邑 4(リオン視点)

神殿の行政区にあるとある棟、邑の執政の執務室がある。

執政を務めるのは先代の神官であり、邑を興したリオン。

都の神官たちと同じく鮮やかな朱色の髪を持ち、温厚な人柄で邑の住民から尊敬を集めている人物だった。

だが、身内からは違う姿が見える。

たとえば、


「ぉっと……あーあ、雪崩れた。チェン、そっち拾って」

「またですか。日頃から片付けろと何度も言っているでしょう」

「説教はあとで聞くから。あ、それ大事なやつ」

「まったく………………これ、先日なくしたと言っていた案件では? 私が何度言っても返答を得られず、再提出させられた、と記憶していますが」

「はっはっは。そんな所にあったんだねぇ」


机という机、棚という棚に書物や資料を溢れさせ、挙げ句、紛失させる困った性質を持つ。

また、好奇心に偏りがあり、興味がないものには見向きもしないが、興味がある物事には執着といって良い程拘りを見せる。

十年くらい前からのお気に入りは甥とその従者。反応が面白くてつい揶揄ってしまう悪癖持ちでもある。

偏愛ながらも、甥であるクロウを可愛がっていた。


「で、クロウがなんだって?」

「…………」


床に散らばる書類を掻き集めるチェンを哀れな目で見ているルオウに向き直った。

人が通る床にもいくつも書が積み上がっており、それらを避けながらやっと執務机に辿り着く。

まさに足の踏み場もない、一目で乱雑だと判断できる部屋だった。

リオンは不便と思っていないが、部屋を訪ねて来る者は皆、片付けろと言う。

大柄で見るからに大雑把そうな性質のルオウでさえも。

ルオウは確かに大雑把だが、道具の整備や自室の整理は丁寧で常にきれいな状態を保っている。

実家が工房であるが故、きっちり調教されたのだろう。


「三日後、クロウ様は森に赴かれる予定だそうで。自分が同行する様、実家から要請がありました」

「目的は……聞くまでもないか」

「まだ足を踏み入れていない、森の奥まで進むらしいです」

「ふぅ…………何を考えているんだ、馬鹿甥は」


クロウにとってリーは替えの利かない唯一の存在。

しかし、邑にとってクロウも替えの利かない神官だ。

二百人もの命はクロウにかかっていると言っても過言ではない。

クロウも、重々承知している筈で、軽はずみに自身を危険に晒す等もってのほか。

魔の森は、力のない人間にとって生気を吸われ肉体を乗っ取られる危険がある。

魔にとって神官は、何が何でも殺したい天敵。

対抗する力があるとはいえ、魔の懐に飛び込んでいくことは自殺と同意義だった。


「私は、クロウ様の気持ちがわかります」


書類を拾い終えたチェンが、書類を整え机に戻す。

不要になった書はきっちり抜いて。


「ラン……妻と娘が突然いなくなったら、何所へでも何年掛かっても探しに行きますよ、自分の足で」

「チェン……」


妻子のあるチェンは、都から共に邑へ付き添ってくれた家族を大事にしている。

チェンの実家は都で名家の一つである二家。二家は何人も大神殿に仕える官吏を輩出している名門。

チェンは二家の分家の生まれで、幼い頃より本家筋の同世代から、分家というだけで疎まれてきた。

自力で神殿まで上がったが、そこでも本家と比較され出世の見込めない日陰へと追いやられる。

鬱々としていたチェンに手を差し伸べたのがリオンだった。

やがて、都を出るというリオンに伴う際、血の繋がった家族を捨てた。

チェンと共に都を離れたのは、当時婚約したばかりの妻と、実家の使用人数名だけ。

彼らだけがチェンの家族だった。


「ほら、飛べない翼人は、番を歩いて見つけたでしょう」

「チェンの言いたいこともわかるけどね?」

「リーは男だぞ。例えがおかしくないか?」

「………………」


ルオウはリーが男だと信じている。

リオンは誰にも言う気はない。

口にして誰かに知られて良いことでもない。

仮に、リーが生きていて聴かれたのが邑の北側に住んでいる者だったら……

確実にリーを亡き者にしようと画策するだろう。


チェンはおそらく知っている。

彼の妻のランは、都にいた時から幼いクロウとリーの面倒を見ていた。

クロウたちにとって母親代わり、一番信頼の置ける女性だろう。

リーが自身の体のことで相談をするとしたらラン以外にいない。

彼女は口が堅く誠実だ。それに女性はなにかと大変だと聞く。

ランが知っていることを、チェンが知らないわけがない。


つまり、三人の中でルオウだけが知らないのだ。

根が正直なルオウに教えてやることはない。

何所で広まるかわからないのだから。


「あの子は、止めても行くんだろうねぇ」

「そう、ですね」

「仕方ない」


リオンは背もたれに体重を預け、天を仰いで大きく息を吐いた。

ぶつぶつと何かを呟き、やがて瞼を開いた。

前のめりに姿勢を起こすと、茶の瞳でルオウを射る。


「捜索を許す。但し、日が傾く前に戻ること。クロウの身に危険が迫るようなら足を折っても連れ戻せ」

「……些か過激では?」

「ああ見えても、考えてから動くという大人しい子ではないよ。足が動かなければ進みようがない」

「そうならないよう、しっかりお守り致します」


クロウに好きにして良いと言ったが、協力できるのはここまで。

邑の為にリオンが譲歩できる線引きだ。

リオンだって、可愛がっていたリーが生きていてくれたら嬉しい。

けれど、クロウの命を賭けるには及ばない。

邑を興す為に払った犠牲を考えると、クロウは特別だった。


魔を祓う白炎を生み出せる神官。


魔が蔓延る大陸で、何よりも価値のあるクロウの能力を失うわけにはいかない。

クロウを排除しようとしたリオンの兄たちの愚かさを嘲笑う。

リオンも炎を生み出せるが、クロウの白炎ではなく、朱色の炎のみ。

朱炎に魔を消す効力はない。魔が嫌い、本能的に避けるだけの効果。

邑はもちろん、都や主要都市の外壁に魔除けとして朱炎を設置している。

邑はクロウにとって何所よりも安全な場所になる筈だったのに。

たった一人の娘の存在が、邑を脅かしているなんて。


「あぁ、そうそう。リーを見つけたら、ちゃんと連れてきてね」

「御意」


ルオウは一礼をして下がっていった。

執務室にはリオンとチェンの二人だけになる。

リオンは机に肘を乗せて頬杖をつく。もちろん、机に積まれている資料の上から。

いろいろ考えることはあるが、今は新たに齎された問題で頭がいっぱいだ。

じっくり悩みたいが、横からの視線が気になり、思考に浸れない。


「……なに?」

「いいえ。よろしいのですか、ルオウに本当のことを告げなくても」

「全部顔に出るからねぇ。クロウのことも、リーのことも。私達だけ知っていればいいよ」

「さようですか」


チェンは涼しい顔で業務に戻っていった。

一つだけ片付けられた机でさらさらと筆を走らせている。


「ねえ」

「はい」


面白みのない顔を歪めてみたくて話しかける。


「私がいなくなったら探してくれる?」

「…………ご自分の半翼にお願いなさいませ」

「とっくにいないの知ってるくせに」


リオンは不愉快そうに唇を尖らせた。

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