港町 5

暗い部屋の中で一人目を閉じる。

夜目に慣れた視界に、小さな窓から漏れる裏庭の篝火の光がわずかに届く。

人の声が微かに聞こえる。

店が開いて客が入っているのだ。


色を売る娼館では酒も用意されている。

気持ちよく客に金を払わせる為だ。

もちろん注文しなくてもいいし、逆に酌の相手だけをすることもある。

多くは外で飲んでから来店し、店でも飲んで事に及ぶ。

閨事だけでなく、楽器を嗜む娼婦もおり、時々心地良い弦の音が聞こえる時もある。

館の裏は賑やかな音が絶えないのだ。


ーードンッ バタン


女の悲鳴と共に何かが倒れた音がした。

眠りの淵に片足を引っ掛けていたリンの意識が一気に浮上する。

裏庭の様子がなんだか騒がしい。

気になって小窓から様子を伺う。


「おいっ、店主をよべ!」


上半身裸の巨漢が裏庭で叫んでいた。

娼婦の髪を掴んで引きずっている。

下男が止めに入るが暴漢に蹴られて倒れた。打ち所が悪かったのか動かない。

騒ぎを聞きつけた店の者たちは見ているだけで手が出せない。

商売どころではなくなった娼婦と客も部屋から出てきている。

いかにも鍛えられた屈強な男は一撃で下男を気絶させた。

止めに入れば自分の身が危ない。


「いるのはわかってんだ! 出てこいっ!」

「ぃ……っ!」


男は足元に転がる娼婦の腹を蹴った。

尚も暴れる様子を見せる男に、リンはたまらず愛剣を持って部屋を出た。

階段を駆け下り、庭に出る裏手から様子を窺う。

男は尚も暴れている。

足音を立てないように素早く暴漢の背後をとった。


「手を離せ」

「な……っ!?」


リンは男の肘に鞘に入ったままの剣を叩きつけた。

反射で男の手から髪が離れる。

できた隙に、娼婦を助けおこし背に庇った。


「なんだおまえ! 売女のぶんざいで客に楯つくとは!」


男は相当酔っているようで呂律がまわっていない。

酔っ払い相手ならリンも慣れている。

自分を罵る言葉は聞き流せる。

しかし、体を売って懸命に生きようとしている彼女たちを貶めるような発言は聞き捨てならなかった。


「客だからと何をしてもいいと勘違いされているようだ。いや、店に迷惑をかけるような輩は客じゃないな。お帰り願おう」

「あぁん?」


カッとなった男はその大きな体で正面から突進してきた。

酒が回っているようで足元がふらついている。


「ひぃ……っ」


背後に匿った娼婦が小さく悲鳴を上げた。

恐ろしい形相をした男が迫ってくるのだ。恐ろしいだろう。

数秒前まで乱暴に扱われていたのだからなおさらだ。


リンは足元の砂を男の顔に向かって投げた。


「わっぷ」


顔面に直撃した砂に怯み、男の足が踏鞴を踏む。

その隙に、今度はうしろから足払いを仕掛けた。

男はきれいにかかり尻餅をついた。

更に首根に手刀を見舞って昏倒させる。


「おい。主人に役人へ通報してもらってくれ」


騒ぎを聞きつけてきた下男に指示を出す。

下男が動き出したのを合図にわっと歓声が上がった。


「すごいじゃないか」

「痺れた! かっこいい!」

「助かったよ。ありがとう」


「別嬪なのに強いなぁ」

「ああ、あんな娘いたか」


「ここでも元気そうじゃないか」

「綺麗にしてもらってよかったな」


娼婦も客も称賛をくれる。

客の中には顔見知りもいて少々照れくさかった。

自衛手段は邑にいた時に体に染み込むほど教えられている。

体格差がある相手との体術もしっかり仕込まれた。

誰かの助けになっているなら喜ばしい。

できれば目立ちたくなかったけれど、世話になっている人たちを見捨てる人間になりたくない。




「ちょっとリン。化粧したまま寝ちまったのかい?」

「え……?」


姐さんが近づいてきてこっそり指摘してくれた。

確かに、支度中遊ばれ……もとい、化粧や衣装を用意してくれた。

衣装は着たまま。化粧を落とした覚えはない。

そもそも落とし方を知らない。


「あとで下の子に行かせるから化粧を落としてから寝なさいよ」

「はい……」


化粧は長時間施したままにすると顔の皮膚が荒れる。

美しく見せるが肌に良いものではない。

化粧をしたまま寝るなどありえないと叱られた。




やがて、町を仕切る役人が到着した。

暴漢が現れた、とだけ聞いたらしく、伸びている男を見て呆気にとられていた。

勇んで参上したのにすべて片付いたあとだったのだから。

役人が暴漢を連行していくの見届けた娼婦や客たちは元いた部屋に戻っていった。

リンはというと、役人から事情聴取されている。

事情聴取という名の説教に近い。

か弱い婦人が暴漢に向かっていくなという警告だ。

役人を店の外まで見送ると下女が待っていた。

暴漢騒ぎで店の中だけでなく、外まで野次馬で溢れていた。

リンがいる店は色街でも最高位の高級娼館。品の良い弁えた客を多く抱える為、役人の世話になる事は滅多にない。

明日は暴漢の話で持ち切りなるだろう。



* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *



下女に連れられ門を潜るリンをじっと見ている人影が一つ。


「あの剣は……」

「おにいさん?」


女に呼ばれ、男は寂れた色宿に戻って行った。

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