クロウ 19歳 邑2
邑 3
神官の仕事は多岐に渡る。
武力の調整、法の制定、刑罰の設定、農作・漁獲・工芸などの産業管理、建造や採石などの土地整備、行商の受け入れ及び監査、教育に他にも様々な行政の執行を一手に引き受けている。
一言で云うなら『邑の運営』。
祭事の取仕切りなんていうものも神官の仕事だ。
中でも最重要業務は、炎を焚くこと。
神官以外にできない芸当だ。
神官の炎は特別だった。
ただの人にも火は熾せる。
火打ち石を使えば誰でも着火は可能。
煮炊きをしたり暗がりを照らす明かりとして日々の生活には欠かせない。
火と神官の炎は全く性質が異なる。
その炎は物質を燃やせない。特別な松明に移すことはできるが、神官の意思なしではできない。
熱さはない。温度を感じてもほんのり暖かいくらい。
着火材が必要ない。神官が念じただけで炎が生まれる。
人に害がない神官の炎だが、魔には絶大な効果を発揮する。
魔が炎に触れれば燃えるし、高温の熱を感じる。
それ故に神官の炎は神聖なものとして崇められていた。
神官は邑の要であるが全て一人で担っているわけではない。
神官を支えるそれぞれの官吏がいる。
軍務には軍務の、神殿内の公と私それぞれの、産業には産業それぞれの。神官が信頼する者に役を与え、さらに各長が彼らを纏める。
武官長を任されているルオウの実家は都で武具を製作する工房だった。
リオンの腹心の部下であったルオウと共に都を出て、邑で武具を一手に担う唯一の工房を開いた。
工房主はルオウの父親とその長男であるリャンの父親が支えている。
都で工房の名を広めた鍛冶士といえば先代だったが、邑に移転した際に代を譲った。
武具の製作に火が付き物であるが、邑で扱う武具はただの火では使い物にならない。
この地で取れる土や木、水に至るまで魔の影響を受け人体に悪い影響を与える。
神官の炎で浄化する為、クロウは度々工房を訪れて窯に炎を焼べる。
「いつもありがとうございます、坊ちゃん」
「……坊ちゃんはやめてくれ」
「ははっ、坊ちゃんがこーんな小さな頃から知ってんですわ。今更『神官様』なーんて呼びにくいったら」
「親父! クロウ様に失礼だろう」
老熟な腕を持つ先代工房主は豪快に笑った。
邑でも高齢者である彼に敵う者はこの場にいない。
衰えを知らない彼の気迫と長年培ってきた腕は今でも現役である。
「他に不便はないだろうか」
住民の意見を聞くのも神官の仕事。
不便なのは承知の上だが、負担は少ないに越した事はない。
職人たちは顔を見合わせ眉尻を下げた。
「銅が尽きそうですなぁ」
「剣と防具の備蓄は充分ですが、工具や建材に回す分はないですね」
ルオウの兄であるカナンが指を折りながら在庫を思い浮かべる。
隆々の肉体を持つ弟に比べ、兄はやや線が細い。その分手先が器用で、僅かな厚みの調整や細かな装飾を得意としている。
クロウたちの幼馴染みであるリャンの父親でもある。
「二年前の地盤割れで採取できた分が尽きちまったんですよね」
「今掘ってる場所は固すぎてこれ以上進めないと報告が上がっている。別の場所に移すか検討中で、しばらくこちらに回せる分が止まる予定だ」
「掘れる場所も限られていますからね」
皆一同に渋い顔を作る。
元々資源が少ない土地だった。
なんとかやってきたが、少ないながらにあった資源が枯渇してしまえば困ってしまう。
幸い急を要する資源ではないのでため息だけで済んでいる。
森の外へ掘りにいく事も可能だが、遠すぎる事が問題に上がる。
片道で半日以上。荷を運びながらではもっと時間が掛かる。
更に、魔に襲われる危険性がある為、易々と実行できる案ではない。
「資源に関しちゃあ、うちは待ちの姿勢ですわ。あと他には……ああ、ホ家ですかねえ」
