンはリンの手に今日の分と、明日の分の金子を渡した。
出前の料理は、注文がなければ仕入れた食材と店主の気分で品が決まる。
シャオ老師の注文は希望がなく、何が届けられるか楽しみにしている節がある。
「うーん……手軽に食べれるものがいいな。汁物は避けてほしい」
「慌ただしそうだな」
「演習中はいつも忙しねぇぞ」
スエンは疲れた顔で茶を飲み干した。
これから夜番、明けたら演習。休む暇がない。
リンは注文を紙に書きつけて主人に渡す。
主人が頷いたので了承という意だろう。
「じゃあ、明日の昼前に届けるな」
「おう、待ってる」
約束した翌日、リンは出前桶を持って大通りを早足で歩いていた。
店から詰所まで商業区と居住区を通っていかなければならない。
店は商業区の中でも港寄り、詰所は北の門近くにある為、ほぼ町中を縦断することになる。
大将は冷めても問題ない料理を作ってくれたが、楽しみにしてくれているのだ、なるべく出来立てのものを食べてもらいたかったのでつい駆け足になってしまう。
居住区を抜けると一際大きな建物が目の前に現れる。
役場だ。
役人の管理棟だけではなく、寮や訓練場も備えている為、かなり広い。
待ってる、と言っていたけれど中に入って呼び出すのは躊躇われる。
この場所には苦い思いがあるに他ならない。
そんな葛藤も杞憂に終わった。
「よう、お疲れ」
「本当に待ってたんだ」
詰所の門前にスエンがいた。
店に来るような軽装ではなく、軍人のような装いだ。
鎧を身につけていたら戦でも行くかのよう。
そんな格好で同僚らしい門番と喋っていたら、自分を待っていたと思うまい。
「中で受け取るわけにはいかねぇだろう」
「そうだな。正直助かった」
そわそわと桶を気にする様子に、よく利用する菓子屋の前をうろつく子供たちが重なり笑いがこみ上げてきた。
それだけ楽しみにしていてくれたのなら、出前に走った甲斐がある。
桶を開けて料理を取り出す。
こもった湯気が一気に解放され、空気に溶けた。
中に入っていたのは大きな蒸篭、料理は蒸した饅頭だ。包んであるのは味付けをした肉玉や野菜の炒め物など数種。屋台で売っているものよりも小振りで三口もあれば食べきれる大きさだった。
大喰らいなスエンに合わせて相当な数が詰められていた。
「美味そうだな」
「当たり前だろ」
大将の料理に絶対の自信があるリンが胸を張った。
なんでお前が自慢気にするんだ、と苦笑するスエンを、門番たちは信じられないものを見たと言わんばかりの顔を浮かべている。
包子が詰まった饅頭なんてその辺の屋台で売っている。
けれど、どの店よりもこの饅頭が美味いことをリンとスエンは知っている。
スエンは饅頭を一つ掴むと、大きな口でかぶりつく。
中身は粗く刻んだ豚の肉を甘辛く煮詰めたもの。小麦と少量の塩だけで作られた饅頭の皮とよく合う。
「んっ……んま!」
かじった所から湯気と脂が溢れ、ちょうど良い塩気が、次、次と食指が動かす。
隣にいた門番たちが羨ましそうに饅頭を凝視していた。
「お、おい。スエン……」
「腹が鳴りそうだ」
「俺の昼飯だっつーの。欲しけりゃ一つ銅一で分けてやってもいいぜ?」
「ぼったくるなよ」
スエンから預かった前金は銀一。十以上数があるのに一つ銅一とは割り高だ。
それでも門番たちは言い値を払って饅頭を買った。
美味い、美味いと言いながら満足そうに饅頭を頬張っているので、リンは何も言えない。
「スエン。ここにいたのか」
「むぉ…………時間か?」
スエンと同じ格好のカオが門の向こうからかけてきた。
カオも演習の参加者のようだ。
門前で饅頭を頬張っている姿を見て眉間に皺を寄せている。
育ちの良さそうな顔立ちをしているので、おそらく良家の出だろう。
行儀が悪いと言いた気だ。
「向こうの先遣隊が来た。集合だ」
「わかった」
「それと……」
カオがちらりとリンを見る。
相変わらず品定めをするような不躾な目だ。
監視されているようで嫌な気持ちになる。
「あなたも来て下さい」
「へぇ!?」
カオはリンの腕を掴んで中へと引きずり込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます