港町 11

酒場の開店は商業区の店が流行りだす昼前。

夜仕事の娼婦たちが朝食に利用する。

酒場だというのに軽食を注文し、好きなだけ喋って帰っていく。

近所の食堂が混みだすと酒場の人気が少なくなる。

宿の客も皆出かけて行くので、部屋の掃除と夜に向けての仕込みを始めるのが日常だ。

昼刻にまったく客がいないわけではない。

一日に一人二人は空腹を満たしに訪れる。

酒を出す店が町中にある所為か、昼間から入り浸って酒を浴びる客は殆どいない。

純粋に大将の料理を目当てにする者のみ。

時には近所の馴染み相手に食事を届けたりもする。


役場から戻ったリンは、主人たちの計らいで夜まで休むよう言い渡された。

深夜に寝込みを襲われ、朝方まで役人に捕まっていた所為でまったく眠っていない。

頭は冴えていたが体は疲れていた。

ありがたく横になって休む。

日が傾く前に起き出し、身支度を整えた。

帰ってそのまま寝台へ直行したので、昨晩のままの格好で接客はできない。

水桶をもらって全身を拭き、綺麗な衣装に着替えた。

酒場へ入るといろんな人がリンの姿を見た途端、ドドッと詰め寄った。

夜の常連である商人たちはもちろん、朝早い漁師や港の人夫、近所の店の若手や奥方たちまでいるではないか。

リンを取り囲んで我先にと言いたいことを言うものだからうまく聞き取れない。

皆リンを心配して顔を見に来たらしいことだけはわかった。

そして、魔憑きのことを聞きたがった。


港町ではこの二十年近く魔付きが出ていないらしい。

町の出入り口である関所は役人が常に見張っており、神官の炎が絶えず設置してある。

魔が住んでいる地からも遠く、周囲に大きな村がいくつもあり、滅多に港町に入ってこない。

リンより若い世代は、魔が実在することすら怪しんでいた。

大人たちも魔憑きといえば弱い小動物くらいしか見たことがないという。

悪と言えば暴漢や盗人の方が馴染みがある。

それくらいに、魔に縁がない町だった。

昨晩出た魔憑きは人。数日前まで町を彷徨いていた旅人だ。

荒事といえば、人同士の喧嘩。

なので興奮と興味を覚えるのも致し方ない。


「繁盛してるな」


男が一人、人の波をかき分けて入ってきた。

昨夜リンを引き止めていた役人のスエンだった。

朝別れた時とは違う衣装を着ている。私服なのだろう。


「いらっしゃい」

「よう。席がないなら改めるが」

「えっと……」

「大丈夫だ」


厨房から大将が顔を出し、リンの顔を見にきただけの輩を営業妨害だと追い出した。

残ったのはすでに酒が回っている常連ばかり。

他の人たちは、リンの無事な姿が見れただけで満足して帰っていった。

朝早くから活動する輩たちは少し残念そうだったが。


「注文は?」

「きつくない酒と、腹にたまるもんをくれ」

「湯餅か蒸餅はどうだ?」

「なら饂飩(ワンタン)を湯で。中身の肉多めにしてくれ」

「了解。酒を先に持ってくるよ」


スエンが頷いたの見届け、リンは厨房へ酒を取りにいった。

常連たちがよく飲む濃度の高い酒は近くにあるが、スエンが注文したような酒はあまり出ない為、奥に貯蔵されている。

常連たちの視線がスエンに集中する。

この店に来る客の八割は常連だ。

馴染みのない男がリンと親しくしているのが不思議らしい。


「仕事中に酒とは、いいご身分だな」


リンが碗を置きながら話しかけた。

娼館の時も、昨夜の魔憑きの時も深夜だった。

スエンが夜勤が多いことを知っている。

役人がどういう勤務体制か知らないが、何の用もなく初見の店にくるとは考えにくい。

リンに用があって来店したと推測できる。

スエンの顔が歪んだ。


「非番だ。休みにどこで何を食おうが好きにさせろ」

「……もっともだ。初めて来る店であんたが何を食べようと俺に関係なかったな」


スエンが苦虫を噛み潰したような渋面を作った。