「また何か?」
ホ家とは都の神殿が有している軍に武器を卸していた武具製作の名家だった。
ルオウの実家と婚姻関係にある家柄だ。
家に名を持つ家庭は少ない。
家の名は神殿から賜るもので、神官の血縁が降下したり、特別な貢献などで得る。
邑の工房は後者。ルオウがロの家名を賜ったと同時に、彼が愛用していた実家の武具を称え、工房もロ家と名乗る事を許されたのだった。まだ都に居を構えていた時の話だ。
長兄がホ家に婿入りをしたことにより、次男であるルオウの父が工房を継ぐことになった。
ホという家名に釣られたのか、ホ家の娘と恋仲だからか、どちらが先かわからない。ロ家の家名を賜ったのは長兄が婿入りしたずっと後なのだから。
リオンと共に都を出たロ家について、長兄夫婦と子供たちも邑に居着いた。
リオンが立ち上げた邑で武具を一任されたのはロ家。同じ縄張りだったホ家の居場所はなかった。
それでも邑の北区の端に小さい工房をつくり、時々武具を作っては神殿に持ち込んでくる。
武官長であるルオウの手前、ホ家が作ったものを受けとれる筈もなかった。
それに、品質はロ家が作るものに大きく劣ることも要因だった。
確かな目で査定しているにも拘らず、中傷紛いの文句を吐いて去っていく。
「そういえば、リー捜索に行かせた中にホ家の息子が混じっていたな」
「それです。そんな雑用じゃなくて工房を任せろ、うちの工房寄越せって」
「広い集落ではないから同じような工房はいくつもいらないんだが……」
ロ家の面々が頷く。
そもそも工房にしろ店を開くにしろ、神殿の許可を得るのが常識であり、ホ家は申請すらしていない。
取り締まるまででもないが、神殿の許可のないままの運営は信用される筈もなかった。
「たとえ分散させるにしても数が知れてますし、分けられる資源もない」
「兄の腕はいいんですが……」
「ふんっ。実家を捨てて他家に婿に行った奴に任せる仕事なんぞない!」
「……相変わらずのようだな」
ロ家の老人は顔を赤くして憤った。
都に知れ渡る名家ともなれば、工房には腕の良い職人を多く抱える。
掃いて捨てる程いる一職人として埋もれるより、リオン側について行った方が甘い汁が吸えると考えたらしい。
家に相談もせず婿入りしたことも打算的な考え方も気に入らなくて、先代は長兄の戻りを拒否していた。
都に戻るにしても、道中魔の森を通るのは必至。不十分な装備では魔に取り憑かれかねないので出ることもできない。家財や非戦闘者を抱えて無事森を抜けるのは至難である。
「工房以外の仕事ならいくらでもあるんだが」
「選り好みするほどこの邑は豊かではないのですが」
「俺の前で言ってくれるな、カナン」
「いいえ! そう言うつもりでは……」
「わかっている。揶揄っただけだ」
クロウは目を細めてニヤリと笑う。
つられてカナンもヘラリと眉尻を下げて笑った。
「仕事といえば、そのうち霊祭の祭壇の依頼がいく筈だ」
「もう……そんな時期なんですね」
「…………」
約一月後に祭事が行われる。
神殿の前庭に大きな篝火を用意し、神官が灯した炎を各家庭に配る。
炎が絶えない邑で、一年で最も明るい一日になる。
『斎炎昇霊(さいえんしょうれい)の儀』と呼ばれる、鎮魂の祭だ。
魔によって命を失われた故人を悼み、神官の炎で浄化することが目的。
神殿で配られる短冊に故人の名を書き、炎に焼べることで死後迷わず天に昇れるよう願いを込める。
斎炎昇霊の儀は神殿主催で執り行われ、邑中の住民集まる。北に住む者も南に住む者もほぼ全員だ。
「リーの坊がいなくなってどれ位経ったんだか」
「……二年」
「もう二年ですか」
「まだ二年だ」
生き物は魂と肉体を持って生まれ、死とは魂が肉体が離れる思想が大陸では一般的。
