港町 4

港町には船着場と水産市場がある港区域、商店や食事処が連なる商業区域、港区域や商業区域で働く人たちの居住区域に分かれている。

商業区の飲み屋街は、街と港をつなぐ大通りで東西に分かれた西側の防波堤に近い二本通りに並んでいる。

同じ造りの長屋の様な店が軒を連ねているが、同じ酒や料理は同じものはない。

店主の好みや周囲の雰囲気に応じて変わっている。

大通りからすぐ近い店は、表に竹で組んだ長椅子を出し、茶と甘い団子を出している。

その斜向かいの店は、港から上がったばかりの魚を朝一番に買い付け、焼いたり蒸したりして販売している。

一本道を歩くだけで提供する品が違う店がたくさんあるのだ。

馴染みの店を持っている客は気に入っている何件も梯子で飲み歩くこともある。


飲み屋街よりさらに西へ、細い路地をいくと娼館が並ぶ色街がある。

昼間の色街は普通の居住区と変わらない。

下男や成人前の女たちが細い路地を行き交いながら洗濯や掃除をしている。

一口に娼館といっても位がある。

色街の境から奥へ行くにつれて、店構えが立派になっていく。

手前はやや寂れた雰囲気があり、安く女が買える引込み宿。

最奥の店は、整えられた部屋と心地良いもてなしで、懐に蓄えのある者が通う高級娼館。

色街の門の潜ると、曲がりくねった石畳の通り道が延々と続く。

色とりどりの館の中で一際目を引くのは、真白の支柱に暖簾代わりの虹のような薄布が掛けてある門。

最奥にあるその店の何重もの薄布を潜ると格子戸の建物が現れる。

戸を叩けば内に住まう美しく妖艶な女たちが出迎えてくれる。色街でも美人ぞろいと評判の娼館だ。

夜の彼女たちと昼の彼女たちでは見せる顔も違う。その差が海の男たちを惹きつける。

女は優しいが懐事情には優しくない。

高嶺の花だとわかっていても手を伸ばさずにはいられないのだ。




リンは娼館の裏庭で寝台の掛け布を洗っていた。

店の下女と並んで洗濯板に布を擦り付ける。擦っては水につけ、擦っては水につけ、の繰り返し。

何枚もある布に辟易していた。

水は冷たいのに汗が止まらない。けっこうな重労働だ。

すべて洗い終わったのは昼をいくらか過ぎた頃だった。

汚れが落ちた布を順に干していくと庭いっぱいになった。

達成感がある光景にリンは満足げに微笑った。


「リーーン。飯だよ!」


食事の時間も忘れて洗濯に没頭していた。

娼館の姐さんたちに呼ばれて部屋に戻る。

娼婦の支度部屋へ行くと、低い卓に食事が乗っていた。


「アンタんとこの大将が持たせてくれたのよ」

「冷めないうちに食っちまおう」

「リンは魚より肉のが好きだったわよねぇ」

「姐さんたち……」


彼女たちの気遣いに感謝しながらまだ仄かに温もりが残る食事を取った。




リンが色街に身を寄せるようになって五日が過ぎた。

「リー」を探している男はまだこの港町にいるようで、聞く所によると色街の店をとっかえひっかえ日通いしているらしい。

何軒もの店を渡り歩くので、色街の女たちから煙たがられている。

娼婦には娼婦の争いがあるのだろう。

そんなことはいざ知らず、昼は昼で商業区で聞き込みをしている。

娼館の姐さんや下女たちたちがさりげなく情報を得てリンの耳に入れた。

なんでも、顔なじみの人夫や商人の目利きたちが彼女たちに教えてくれるという。

リンのために動いてくれているのだと。

中には、リンの居場所を突き止め、会わせろと娼館までやってくる者もいる。

娼館で下女のまねごとをしているが娼婦ではないリンを客前に出すわけにもいかず、姐さんたちが上手くあしらって帰したとあとから聞いた。

協力してくれるのはありがたい。同時に申し訳なくも思っている。


娼館で働く下女は皆未成年。成人を迎えたら客を取るのだ。

