港町 10

魔を祓う剣。

世に知られたら伝説級の宝剣として扱われるに違いない。

何百の魔憑きを斬った剣や歴代随一の武功を収めた将軍の戟など、有名な数々の武器は神殿が所有し管理している。

それらの武器は丈夫ではあるがただの業物。

リンが持つ剣は神官の力が宿った剣。

そんな物、大陸中を探しても二つとない。

故に知られるわけにはいかなかった。


「そ、んなわけないじゃん。見間違いだろ?」

「隠すの下手か」


目をそらした上に声が裏返った。

どんなに鈍い者でも嘘を言っているとすぐにわかる。


「光ってたのを見たのは俺と一緒にいた奴らだけだ。魔憑きに火がついてたし、見間違いだって誤魔化すことはできるだろう」


スエンはガシガシと頭を掻き、椅子に寄りかかった。

思ったより悪い状況ではないようでとりあえずほっと息を吐く。

無意識に握った指が白んでいると気づく余裕が生まれる。


「お前、二年前に来た余所モンだろ?」


再びぎくりと体が強張った。

スエンの目に探るような嫌な気配はない。

ただ疑問を口にしただけのようだった。

咄嗟の言い訳が浮かばず、きゅっと口端に力がこもる。

それが言葉よりも真実だと言っているものなのだが。


「まともな調書が残っていない所為で怪しまれてんだ。そこに今回と前回の騒ぎ。連行される理由になるだろう。さらに剣を所持してるってなりゃ、上も放っておくわけにいかねぇってなるさ」

