リン 19歳 港町3
港町 6
海に面する港町は交易の要所。
港で働く者、港付近で店を出す者、買い付けに訪れた者など、様々な人で溢れている。
港町と神殿がある町をつなぐ街道は、人の行き来が多い為、予算をかけて舗装されていた。
安全な街道があるだけで、人は港町を訪れる。それに近隣の集落も恩恵を得ていた。
物が集まる場所に人も集まる。つまり、人の流れが速い分、金銭の流れも速い。
所謂、観光の名所にもなっていた。
懐が温かい者の顔の明るさは、そのまま町の活気に繋がる。
町はいつも賑やかだった。
町には、街道に繋がる北の大門、居住区にある東門、港と商業区の間にある寂れた小さな西門、海の玄関口の港の四つの外部窓口がある。
街道から来た者は町の北の大門で検問を受ける必要がある。
港町は大きな町だが神殿はなく、神殿直轄の役所が設けられている。
役所は北門のすぐ近く。町を管理する役人が常駐しており、検問も役人の仕事の一つだ。
検問を抜け、道に沿って南へ行くと大通りに出る。
大通りは真っすぐ港に伸びている。
港には常に数隻の商船が停泊しており、桟橋は人の行き交いが激しい。
特に朝方は、東の海から荷が届くので人夫でごった返している。その為、荷がぶつかったやら足を踏んだやら小さな諍いが絶えない。
そんないざこざを仲裁するのも役人の仕事だった。
港を背にして大通り右手が東地区、左手が西地区。
東も西も、港から歩いてすぐに大小さまざまな店が並んでいる。何列にも渡ってある店々はまとめて商業区と呼ばれ、港町の生活に欠かせない商業の要。
大通り沿いを真っすぐ歩けば半刻弱で役所までいけるが、一軒一軒覗いてしまうと数刻あっという間に過ぎてしまう。
東地区は主に飲食できたり港からあがった魚を売ったりする食品関連の店が多く、西地区は衣服や装飾品や雑貨の工芸品が多い。
多いというだけでまったくないわけではない。
茶を飲みながらの雑貨の品定めは、婦人たちの間で流行している買い物方法だ。
西地区の奥へ進むと色街と呼ばれる色宿が集まる区域がある。
そこでは酒も一夜を慰めるための部屋もあり、独り寝が寂しい男たちがひと時を楽しむ為に足を運ぶ。
東地区にも西地区にも商業区内の「中路(なかみち)」と名付けられた目抜き通りで欲しいものがすべて揃えられる。
もちろん、商業区だけの町ではない。町の住民の居住区もある。
居住区は北門寄りに並び、東西で僅かながらの貧富の差が出来ている。
役所のある西地区と長屋が並ぶ東地区。歩いている人の服装で一目瞭然だった。
だがそこに、格差からの差別はなく、商業区の酒場で酒を片手に肩を組む姿すらある。
大通りから伸びる東の中路にある大衆食堂は、昼間から丸太のような二の腕を持った男たちが入り浸っている。
海で働く男たちの朝は早い。
夜も明け切らない刻限から港へ赴き仕事を始める。
昼過ぎには町に帰って、疲れ切った体と心を労るため酒を求めて食堂へ足を進めるのだ。
「まさかあんなことが起きるとはなぁ~」
「もう何度聞かせる気だ」
「オレも見てみたかったぜ」
男たちは酒の入った器を片手にある話題で盛り上がっていた。
酒がまわっているせいか声が大きい。
それが話の主役である食堂の看板娘の羞恥を煽る。
「もういいだろ。忘れてくれ……」
「いやいや。あんな見事な足技見たことないもんよぉ」
「口が悪いだけじゃなく足癖も悪いのか、リンちゃんは」
「あれは……致し方なく……」
五日前のことだ。
西地区の娼館の一つで客の男が暴れだした。
娼婦の一人の髪を掴んで引きずり回し店の庭で叫ぶ始末。
いくら悪酔いをしても店側の許容範囲を超えている。
暴漢に歯が立たない店の下男のかわりにリンが男を伸したのだった。
「駆けつけた役人に目ぇ付けられたんだって?」
「説教されただけだって」
「なんて?」
「……娼婦なら娼婦らしく淑やかにしろ、って」
「だっはっはっ! リンには無理だろ」
「違いない!」
客たちは大声で笑った。
リンがそこらの婦人のように女を武器にすることができない男勝りであることを皆知っている。
「そもそも娼婦じゃないから!」
「あン時は姐さんの袍着せてもらってたんだろう?」
「場所が場所だ。間違えもするさ」
「似合ってたぜぇ。天女かと見間違えちまった」