成人前に娼婦の礼儀作法を姐さんたちから習う。

客との話術、誘い方、体の見せ方、声の出し方、片付けまで叩き込まれ、破瓜を済ませて客の前に出る。

店で働く娼婦たちは娼館の主人の管理の元、色を売る。

習い方は実践で。姐さんの部屋について自分の目と耳で覚える。

店が開く前、娼婦の支度を手伝うのも見習いである下女の役目。


リンは下女らしく姐さんたちの支度を手伝っていた。

十数年、男として育ってきたリンは女の身支度がどんなものか知らなかった。

邑が特殊な環境であったこともあるけれど、基本何をするのもクロウと一緒だったので知る機会がなかった。

クロウの身支度はリンの仕事であったけれど、クロウは一人で何でも出来たので、簡単なことしか出来ない。


桶に張った湯を使い体の汚れを落とす。

濡らした布巾で体や髪を拭き、香油を塗る。

姐さんたちがいつも良い香りをさせている正体を知って驚いた。

香り付けといえば香水で、髪に塗り込む香油は邑で見たことがない。

艶が増した髪を櫛で梳かして結い上げる。顔の横に束を残すと色気が増すと娼婦はリンの髪を弄りながら教えた。

袍を羽織り、解きやすいよう帯は前で緩めに縛る。襟元を軽く掴むだけで簡単にはだけてしまう。

顔は香りがついた精製水をまんべんなく肌に浸し、おしろいを叩いて目元と唇に紅を塗る。

真っ白い肌に紅が映え、妖しさが増した。

化粧を施しただけで別人のような顔になる。


娼婦たちは一つ一つ教えながらリンに衣装を着せ化粧を施す。

見せかけだけでなく、仕草や言葉遣いも直された。

手入れしていなかった髪を梳いて結うだけで、少年と間違えることなどあり得ない、妖艶な女性になる。

座り方や表情まで指導され、娼婦たちが満足するまで従っていった。

渡された手鏡に映っていたのは見知らぬ女。


「これ、わたし……?」

「驚いたでしょ。元がいいんだからちゃんとすれば見れるのよアンタ」

「髪も結うだけじゃなくて、ほら、飾り付けて」


私物の飾りから色付き硝子をあしらった細い櫛を結った根本に差し込む。

捻って紐で止めていた髪がしっかり固定された。


「これを解くと背に髪が流れるのよ」

「男に外させることで合図にもなるわ」

「……へ、へぇー」


娼婦の所作に曖昧に肯く。

櫛についた赤い玉が揺れ、黒い髪に映えた。


「リンは赤ね」

「青も悪くないけど。赤が似合うわね」

「そうかな……?」

「桃色の襦着てみない。アタシの着せてあげる」

「いいじゃない。すぐ客がつくわよ。今日出てみる?」


それは嫌だと首を振る。

必至に首を振るので姐さんたちはけらけらと笑い声を立てた。


「いいねえ。決めた相手に操を捧げるなんて」

「アタシらなんていい男に会う前にそんなもんなくしちゃったものね」

「気概だけはあるんだけどねぇ」

「いい男なら、誰かに取られないよう早く金貯めて会いに行ってやんな」


娼婦たちは、リンが金がなくて故郷に帰れないと信じてくれている。

港町で働いているのも路銀と想う男のために金を貯めているということになっていた。

リンもあえて訂正をせず「帰れない」とだけ言っていた。


「できたら、いいんだけどな……」

「できたらじゃなくてやるんだよ! なに弱気になってんのよ」

「郷の男に会う前に掴めない胸大きくしておかないと、ねっ」

「ちょっ!」


娼婦の一人に服の上から胸を掴まれた。

突然のことで慌てる。

手をあげるわけにもいかずアワアワするしかないリンを娼婦たちは面白がって揉む。


「小さい、っていうか板みたいに凹凸がないのよね」

「男ってヤツはここをまず触ろうとするんだから、あって損はないわよ」

「腰は細いんだけど、全体的に肉付きがないから、くびれてるって訳じゃないのよねぇ」

