港町 12

あれからスエンはよく食堂を訪れるようになった。

夜番を任されることが多いスエンは、昼頃食事に来て、その足で役場に出勤する。

仕事の前なので酒を飲むことはなかったが、いつも大量の料理を注文し、すべて腹に収めていく。

吸い込まれてるように消えていく料理を、リンは気持ちよく見ていた。

手が空けば軽く会話をする程度には馴染んでいる。


「あれはリンちゃんに気があるぜ、絶対」

「おいおい、好敵手出現かよ」

「お役人さんだからって抜け駆けさせないぜ!」


港仕事の常連たちはスエンの姿を店で見かけてはたびたびそんな話をしている。

口ではなんやかんや言っているが、彼らがスエンを邪険にすることはない。

同じ卓につけば楽しげに絡んでいる。

昼間なので近所の商人たちも入店を目撃している。

本人は「飯が美味い」「見回りついで」と言っているが、最近になって知り合った看板娘が目当てで来店しているのは、傍から見ていれば一目瞭然だった。

周囲はなんだかんだ目尻を下げながら成り行きを見守っている。

商人の常連たち曰く、「リンは適齢期の終わりに差し掛かっているのに浮いた話が一つもない。看板娘に悪い男を寄せ付けたくない大将の気持ちもわかるが、嫁き遅れないか心配だ」ということだ。

