過去 2

魔の森には生き物がいない。

一説では、魔が生きている動物をすべて食い荒らしたとされている。また別の説では、魔を恐れた動物は皆逃げたと記されている。

どっちにしろ、魔が住む森は生物が住むに適さない場所である。




「魔憑きが出たぞ!」


邑のどこかで誰かが叫んだ。

魔の森と隣り合う邑では魔に侵された生き物が出る。

魔に触れたもの、魔が染み込んだ水や樹皮や葉を口にしたもの、経緯は様々。

鳥であったり野兎であったり、もちろん人にも影響を与える。


邑の南側でドカン、ドカンと大きな音を立てて石で築いた壁が崩されていく。

出た魔憑きは猪だった。

大人の腹くらいまである大きな猪は何度も石壁に体当たりを繰り返す。

石壁には等間隔で魔除けの朱炎が焚かれている。

魔に絶大な効果をみせる神官の炎ではあるが、魔憑きになると効果がやや薄れる。もちろん魔憑きも炎を苦手とするが、生物の本能が残っている分無理に通ろうとすればできてしまうのだ。


魔憑きが出たと聞いたルオウは部下を引き連れて現場へ向かった。

ちょうどクロウとリー、そして二人の兄弟子であるリャンが剣術の稽古を彼につけてもらっていた時だった。

中断してしまった稽古に、一番残念がったのはリーだ。けれど、魔憑きが出たのだから仕方ない。

ならば素振りだけでも、と提案したがそれも却下された。

大人がいない場で剣を振り回してはいけないと、以前から再三釘を刺されていた。

先程も、使っていた剣をすべて取り上げ籠に収めた上、この場を離れる前に動くなと指示して向かった。

訓練用に用意されている剣は木刀や刃が潰された殺傷力がないもの。とはいえ武器は武器。扱い方を間違えれば怪我を負う。

大人が見ていない時は触っていけないとされていたのだが、理解が飲み込めないのが子供というもの。


「リー」


呼ばれてリーはびくりと肩を震わせる。

振り返ると幼なじみが腕組みをしていた。

ぱっと見では無表情だがわずかに眉が寄っている。説教の前触れだ。


「ちょっとだけ……」

「駄目だ」

「リャン兄(にい)もいるし……」

「俺はまだ成人前だぞ」

「ねぇ、だめ……?」


諦めきれないリーは小首を傾げ上目遣いでクロウに懇願した。

この方法でお願いすると高確率で許可が下りると最近学習した。


「可愛い顔をしても駄目なものは駄目だ」

「ゔぅ……」

「クロウ様ぁ……」


リャンはクロウの漏れた本音に呆れた。

リャンにとってリーは可愛い弟分。可愛いは可愛い。

でもクロウのそれとは絶対に違う。

リーは気付いていないようだけれども。


この日の稽古は模擬戦の予定だった。

より実戦に近くなるよう二対二で使う武器は使い古した刃を潰した青銅刀。

魔と対する時は二人一組で当たるので連携の訓練も込めている。

ここ数日の訓練は体力づくりばかりだったので、リーは楽しみにしていた。

やっと対戦形式の稽古ができるのにおあずけになったのだ。気持ちが逸るのだろう。


「もう少し待てば師匠たちが戻ってくる。我慢しろ」

「…………はぁい」


リーは唇を尖らせながら剣が入っていた籠から離れる。

クロウとて体力づくりより模擬戦のが好きだし楽しみにしていた。大人たちの言い分も充分に理解している。

それに、自制が効くクロウより危なっかしいリーが怪我をする可能性が高い。触らせない方のが賢明だ。



魔憑きの猪狩りに苦戦してるらしく、半刻経ってもルオウたちは戻ってこなかった。

はじめは大人しく待っていたリーだったが、だんだんそわそわしてきたので、リャンが空手でできる筋力訓練をすることを提案した。

うずうずを解消したいが為に、リーはリャンに突進していった。リャンは難なく受け止めているが、危なっかしいのでクロウも混じって、習いたての対人訓練をはじめた。

さらに四半刻経ってもルオウたちが帰ってくる気配がない。

そろそろ焦れたリーは剣をちらちら気にしだした。

クロウとリャンは顔を見合わせ頷いた、リーが限界に達している、と。

しかしこれ以上気を紛らわせる手段が浮かばない。意識が完全に剣に向いていた。

部屋に戻って勉強、は即座に無理だと想像できる。リーの集中力は武術に極振りしている。


「しゃーねーなぁ。向こう見てくるから大人しく待ってろよ」

「リャン兄?」


この場をクロウに任せて、リャンは魔憑きが出た現場へ駆けていった。押しつけたとも言う。

リーはリャンを兄貴分として慕っているけれど言うことを聞くかといえば、聞かない。

命令として従うのはクロウとリオンの二人だけ。

クロウに任せておけば本格的に不機嫌になっても言いつけは守るだろう。


「クロウ……」

「リャンが戻ってくるまで待てるか?」

「うん」


リーは素直に頷いた。

返事とは反対に表情は納得できていない消化不良が前面に出ている。


何でも素直に自分の心を表すリーをクロウは気に入っている。

声に出さなくても空気で何を考えているかが手に取るようにわかる。

感情が顔に出にくいクロウにとってリーの素直さは好ましかった。くるくる変わる表情は見ていて飽きない。ずっと見ていられる。

神殿に連れてこられたばかりの頃は、周囲に怯え、いつもクロウのうしろに隠れているような子供だった。

三月が過ぎた頃には、もともとの性質であろう人懐っこさと旺盛な好奇心で、誰とでもすぐに打ち解けるようになった。

特にリオンの側近たちには全幅の信頼を寄せ、可愛がられている。


「師匠たち大丈夫かなぁ」

「大丈夫に決まってる」

「陽があんなに傾いた」

「壁が壊されたって言ってたから、修復の手伝いしてるんだろう」


クロウの袖が震える。リーがそっと握っていた。

顔を覗き込むと不安げに瞳を揺らしている。

リーの親は魔に侵され、自身も魔憑きに殺されかけた。魔の恐ろしさを身を以て知っている。

ルオウたちの心配をしているのだろう。


「師匠は強い。無事だ」

「うん」




ルオウたちが戻ってきたのは更に四半刻経ってからだった。

師の帰還に喜んだリーは、彼らの姿が見えると嬉しさのあまり言いつけを忘れて剣の入った籠から一本取り出した。

大人が振るには小さいが子供が持つにはやや大きめの薄墨色の刀身を持つ剣。

やっと稽古の続きができる、とついやってしまった。


「リー! 剣を離せっ!」


弟子の手にあるものを認識し、ルオウは一喝した。

訓練用の殺傷力がない剣とはいえ、武器は人を傷つける為のもの。扱う者に責任が生じる。だから子供が扱う時は大人の監視が必要だ。

リーがいる場所から手が届かない距離。何かあっては対処ができない。

ましてや、邑の宝であるクロウが傍にいる。


ルオウの声に驚いたリーの手から剣が抜けた。

勇足だったリーを止めるべくクロウが動いた時だった。


「クロウ様っ!」


誰かの声がクロウを呼ぶ。

悲鳴のようだった。


クロウとリーが気づいた時には、クロウの左腕から血が流れていた。

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