港町 7
振り下ろされた剣先は真っ直ぐ寝台を突き刺した。
「なっ!?」
男は唖然として、思わず声を漏らす。
確実に刺されていたであろう体は、寝返り打って刃を躱したのだった。
上半身を起こし、襲撃してきた男を睨みつける。
「あんた、町を出たんじゃないのか」
「起きてたのか……」
子供の頃から周囲の変化に敏感だった。
クロウを守ることが自分の役割。
彼のため、彼の役に立てることが自分にとって一番重要だった。
人の気配、魔の気配、微かな違和感を嗅ぎとってクロウに知らせていた。
長年染み付いた習性は邑から離れても変わらない。
寝る前、部屋に違和感があった。
鍵が緩んでいた。
衣服を入れた籠の位置が変わっていた。
自分以外の匂いがした。
日中は鍵をかけて客が入らないようにしている。洗濯も掃除も自分でやっているので、リン以外の者が部屋に入る前提がない。
探られているとわかった。
侵入者はおそらく旅人を装った男。
男が邑へ情報を持ち帰ったら、リンの居場所が知られてしまう。
邑へ帰るつもりはない。
他者を巻き込むことは本意でないので、話し合いで帰ってもらおうとしたら、まさか殺されそうになるとは思わなかった。
相手が怯んでいる隙に身を起こして、鞘のままの剣を構える。
明かりは窓の外の街の灯だけで室内は暗闇。
変な起こされ方をして頭はすっかり冴えてしまった。
ほぼ初対面な男の目的も実力もわからないので決着の付け方に迷う。
部屋で暴れたら宿泊客、延いては店主に迷惑がかかってしまう。
部屋に入ってきた男は再び短剣を振り上げ、真っ直ぐリンを狙った。
リンは剣を構えたまま身を屈め、足元の掛け布を手に取り、男に投げつけた。
「ぶわぁっ!?」
男の視界は布で覆われる。
反射的に短剣を振るい布を床に切り捨てた。
そこにリンの姿はない。
「……外かっ」
できた死角からリンは部屋を出た。
きっと男は追ってくる。
階段を駆け下り、店を出て、目抜き通りから大通りに出る。
店から離れ人気のないところへ行かなくては、と夜の街を走った。
すでに殆どの店は閉まっており、客取りの女が数人灯りを持って立っているだけ。
夜でも火が消えないのはどの集落も同じ。
但し、神官が常駐していないこの町を照らしている灯りは普通の火。
神官の炎は外との出入り口である門と役人の詰所、港の六ヶ所のみ設置されている。
魔は基本的に光が苦手である。
普通の火では魔を遮断する効果はないが、力を弱め寄せ付けにくくなる。
集落の開けた場所には必ず灯火台があり、雨でも絶えず集落を照らしている。
「待てっ!」
男が追ってくる。
リンは港に向かっていた。
夜明けまでには時間がある。
男の目的は、リンを探して連れ戻すことではなく、存在自体をない者にすること。
クロウがそんな命令を出すはずがない。
リンはクロウを誰よりも信頼しているし、クロウもリンに気を許していた。殺したい程憎まれていないはず。
リンや男の所為で邑の存在を外部に漏らすわけにはいかない。
大神殿にクロウが生きているとどこで知られるかわからないのだから、男を役人へ突き出す選択はとれなかった。
人の目に触れないよう町の外へ出たいが、門を守る役人の許可が必要。
夜は人気のない港に行く他なかった。
「きゃああっ!」
抜身の剣を持った男に驚いた客取りの女が甲高い悲鳴を上げた。
男は女に目もくれずリンを追っていく。
女も心配だが男の標的はリン。
チラチラ振り返り、男が追ってきているのを確認する。
そして背後は明かりが増えていた。
商業区に響いた女の声が住人を起こしてしまったのだろう。
おそらく役人に通報される。
役人は神殿から町の治安を管理する為に派遣されている。
神官の炎の守護や町の住民の管理、検問を敷いて人の出入りを監視したり町でおきたいざこざの取り締まりなど、特別な権限が与えられている。いわば簡易の神殿のようなもの。
夜の深い時間でも色街の時は迅速に対応された。
きっと今夜もすぐに駆けつけるのだろう。
「さて、どうしたものか」
殺される気はさらさらないが、何もわからず刃を向けられるのは釈然としない。
話し合いもなく刃物を振り上げられたのだ。明確な殺意があることだけはわかる。
港まできたものの、目の前は海原。海の中まで追いかけっこをする気はない。
逃げるのをやめ、防波堤の影に隠れた。ちょうど港を守る炎が届かない暗がりだった。
男の手にある短剣を奪いたい。