腹のさぐり合いは時間の無駄だと悟ったようだ。


「…………上がりはいつだ?」

「最後の客見送って、片付けが終わった後だな」

「あぁ、住み込みっつってたな」

「聴取するなら昼にしてくれ。その頃なら手が空いてる」

「聴取じゃねぇが、わかった」


頷いて、スエンが酒を煽る。

一口飲んだだけで咽せた。


「おい!?」


一番弱い酒を選んだつもりだったのだが、口に合わなかったようだ。

慌てて水が入った碗を渡してやる。

スエンは水を一気に飲み干した。尚も咽せる。


「っ、久しぶりだから……喉が驚いただけだ」

「無理に飲まなくても……」

「酒場に来て飲まないのは礼儀に反する」


義理堅い性分なのだろう。

非番なのにわざわざリンがいる店に来ることもそうだ。

食事を口実に、詰所ではしにくい話を聞きに来たのだろう。

悪い奴ではない。

ただ、仕事に誠実で不器用な男だと思う。

不器用な男はきつくない酒をちびちびと舐めるように飲んでいる。


「酔っ払って帰れなくなっても知らないからな」

「……それは困る」


陶器の碗にたっぷり入った肉入り饂飩を机に置く。

小麦を練った皮で粗めに刻んだ肉を包んだ饂飩の湯。辛めの湯が饂飩に合う、常連が締めによく注文する人気の品だ。


「美味い」

「だろ? 俺も好きなんだ、大将の飯」


湯気が立つ熱々の饂飩を掻き込み、湯を飲み干す。

湯だけでは足りなかったようで、他にも炒め物を二皿と炒飯を注文した。

出された食事があっという間に消えていく。


「東の食堂の飯がこんなに美味いなんてな」

「いつもは何食べてんだ?」

「西端の屋台が多いな。見回りついでに饅頭かぶりついてる」

「あぁ、俺も偶に食べるよ。青菜入りやつが美味い」


鉄板で焼かれた饅頭は間食にちょうど良い。

皮に染み込んだ油が腹にたまりやすく、少ししつこいが安価で一つで満足できるのだ。

スエンはきっといくつも食べるのだろう。

商業区の北側にはそういった露店屋台が軒を連ねており、手軽な軽食や持ち帰りの包子を包んでくれる店が多い。

役場は町の北側にあるので、商業区の見回りはまずそこを通るのだろう。


「リン、色男ばっかり相手してないでオレたちも構ってくれや」

「そうだそうだ。リンが注いだ酒じゃないと味がしないじゃないか」

「はいはい。ったく、しょうがない酔っ払いたちだな」


リンはスエンから離れ、常連たちの碗に酒を注ぎにまわった。

表面上は困った顔を作っているが、彼らとの会話を楽しんでいる。

天性の人懐っこさから可愛がられているのだ。


「また来る」


スエンは料理をすべて平らげ、退店していった。

その足はわずかにふらついていた。




翌日、スエンは警告通り昼に店に来た。

店は昼前に開く。

務めを終えた娼婦たちと共に賄いを取り、町の診療所へ食事を届けに行く。

桶を片手に店に戻ったらスエンが食事をしていた。

机には何枚もの皿が並べられており、すでに空になっている皿もある。

昨夜も思ったが、スエンはよく食べる。

リンを軽々越す上背に鍛えられている肉体、仕事柄にも食欲旺盛になる要素はある。

大将に断りを入れてスエンと同じ席に着く。

二人分の茶を淹れた。


「さて、わざわざ来て何が聞きたいんだ?」


簡単な聴取は済んでいる。

話すべきことはすべて話した。

まだ聞くことがあるとしたらリンの過去か剣のことだろう。


「何って、単にここの飯が気に入っただけだ」

「おい」

「ははっ、通じねぇよな。聞きたいことは、あの魔憑きのことだ」

「魔憑き?」


予想外の質問にきょとんとしてしまった。

魔憑きについては何も知らないと答えたはずだ。


「都じゃ知らんが、ここで人の魔憑きなんて滅多にねえ。初めてっつってもいい」

「らしいな」

