過去 3

「クロウ!?」

「……騒ぐな。少し切れただけだ」


遅れてきた痛みにクロウは腕を押さえた。

薄地の上着の袖が切れ、一閃の傷ができていた。

出血量から傷口は浅く、ほどなく血は止まるはずだ。

おそらく傷跡が残ったとしても薄いだろう。


「クロウ様、お怪我を!?」

「問題ない」


焦って駆けつけたルオウがクロウの前で跪く。

クロウは邑の至宝、魔を滅せられる炎を生み出せる次期神官である。

擦り傷でも惨事になってしまう。

自傷でも周囲に責任が及び、他傷なら打ち首になる程に。


リーが握っていた剣がクロウの足元に落ちている。

刀身にわずかに血が付いていた。

クロウの傷は左の上腕。自分で傷つけるには無理がある。

現場を見ていなければ明らかに他傷と捉えるだろう。


「リー!」


言いつけを守らなかった弟子を睨みつける。

本気の怒りが乗った鋭い眼光にリーは身を竦ませた。


「やめろ。事故だ。リーに悪意があるわけではない」

「承知しております。リーはあなたを害したりしない。しかし私の言いつけを破り、あなたに傷を付けたのは事実です」

「こんな傷、すぐ治る」

「もちろん治療致します。問題は、他者の手によってあなたが怪我を負ったことです」

「俺は気にしない」

「あなたが気にしなくても、他の者に示しがつきません。リーだから庇うのでしょう? これが名も知らない、この邑の者でもないただの民を庇いましたか? あなたが神官という身分だとお忘れなく」

「まだ神官ではない!」

「神官の血を受け継ぎ、炎を生み出せる。あなたが神官でなく誰が神官であられるか」


クロウもルオウもどちらも一歩も引かない。

くい、とクロウの袖をリーは弱々しく引いた。

つり上がり気味の大きな目からぽろぽろと涙をこぼす。


「クロ……ごめ……っく」

「泣くな。大丈夫だから」


直後、リーは真っ青になって震えていた。とんでもないことをしてしまったことだけ頭にあった。

心にあったのは恐怖。

一番大切な人を自分の手で傷つけた事実がただただ怖かった。

じわじわと迫る負の感情と自分を庇うクロウを見て涙が出た。

悪いことをしたことを謝らなければと言葉を紡ぐごうとするが、嗚咽で言葉が詰まってしまう。

どんどん溢れてくる涙をクロウが拭う。


「こうしてリーも反省している。もういいだろう」

「しかし……」


広く知れ渡る前に事を収めたいクロウとリーを正しく罰しようとするルオウ。

本来なら神官を害した者には事の大小関わらず等しく死罪が科せられる。

ルオウとてリーに重い罰を与えたいわけではない。しかし、一人の例外を作ってしまえば、以降も許さなければならなくなる。



「大事ありませんか、神官殿!」



突如、第三者が割って入ってきた。

ここにいる誰よりも高価な衣服を身に着けた中年の男。

小走りでクロウたちに近づいてくる。


「カン殿。何故ここに?」


都の神殿で執政の一画を担っていたイ家の次男。家長である長男より独立し、リオンを追って邑へ居着いた。神殿より北に居を構え、妻と三人の子、多くの使用人を抱えている。

リオンに付いてきた者たちの中で一番家格が高い家柄だった。

クロウの前だというのに、礼もとらずルオウに食って掛かる。


「たまたま通りがかりに見ていただけだ。それより、そこの避難民が神官殿に刃を向けていたではないか。だから反対だったのだ、避難民に武器を持たせるなど。こんなことはあってはならんっ! とにかく其奴は即刻処刑すべきだ!」


カンはものすごい剣幕でルオウに詰め寄る。何が何でもリーを罰しようとしているようだ。

渦中のリーは『処刑』という言葉にますます顔色を悪した。

クロウは恐怖で震えるリーの手を握った。指先が血の気を失ったように冷たい。

気が動転していたリーはびくりと怯えたが、クロウの手だとわかるとリーも握り返した。

尚もリーを責め立てるカンから隠すようにルオウとリャンが背に庇った。


「なぜ庇い立てをする? それは罪人ぞ」

「まだ子供です。即打ち首は言い過ぎではありませんか」

「その避難民は神官殿に傷を負わせたのだぞ。法に則り首を撥ねるのは当然のこと」

「早計だと言うのです。事故だというのは私も見ております」

「事故かどうか関係ない。神官殿が怪我を負ったことが問題なのだ」


イ家は執政に携わる家柄だけに、神殿が定めた法を熟知している。

官吏の中でも神官の右腕ともいえる古参の家格。

加えて、イ家は神官の生母を多く輩出する血統を持っている。

しかし、リオンは彼を側に召抱えなかった。

リオンの側近は彼が都にいた時からの直属の部下ばかり。クロウの事情を理解した上で付き従ってくれている信頼できる者だけで構成されている。

イ家のカンという男はリオンの信頼を得ていなかった。


「俺が許すと言っているんだ。其方は口を出さないでもらおう」


クロウは前に出てカンに対峙する。

カンにはこの場で止まってもらわなければならない。周囲に広まり、カンに同意する輩が出ないとも限らないからだ。

カンの眉が寄る。明らかに苛立っている様子を見せた。


「それに俺はまだ神官ではない」

「何を仰います。官弟殿は貴方が成人するまでの代理であると公言しているではありませんか」

「……それは叔父上を軽んじるということか?」

「め、滅相もございません……」


リオンを『神官』と呼ばないあたり本当にただの代理だと思っているのだろう。

神官は王であると同時に集落を守る最大の壁だ。ただの権力者ではない。

邑を守る石壁の炎はリオンが生み出したもの。

神官の血を引いているリオンは、邑を興し、代表として神官を名乗っている。きちんと神官の役割を果たしているのだ。

官吏になり損ねた家柄だけが自慢のカンに軽視される謂れはない。


「其方が納得できないのであれば叔父上に決めてもらうとしよう」

「官弟殿に、ですか?」

「この邑の執政に判決を願うのは不満か?」


クロウは冷えきった眼差しでカンを射刺した。

カンは思わず唾を飲み込んだ。二十以上も年下の子供に気圧されたのだった。

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