「なるほど」


目をつけられたのはリン自身に問題があったようだ。

咎められるのも嫌だが、素性を明かすのはもっと嫌だ。

リンの素性はクロウの生存が都の神殿に知られることに直結する。

都の神殿に知られ調べられたら、クロウを追って刺客が放たれるかもしれない。

都を出ても道中クロウやリオンを狙う者がいた。すべてルオウたちに返り討ちされたけれど。

まだ都の神殿がクロウの命を諦めていなかったら。

背筋にぞくりと寒気が走る。

クロウの為に離れたのに、離れたことで迷惑をかけることになってしまう。

せっかく築き上げたものをリンの所為で壊してしまうかもしれないなど考えが及ばなかった。

適当な身分でも作っておけばよかったのに、不器用なリンではすぐに襤褸が出る。

詳細を言えない、もちろん剣を渡すことはあり得ない。

現時点で詰んでいるのではないか。


「取って食やしねぇよ。上にも報告してねぇし」

「あんた役人だろ。俺の身柄が神殿に預けられるって話じゃないのか?」

「色街のモンならさほど調べも入らないっていうのに。あそこはそういう場所だからな」

「…………もしかして、庇ってくれようとしてたのか?」


スエンはリンを娼婦だと決めつけていた。

初めに会った場所が場所なこともあるけれど、何度説明しても女らしくしろ、娼婦だろう、と頑なだった。

今の言い方では娼婦の方が都合よく誤魔化せる、と言っているようなものだ。


「流れ者がみんな悪い奴じゃないし。お前がやったことは、褒められることだろ」


娼館で暴れる客から娼婦を守った。

寝込みを襲われ、宿に迷惑がかからないよう港まで逃げ、魔憑きとなった男を屠った。


確かに、善行と呼べるかもしれない。

どちらも自己満足と自衛のためにやったこと。

邑では当然のことだった。

だから素直に褒められるのはむず痒くなってしまう。


「褒められるべきだが、女が剣を振り回すのはよくねぇ。だから剣を寄越せ」

「結局そこに戻るんだな」


スエンの心象が良くとも結論は変わらない。

ただの町娘が剣を所持していることを許可してくれないらしい。

どうしたら回避できるか思案する。

深く詮索されず、佩剣しても不自然でない、町にいられる身分は。


「あ、港で人夫……」

「男に混じって荷下ろしする気か、その細腕で!」

「じゃあ港で用心棒」

「大人しく剣を渡せば済むだろう! 何故そこまで拘る!?」

「これだけは手放せないんだ」


ぎゅっと愛剣を抱きしめる。

スエンは目を細めてじっと剣を見た。


「……神官から賜った逸品か」

「わかるのか?」

「朱色の品なんて、神官から下賜されたもの以外ないだろう」


鞘は朱色に染めている。

邑ではクロウの傍にいるのが当たり前だったので誰も気に留めなかった。

魔が強くなる夜は不安を殺すように抱いて眠る。

町中で人目に晒すことは殆どなかった為、頭から抜けていた。

朱は神聖な色。神官に認められた色。

使い込んでいるので落ち着いた色合いになっているが、元の色はもっと鮮やかだとわかる。


「おまえ、本当に何者なんだ?」

「…………ただの迷子だ」

「迷子、ってこら。迷子になる前のことを聞いてんだよ」

「想像に任せる」

「答えになってねぇな」


当然だ。はぐらかすことしかできないのだから。

さらに剣を奪おうと手を伸ばしてきたので壁際まで逃げた。

力づくでこの場から逃げても構わない。

けれど、今度は店に迷惑がかかってしまう。


「何やってるんです?」


戻ってきたカオは呆れた目でリンたちを見ていた。

傍から見たらスエンが女性を追いつめたように映るだろう。


「同意なき行為を職場でするのはちょっと……」

「違うっ!」

「冗談はさておき。あなたを解放します。どうぞお帰り下さい」


カオが呼び出されたのはリンの身元についてのようだ。

どうやら口添えした人がいたらしく、おかげで釈放された。


「やあ、こんばんは。災難でしたね」

「ご主人でしたか」


リンを迎えたのは世話になった娼館の主人だった。

大きな娼館の主人は町で顔が利くらしく、役場にも二言三言で話を付けた。

守銭奴で争い事に口を挟まない質の男が、リンの為に動いたことが意外で殊更驚いた。


「うちの女たちから頼まれてね。世話になったし、これで貸し借りなしにしましょう」

「貸しにしてくれても構わないのに。でも助かりました」

「そんなことアタシに言っていいんですか? うっかり売ってしまいますよ」

「う、裏方なら手伝いにいきます」


主人はリンの身柄を引き取るとさっさと店へ帰っていった。

剣の没収も保留となり、一先ず安堵を吐いた。目隠しの為に布で包んでおく。

深夜だったこともあり、詳しい聴取は後日となった。

とりあえず釈放され食堂に戻る。

夜はすっかり明けており、まっさらな陽の光が射し始めている。

大通りは港からの朝一の荷を運ぶ男たちが行き来している。

開店準備に追われてどの店も人の出入りが多かった。

リンが身を寄せている食堂は大通りから東側、中路沿いにある。

宿屋を兼業しているので朝一番で部屋を引っ払う客が起き出す頃である。

リンがバタバタと騒いだ所為で迷惑をかけてしまったと思うと、少々帰りづらい。

店の前、いや東地区の目抜き通りは人でごった返していた。


「リン! 大丈夫だったか!?」

「魔憑きが出たんだろ?」

「あの怪しい旅の客だったっていうじゃないか」

「襲われたんだろう? 怖かったねぇ」


リンの姿を見るなり近所の商店や客たちが詰め寄った。

皆揃って心配顔をしていたので苦笑してしまう。


「大丈夫だって。心配してくれてありがとう」

「お役人に何か言われたんじゃないのか?」

「リンは被害者だってーのにしょっぴくなんて、ひでぇ連中だ」

「そうだそうだ!」


港町の商人たちは耳が早い。

わずか数刻前のことなのに、もうみんな知っているようだった。

ただ、魔憑きを退治したのは役人で、リンは逃げただけということになっていた。

内輪意識の高い町民たちが余所者のリンを案じるほど受け入れてくれている。

嬉しかった。


「さあさあ、こんなところで油売ってていいのか? 開店前で忙しいだろ。行った行った」


この場を解散させて食堂に入る。

客席に女将が、厨房で主人が開店前の仕込みをしていた。

リンが入ってきたとわかると、二人は手を止めて注目した。


「えっと、ただいま……」

「おう」


主人がぶっきらぼうに返事をする。

元々愛想がない人柄なので、これでは怒っているかわからない。

じわじわと不安が湧き上がってきた。


「あの……すんませんでしたっ!」


リンは勢いよく頭を下げた。

店に迷惑をかけたのは事実なので謝るのが正解だ。

この店が好きだ。できればずっとここにいたい。

大将も、女将も、客たちも大好きだ。

邑に二度と帰れないと覚悟した時、終の場はこの町が良いと決めていた。

二年前と同じになってしまうが、許してもらえるまで何度でも頭を下げるつもりだった。


「リン……」


顔を上げると女将に抱きしめられた。

何が起こっているかわからずリンは呆然としてしまう。


「おかえり。怖かったねぇ」

「よく帰ってきた。無事で何よりだ」


主人にくしゃくしゃと頭を撫でられた。

ますます困惑した。

状況が飲み込めず目を瞬かせる。


「……怒らない、の?」


てっきり出て行けと言われると思っていた。

客商売の店で魔憑きを入れたとなれば悪い評判が立ってしまう。

ただでさえリンは余所者だ。

厄介事を落ち込む従業員は切り捨てられるべきだった。


「あんたはもううちの家族だよ。娘を心配しない親がいるもんか」

「そうだ。よく働く看板娘を追い出す方が損失だ」

「俺、ここにいても、いい?」

「当たり前だ」


胸の奥がきゅんと熱くなった。

必要としてくれることが嬉しくて、妙に胸が踊る。

この感情を伝えたくて、女将をぎゅっと抱きしめ返した。

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