「……もういいよ、それは」
リンの頬が朱に染まる。
今まで、腕がいい、頼りになる、などの賛辞はもらったことがあるが、容姿を褒められることが一切なかった。
慣れない恥ずかしさから苦手にしていた。
そんなリンの様子をわかっていて客たちは揶揄うのだ。
リンは一日前から元いた食堂に戻っている。
娼婦や商人、港に出入りする顔なじみから、リンを探していた男が街から姿を消したと聞いた。
探し人がこの街にいないと諦めて出て行った可能性を考え、商人たちに聞き込みをしてもらい、北門を出たと目撃証言を得た。
情報をなにより重視する商人たちの情報網なので信用できる。
大丈夫と判断したリンは店に戻り、また食堂で働き出した。
働くのは良いのだが、あの場に居合わせた客たちによって話の種にされ、どんどん他の客にも広まっていく。
居たたまれない気持ちでいっぱいだ。
昼過ぎにやってきた客から始まり、店が閉まるまで々話題で持ち切り。
仕事終わりにやってきた人夫や漁師から賛辞を受け、日が暮れると商業区で店を構える商人に客層が入れ替わり、跳ねっ返りだと揶揄われ冷やかされるのだ。
噂は広まり、店の常連でない顔見知りにも同じ話題で声をかけられる。
曖昧に頷くしか出来なかった。
客を追い出し食堂が閉め、自室に帰るとぐったりと寝台に倒れ込んだ。
主に精神的疲労によって。
客たちはニヤニヤと笑い、飽きずにリンを可愛いと褒める。
嬉しいより先に照れがくる。
可愛い、なんて自分には似合わない言葉だと思ってしまうのだ。
この街に馴染めていると思う。
二年前、担ぎ込まれた時は、探るような視線を向けられていた。
人の出入りが激しい街だけれど、余所者がくつろげる街ではない。
常に無作法者に目を光らせなければならない土地柄で、歓迎されるのは金を落とす客。
仕事を求めてやってきても、店が容易に採用するのは身元が確かな者だけ。
海で溺れていた身元不明の少年など厄介事でしかない。
食堂の主人も、働きたいと言った時すげなく断られた。
今この店で働けているのは根気よく頼んだから。何度も何度も頭を下げ、仕方なく折れたと言っても良い。
おかげで働く場とともに、寝床と食事の心配がなくなった。
常連との会話も日に日に増え、今では可愛がってもらっている。
本当に幸運だった。
寝着に着替えて寝台に横になる。
寝転んだ傍らにあった愛剣に触れる。
鹿の皮を鞣して朱色に染めた鞘。
柄に近いところに白い糸で刺繍された炎の図柄は、邑の者ならば誰を示しているかわかるだろう。
この図柄を持つことを許されているのはリンと、一人だけ。
邑では至る所で見かけるけれど個人的に持つことはない。
リーが許されているのも理由がある。
「なんか、いつもより疲れた気がする……」
愚痴とともに大きな欠伸漏れた。
体力はともかく精神摩擦でかなり疲れていた。
瞼が重くなってきたので素直に目を閉じる。
ゆっくりと呼吸を整え、訪れる眠気に身を委ねる。
窓の外から喧騒に紛れて波の音が微かに聞こえる。
穏やかな波に羞恥で疲弊した心が洗われ、やがて意識が落ちていった。
* * * * * * * * * * * * * *
キィーーと小さな音を立てて扉が開いた。
隙間から身を捩らせ、そっと人影が侵入した。
片手に握る短剣は抜身。
室内に配置された物にうっかり当たらないよう、そっと足を進める。
薄闇を照らす灯り等なくても街から漏れる光だけで充分だった。
人影は真っ直ぐ寝台に向かった。
枕の隣に置かれている剣を見て目を細める。
「……じいさんの作品だ」
夜闇に慣れた目で確認する。
剣を収めている鞘は、朱色に染めた革に白炎の刺繍が施されている。間違いない。
父方の祖父が作ったものだった。
探していた人物はこいつだ。
掛け布を頭から被っていて表情が見えないが、穏やかな呼吸は眠っているもの。
男だと思っていた探し人は女だった。
神官の命令は『見つけて連れて帰れ』というものだったが、『生きて』とは言われていない。
だから父親は命じたのだった。
『生きて戻すな』と。
「悪く思うなよ」
男は短剣を振り下ろした。
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