そこにちょうど良い男の登場。

平民出身だが腐っても役人、生活の保証は間違いない。

なかなかの男前で、二十代半ばでリンの歳と釣り合いが取れている。

誰も彼も冗談半分の酒のあてに言っていることだ。

しかし、二人の距離感が近くなっていることは事実で。


「崖から落ちて、溺れてたところを助けられた、ねぇ」

「うん。ハンの旦那とシャオ老師には本当に感謝している」


リンがこの町に居着いた経緯を話す程度には気安い仲になっていた。

崖から落ちた理由は言えないが、それ以降のことなら大丈夫と判断してのこと。

けして邑のことは口にしない。


「老師、ってこの近くの診療所のじいさんだろ?」

「そう。時々人を食ったようなこと言うけど、良い人だよ」

「そうなのか」

「あんたはこの町出身じゃないのか?」

「おう。ここから車で3日の田舎の村出身だ。十五の時に地方神殿の試験を受けて訓練兵になった。ここには三年前に異動してきたばかりだ。っと、炒飯おかわりくれ」

「相変わらずよく食うな」

「美味いからいくらでも入る」


店には客がスエンしかいない。

夕方になれば満席になるが、あくまでこの店は宿屋。

昼の食事は他の店を利用する者が殆ど。

スエンが奇特なだけだ。

大盛りによそった炒飯を再びかき込んでいる。


「崖から落ちたって、よく生きてんな」

「本当にな。大した怪我もないっていうんだから、自分の頑丈さが恐ろしいよ」

「化け物並みだな」

「もうちょっと言い方あるだろ」

「事実だろうが」


詰るような言葉だが不快感はない。

清々しいまでの遠慮のなさが心地良い。


「故郷に帰れないってわかって…………老師の紹介もあってこの店で働かせてもらってんだ。すげー頼み込んだんだけどさ」

「娼館に売られなかったってンなら、確かにシャオってじいさんは良い人かもな」

「うん。皆良い人だし、幸運だった」


身元不明で行き場のない女は色街に流れ着き、商売女として売り物になる。

リンも大将に拾われなかったら娼婦になっていたかもしれない。

……いや、また性別を偽って港の用心棒になっている気がする。

身元が確かでないリンを雇ってくれて、娘とまで言ってくれた大将たちに感謝している。

身元も理由も不確かな者が町中をうろうろしているのは不信でしかないだろう。

そういった輩が犯罪に走るのだから。

リンと同じように故郷をおわれた女性が居場所を求めて色街に行く姿を何人も見た。


「俺も……娼婦になった方がよかったの、か?」

「護衛ならともかく、その性分じゃ無理だろ。お前みたいなじゃじゃ馬を飼う主人のが苦労しそうだ」

「だから言い方」


スエンは、どこまで本気かわからない冗談を残すが、料理は一欠片も残すことなく平らげ、店を後にした。

スエンの気持ち良いまでの食べっぷりは店主や女将にも気に入られており、役人だろうがお構いなしに大盛りや一品付け加えるなど贔屓をされている。

スエンも店主の贔屓に気付いているので少しだけ多めに払う。

双方に利点があるならリンが口を挟む理由もない。

また明日、大盛りの料理が机に並び、少し多めの金を受け取るんだろうな、と思った。




昼が過ぎ、陽が傾き始める頃、一日の仕事を終えた港の人夫たちが酒屋にやってきた。

いつもの酒といつものつまみを注文して、わいわいと騒ぎ始める。

いつも通りの光景。しかし、いつもとどことなく違う気がした。


「……だよな」

「でもよぉ……」

「しかし……」


抑えた声で話していると思ったら、チラチラとリンに視線を向ける。

リンに用があったわけではなく、話の内容がリンに関係することだと想像がついた。


「なんだよ。言いたいことがあるなら言えばいいだろ」


そんな態度を良しとしないのがリン。

堂々と正面から聞いた。

男たちは顔を見合わせ、話すことを決めた。


「今日さ、海沿いの西門に人が倒れてたって話を聞いてな」

「他所者らしくて。ほら、前に魔憑きが出ただろ。あれで、皆警戒しちまって、そいつを追い出せって一部が騒いでたんだ」


港町に余所者が入ってくることは珍しいことではない。

港は交易の要だ。物も人も次々と出入りする。

それらは正規の手続きを踏んで町に入ってくるものだが、時々荷に混じって良からぬものも混じっている。

門で倒れていたというなら、町に入る手続きができないのだろう。

良からぬものではないかと噂が立っているのだ。


「へぇー。そいつは今は?」

「シャオじいさんとこに運ばれたらしい」

「老師のとこに?」

「そうそう、全身傷だらけでな。それで、なーんか二年前と似てるな、って話してたんだよ」

「なるほど」


それでリンを見ていたというわけだと合点がいった。

二年前、西側の海で溺れていたところを助けられた。

衰弱して気を失い、シャオ老師の診療所に運ばれた。

ここまではよく似ている。


「どんな奴だったんだ?」

「おっ、リンちゃん興味あるのか?」

「役人の旦那と良い仲なんだろ、浮気はいけねぇぜ」

「はあ? あいつとは店で会う知り合いってだけで、そんなんじゃないってーの」

「またまたぁ」


揶揄う気満々の客たちを睨み付けて黙らせる。

スエンとは友人、世間話をする程度の知り合いだ。

彼らが疑うような親密さはない。


「で! どんな奴なんだ」

「直接見たわけじゃねーから、若い男ってことくらいしかわかんねーよ」

「あと鎧着てたらしいから軍人か、って言われてたな」

「意識がないから役人たちも聞くに聞けないってな」

「……そうか」


鎧を着た若い男と聞いて、邑の民が他にも流れ着いたのでは、と咄嗟に浮かんだ。

他でもない、リンがそうだったのだから。

しかし、あるはずがない。

邑の海は年中荒くて危険。

運良く荒波を乗り越えても、邑から港町まで三つの山脈と都の神殿が管理している運河を有する町がある。

ここまでくるのは容易ではない。

神殿お抱えの軍人だって、海で溺れることだってある。

だが、大陸中の噂が集まる港町にいても、大きな争いがあった話は聞かない。

若い男が怪我を負って海に流れてくるとしたら、近隣の農村の警備兵か船乗りの護衛が海に落ちたか。

一番考えられる線だ。

もし、邑の民が来たとしたら、森を迂回して町に入ったと聞いた方が信憑性が高い。

魔の森に沿って海から進行したのなら、山越えよりも早く着くのではないだろうか。

ありえないと頭を振る。

魔の森に入って魔に遭遇しないはずもなく、魔が人を生かすはずがない。

邑の民でない。

少なくともクロウではない。

あんな目立つ男、二人といないのだから。

結局、邑とは無関係だと結論づけ、酔っぱらいたちの話に付き合った。

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