「魔憑きについて詳しく知らんが、簡単に町の中に入れるか? 極端に炎を怖がるってーじゃねぇか。誰かが手引きしたって思うのが自然だろ」

「一理あるな」

「町の外から来た身元がよくわからん奴だって話だ。そんな奴ここじゃ珍しくもない」

「港町だからな。人も荷も珍しいものばかりだ」

「ああ。んで、そいつは人を探してこの町に来たらしいんだが、その探し人とやらはお前じゃねぇのか、と思ってな」

「根拠は?」

「ほとんど勘だな。他所から来た奴ってことと目つきが悪いってこと」

「喧嘩売ってんのか?」

「あと、お前だけを狙って襲われたことも理由だな。それに、地方神殿の遣いから言われたんだが」

「地方神殿?」


神殿は都以外にも存在する。

大陸は広い。

魔が住み着いている土地は複数存在し、人々を脅かしている。

神殿の本拠地は都の大神殿だが、神官が滞在している町は複数あり、都以外の神殿は地方神殿と呼ばれている。

神殿は一つの組織であり、大神殿から地方神殿へ神官を派遣することで広大な大陸の大部分を治めている。

邑にも神殿はあるが、それらとつながりがない。便宜上、神殿と呼んでいるだけの施設だ。

港町のような都から遠い地方都市は近隣の地方神殿が統治し、炎の供給も地方神殿に住んでいる神官から貰い受けている。

役場があるような大きな都市は関所を通る際、身元を確認する。

特に家名持ちの身元を調べる際、役場に籍がなければ地方神殿に問い合わせる規定だった。


「少し前に問い合わせたんだ。その返答が今朝方来てな。魔憑きは関所でホ家と名乗ったらしいんだが、地方神殿からはそんな人物はいないと返答があった」

「ホ家……」

「都で鍛冶屋をやっている大きな家だ。十数年前に戸籍が抹消された人物と同じ名前らしい」


リンの背中に冷や汗が流れた。

あの男はやはりホ家の者だった。

家名を名乗ったのであれば役人たちが調べるのも当然。

十数年前に戸籍が抹消されているはずの男が生きていると、都の神殿に知られるのはよろしくない。

同じ頃に姿を消した者は大勢いる。

リオンと共に家名持ちのいくつかが揃って神殿から籍を抹消している。

籍のない放置街からの移民たちならまだしも、都に籍を持っていたホ家とは。

どこまで知られている?

男の足取りを追ってクロウが生きていると知れたら?

大神官の耳に入ったら?

一昨夜に頭をよぎった不安が蘇る。


「鍛冶屋と、神官しか許されない色の剣を持ったお前。つながりがあるんじゃないかと推測した」

「…………」

「おい、顔色悪いぞ」

「いや……その……」


咄嗟の返しが思い浮かばずまごまごと言葉を探す。

頭が働かない。

何を言ってもすぐにわかる嘘しか口から出ない気がした。


「何のために詰所じゃなくてここまで来たと思ってんだ」

「え……?」

「地方神殿も、十年以上前に失踪した奴なんか調べねぇよ。使者が偶々知った名前だったって冗談半分で知らせてきたのを小耳に挟んだだけだ。たちの悪い悪戯だと思われてるさ」

「悪戯……」

「でも、そうか。ホ家か」


リンの顔が強張った。

リンの顔色で真偽を読んでいるようだ。

気安く話しているがスエンは役人だ。

上に報告する義務がある。


「言わねぇよ。ここには飯を食いにきて、お前と世間話してるだけだ」

「世間話でする話じゃないと思うけど」

「俺の性分だ。気になったことをそのままにしておくのはむず痒いっていうか、気になっちまうんだよ」


真面目で、義理堅くて、勘が鋭く、面倒見が良い。

クロウに少し似ているな、とリンはぼんやり思った。

髪が白いわけでも作り物のような美しさがあるわけでもない。

見た目も話し方も物腰も何もかも違うけれど、影が重なる。


「上には言わない。約束する」


だからだろう、スエンの言葉は信じられた。

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