肉体のない魂は地上に残る事は許されず、光の源ーー天に還される。
死んだ肉体から魂が完全に切り離され、地上から天に昇るまで一年かかるとされている。
地上に未練を残せるのは一年目まで。死者も、残された生者も。
しかし、魔に捕われた魂は天に昇る事はない。
死者の魂は魔に食われ消滅してしまうからだ。
魂は食われ、肉体も乗っ取られる。魔憑きとはそういうもの。
信じるも信じないも、魔憑きが存在すること事態が物語っている。
弔っても還るものでもないが、残された者ができることは、祈る事だけ。
神官の炎は魔を祓うもの。
神聖な炎に焼べて、魂の安寧を願う。
何年も、何度も、魔に食われた魂が天に還ることを祈るのだ。
リーがいなくなってもうすぐ二年。
斎炎昇霊の儀は間に一度行われている。
一年前の祭事で、クロウはリーの名が書かれた札を用意しなかった。
「二年も探して見つからないとなるとやはり……」
「まだ探せていないところもある」
「森の奥でしょう? 人が生きていける場所ではありませんよ」
「ならもっと奥だ。森を抜けた先なら集落があるはずだ」
「クロウ様……」
未だに見つからないリーを探していることは邑の皆が知るところ。
リーが行方を絶った場所は誰も知らない。
魔の森の近くで痕跡が見つかったのみ。
いくら神官の炎の守りがあったとしても、二年の間姿どころか手がかりすら掴めていない。
それが却ってリーが生きているとクロウに思わせた。
しかし、多くの邑の民はリーの生存を絶望的と考え、クロウにも諦めさせようとしている。
特に身内を神官に嫁がせたい欲の深い者たちが、もう駄目だと囁く。
「近々、森の奥へ行こうと思う」
「クロウ様自らですか!?」
「他の者では奥へ行けないだろう」
神官が生み出す炎は限りがある。
神官の傍から離れれば威力は弱まるし、顕現している時間も短い。
大陸の西側を大きく占める森は広く、森の奥へ行く程光が届かない程暗い。
魔の気配が濃い森ではただの火は役に立たず、すぐに魔に食われてしまう。
炎を生み出でるクロウでなければ森の奥へ進めない。
「危険だとお止めしても行かれるんですな」
「当然だ」
工房長が大きく息を吐く。
険しい顔をしているが怒っているわけではない。
クロウの決意を真摯に見極めようとしている顔つきだ。
やがて頷いた。
「ならば、ルオウを必ず共にお付け下さい。あれでも都で五本の指に数えられた武人です」
「師匠に来てもらえるならありがたい」
「リャンもお付けしますよ。足手まといになりますまい」
「すまんな、カナン。お前の息子も借りて行く」
「必ずクロウ様をお守りするよう言っておきますよ」
「自分の身は自分で守れるぞ」
クロウの剣の腕は指南するルオウも認めるところ。
邑の中でも勝てる者は数えるほどしかいない。
リーに付き合ってよく二人で打ち合っていた。
互いを守るのだと言い合ってよく喧嘩に発展した日々を懐かしむ。
「いつのご予定ですか?」
「一週間……いや、三日後に」
「では、明日にでも武具をご用意いたします」
「頼む」
危険だとわかっていても僅かな望みがあるならすがりたい。
リーがいなければ生きている実感が持てない。
朝起きて初めに見る顔がリーではないこと。
一人でとる食事の味気ないこと。
疲れたと言える相手がいない。
楽しいと思える時間がない。
安らぎもない。
人の体温も忘れてしまいそうになる。
絶対に見つけて、今度こそ傍に置いて離さない。
「今度こそ、リーを……」
五日後、クロウはリーが生きていることを確信することになる。
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