殺気を振りまいていて剣を持っている。振り回して人を傷つける恐れもあるし、役人に見られたら逮捕決定だ。聴取を受け、邑のことをべらべら喋られる前に町から追い出すのが最善策。
どうにか男の背後に回れないものかと思案する。
「くそっ、どこ行った」
男はキョロキョロと辺りを見渡し、港にある役所の出張所前でぴたりと足を止めた。
ぎくりと体を強張らせ、一歩、二歩後ずさる。
「?」
何かに怯んだ様子の男を不思議に思いながら、防波堤を乗り越えて男の背後に回った。
波止場に放置されている備品のうしろから男を観察する。
リンの目からは隙だらけに見える。
邑では武官から武術の指南を老若男女関係なく行われていた。
リンはクロウと共に武官長のルオウを師事していたので、他の指導者がどのように教えていたのかは詳しくは知らない。
けれど、日常的に襲撃してくる魔に対抗する為のものなので、戦えない者を育てるはずがない。
それにしては、な雰囲気がある。
「どこだっ! 出てこいっ!」
今にも殺しそうな気配を纏わせている者の前に素直に出ていく間抜けはいない。
見当違いな場所に何度も首を巡らせて、動くものを追おうとしている。
とてもではないが、邑で修練を積んだとは思えない。
とにかく短剣を振りまわし、当たった者すべてを傷つけようとしている。
声を出して騒ぐので港の夜番が異変に気付いてしまう。
すでに街の方は騒ぎになっているだろう。先程より灯りが増えている。
店の商品を賊に荒らされはかなわないと、起き出した者もいるはずだ。
これ以上大きな揉め事にしてはいけない。無効化しようと決める。
リンは一気に距離を詰め、男の意識の死角に素早く入り込み、手から短剣を叩き落とした。
「!?」
「ほら、こっちだ」
落とした短剣を拾い上げる。
肩を強く押して地面に倒した。
起き上がれないように腕を掴んで捻り上げ、肩を強く踏む。
「あんた誰? クロウが俺を殺せって?」
威圧を込めた視線と声色で男に問う。
男は抵抗しようとするが、上手く起き上がれず呻くばかり。
「足を退けろ! 避難民がおれを足蹴にしていいと思っているのか!?」
「……そっちの人か」
邑にも都かぶれが抜けない選民思想が強い者たちがいる。
リオンが新たな地の開拓をすると聞きつけ、クロウを利用して富を築こうとする野心家たち。
厄介なことに、名家出身者ばかりなので家固有の知識や技術を所有している。
リオンが彼らの移住を許したのは知識や技術を有用としたからだった。彼らは揃って跡目を継げない次男以下、もしくは分家の者たちだったが、知識や技術は本物だからだ。
彼らはそれを独占し、邑で都のような地位を望んだ。
地位も何も真っ新な状態からの国興しなのだ。そんなものあるわけがない。
リオンもクロウも邑の民は等しいものと説いたが彼らは真っ向から反対した。
中にはリオンの思想に賛同してくれる家もある。
けれど己の自尊心を守るため、首を縦に振らない家がまだいくつかあるのだ。
「誰の命令だ? イ家? ト家?」
「誰が言うか!」
「……俺を殺してどうするんだ」
「決まってる。お前の首を神官に差し上げるんだ。お前みたいな下賤を探せと命じたあの馬鹿な神官を諦めさせるため、ーーぎゃあああっ!」
「口の利き方には気をつけろよ」
リンは男の肩に拾った短剣を突き刺した。つい力がこもり、剣身の半頃まで埋まった。
もちろん急所ではないが、片腕がまともに上がらない危険性を孕んでいる。
「神官を馬鹿にできるんだ。お前様はさぞかしお偉い家柄なんだな」
「く、口が滑った……だけだ! け、剣を抜け!」
「滑った、ねぇ。胸中では思ってるって、ことだろう?」
「っひぁあああっ!」
リンは肩から抜いた剣を、今度は二の腕に突き刺す。
傷口からどくどくと血が溢れ、地面を濡らした。
穏やかな口調だが、背筋がゾッとするほど冷たい声色に男は涙目で懇願する。
「言わないっ! 謝るから、抜いてくれっ!」
「邑に帰って雇い主に伝えろ。クロウに仕える気がないのなら邑から去れ」
「わかっ……」
リンは男の腕から剣を抜き、抑えていた肩から足を退けた。
男は細く呼吸をしながら、のそりと起き上がる。
クロウに対しての暴言は許せないが、男は生かして邑に帰す。
そしてもう探すなと伝えて、
「……るわけないだろうっ!」
「なっ!?」
立ち上がった男の形相は、人間のものではなかった。
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