「もっと食べなさいよ。食堂の主人に食べさせてもらってる?」


女であることを隠していたリンにとって都合がよかったのだが、女として魅力に欠けると言われているようだった。

女として生きるならないよりあった方がいいかもしれない。

豊満な体つきの娼婦たちは女性の魅力を最大限引き出している。

誘惑する予定の男などいないがあって損がないのならあった方がいい、かもしれないと思わないでもない。

しばらく彼女たちの好きなようにさせていた。


「大姐さん方。旦那さんが呼んでますよ」


下女が支度部屋に娼婦たちを呼びに顔を出した。


「あら、もうそんな時間なのね」

「リンは構いがいがあるから刻を忘れちゃうわね」


娼婦たちは支度に戻る。もちろんリンも手伝った。

教わった通りに衣裳を用意し、化粧を施している間に髪を結う。

昼の顔とは別人になった彼女たちを見送り、リンは部屋の片付けを始めた。


支度部屋は娼婦たちの宿舎でもあり、一部屋を数人で使っている。

元々広くない部屋に複数人入ればかなり狭い。そこにリンは厄介になっている。

彼女たちがいない間に片付けや寝着の準備をしておく。

娼婦の仕事は夜が本番なので、その間リンが一人で睡眠を取り、彼女たちが帰ってくる頃に起きる。

下女のまねごとをしているといっても居候で手持ちぶさの時間潰し。

見習いのように部屋に付いている必要がない。


卓を片付け、脱いだ着物を畳み、板張りの床に厚みのある布を敷く。

すっかり暗くなった空を小さな窓から眺めた。

部屋のすぐ隣は裏庭。

娼婦が逃げ出さないよう築かれた高い壁に沿うように煌々と篝火が焚かれ、庭の隅々まで照らされていた。

整えられた庭園は館の主人自慢の景観。庭を眺めながら酒を飲む客もいる。

裏へ続く小径の前には見張りの下男が一人立っている。


ここなら大丈夫、と連れてこられた娼館は思いの外居心地が良かった。

娼婦たちは良くしてくれ、下女も嫌な顔をせず一緒に働くことを許してくれた。

娼館の主人はたまに食堂に顔を出してくれる旦那で、金が好きで少々強欲なところがあるが根は真面目で悪い人ではない。


突然の転居で、急いでまとめた荷物は数枚の着替えと愛剣のみ。

店から移動する際は、娼婦が持ってきた袍を着て髪を隠して出た。

黒髪は港町で珍しくもない。大陸に住む大半が黒髪に黒目を持っている。

しかし、リンの髪は女としては短かった。結っても毛先がごまかせないほどしか伸びていない。

農村の女ならまだしも、結婚してない若い女は嗜みとして髪を長く伸ばす。

当人は気にしていないが、娼婦たちが指摘した。女としてありえない、と。

娼館で姐さんたちに手入れを施され、長さは足りていないが見違える艶を手に入れた。


食堂の大将に女将、客としてやってくる漁師や人夫や商人たち、そして娼館で働く人たち。

人情に溢れる港町が好きだ。

良い人たちに出会えて幸せだった。


「ーーーーっ!」


前触れなく、ぞくりと背中に寒気が走った。

同時にガンガンと打ちつけるような頭の痛み。

まともに座っていられなくなり、リンは床に倒れた。

呼吸が苦しく、弱々しく息を吐くことしか出ない。

残った意識で愛剣を探して手を伸ばす。


「……っ、はぁ、はぁ……」


剣を胸に抱くと呼吸が戻った。

額はびっしょりと汗で濡れている。


「くそ……っ!」


全身を投げ出すように床に大の字になった。

まだ呼吸が整わない。

夜になるとやってくる発作に悪態を吐く。


海に落ちた時からずっと覚めない悪夢に魘されている。

夜よりも暗く闇よりも深い、嫌なものがリンの内を巣食っている。

止まない耳鳴りに耳を塞ぐ。


「助けて、クロウ……」

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