クロウ 19歳 邑1

邑 1

風が潮の匂いを運んでくる。

荒れ狂う波は外からも内からも侵入者を拒む。

固い岩肌を打ちつけ絶壁の崖を削っていく。

張り出した崖から半島に沿う様深い深い森が東に向かって続いている。

海の潮風に当たっても緑が絶えない森はそこにあるだけで不気味さが増す。


森のすぐ側に作った井戸は塩水がしみ出し、飲み水として機能しない。

井戸で取れるのは塩。

塩辛い水を煮詰めて天日干しにして塩を作る。

塩は近くの商人に売って物品と換える。

麦や豆などの穀物が大半。あとは少々の肉。

海に近い邑で育てるのが困難なため外から入手するしか方法がない。

まだ邑ができたばかりの頃、いろいろ試行錯誤したが成果が芳しくなく断念した。

野菜も同じくだったが、クロウが神官の力を使えるようになり土や水を浄化して室内に畑を作った所、いくつか上手く成長を見せ収穫を行えるようになった。

量は多くないが、小さな邑が食べていくくらいはできる。


森の木の葉は染め物になった。

そのままでは使えないので染め液に加工してみると、糸は奇麗な緑に染まった。

染めた糸から織る布は手触りがよく丈夫で、買い付けの商人絶賛の人気商品となった。

染め液の加工にも神官の炎が欠かせない。

炎の強弱で染まる色が変わることから邑では衣類で位分けをする文化が生まれた。

より強い炎で加工された染め物は黄色に近い緑。

最低限の炎で加工された染め物は群青に近い緑。

おかげで神官や周囲の官吏たちの着衣は新緑より明るい色になっていった。


葉と同時に採取されるのは木材。

浄化した木を幹から伐採する。

切っても切っても数ヶ月で元の大きさまで成長する魔の森の木は、邑の建材の他、調度品や雑貨に加工され、こちらも商人たちが取り合う程の名品に生まれ変わる。

太く高く成長した木々は柔らかく、加工するのに向いていた。

乾燥すれば大黒柱になる程固く丈夫になるのだ。

万年人手不足の邑に、良質な木材を求めている職人が商人を介してやってくる。


クロウの成長で邑での生活が安定した。

武力の整備と配置の見直しで取り締まる法ができたことも大きい。

もちろん、叔父である先代の政治手腕があってこそなのだが、邑の民の心のよりどころは神官であるクロウだった。




そのクロウは、ずっと仏頂面で奇麗な顔を歪めていた。

一言「機嫌が悪い」で済ませてしまえれば良かったのだが、クロウは神官で邑の王。あまり宜しい状態ではない。

しかも二年間ずっとこのような顰め面を浮かべている。


「神官殿におきましてはご機嫌麗しゅう」

「そう見えるか?」

「…………」


謁見を求めてきた相手も二の句が継げない。

派手な色彩の着衣を身につけていればそう錯覚するのも無理はない。

クロウは面白くなさそうにため息を逃した。


リーが行方不明になって二年が経った。

手が空いている輩たちに探させているが良い報告が聞こえてこない。

リーを避難民だと避けていたのでまともに顔を合わせたことがない者が多く、捜索は難航していることだろう。

クロウ曰く「無駄飯喰らい」たちに与えた試練でもある。

正直、人手が少ない邑で彼ら以外の人選ができなかった。

ルオウやチェンからももう諦めろと説かれている。

けれど諦めるわけにはいかない。諦められない。

どんな姿でも見るまで探し続けるつもりだった。

けれどクロウは確信している。

リーが自分の傍から離れるわけがない。必ず帰ってくる、と。


「し、神官殿……?」


恐々と様子を窺う男に一瞥をくれる。


「それで、何用だ?」

「はっ」


男は懐から木簡を差し出した。

中を見ずともわかる、自身の姪の釣書だ。

またか、と眉間の皺を深くする。

神官になってから五年、三日と開けず押し付けられているものだ。

毎日のように同じ女を推されもぴくりとも心が動かない。

不要と切り捨てているのに諦めない老害たち。

数年、また数年と年を重ね、女たちは結婚適齢期を逃し生涯独り身でいるつもりなのだろうか。

責任を取れと無理矢理押し付けられるのも面倒だ。

いい加減他の男と身を固めて子を生せばいいのに、と呆れすら覚える。


「それで?」


釣書を一瞥もせず横に控える従者へ渡し、本題は何だと尋ねる。

見合いが本題だとはわかっている。こうも毎回同じではいい加減腹が立つもの。

一言「官位が欲しい」と素直に言えば、すぐさま都に帰してやる恩情くらいある。

彼をはじめ、役もなく邑をふらふらしている年配者の多くは、都で役が貰えず新たに土地を耕して神官になったクロウに擦り寄ってきただけ。都にいても邑にいても変わりはない。

邑での暮らしが不満なら都でも他の町でも行けばいい。

男がここに留まらなければいけない理由はないのだ。


「いえ……」

「なら下がれ」


男は深く頭を下げ退室していった。

都の神殿で一時期出入りしていただけある、形式張った礼だった。


「神官様ぁ」


横にいた従者が間延びした声でクロウを呼ぶ。

腰に携えた剣と逞しい腕はただの従者ではないことを示している。


「……その呼び方止めろ」

「一応執務室ですし」

「や・め・ろ」

「はいはい」


従者は肩をすくめた。

睨まれても全く堪えていない様子であっけらかんとしている。


「ト家のソン老、よく来れますよねぇ。毎回手ひどく追い払われてんのに」

「それしかやることがないんだろう」

「んで、この木簡どーしますぅ?」


ぴらっとソンが持ってきた木簡を見せた。添えられた姿絵が見えるように広げて。

姿絵をつけられる財力も見せつけられているような気がした。


「薪にしろ」

「もったいない。結構美人なのに」


美人であろうとも興味がない。

その女はリーではない。


「……もしかして、今リーのこと考えてますぅ?」

「悪いか」

「ていうか、ソッチのご趣味なクロウ様に女を宛てがっても、ねえ?」

「なんでそうなる」


この失礼な従者はリャン。

武官長であるルオンの甥で、クロウとリーの剣の兄弟子。

同年代では一二を争う剣の腕前だ。

子供の頃からの付き合いなので気安い間柄である彼は、賢く気遣いができるが敢えてしない所がある。クロウたちを弟扱いをし揶揄うことを趣味だと本人に向かって言うのだ。人柄が知れる。

時と場合は選んでいるので、公の場では非常に有能な男である。

クロウの従者は数人いるが、警護を兼ねるとなるとリャンが就くことが多い。

その為、こういった掛け合いをよく展開し、大人たちに微笑ましいものとして見られていた。


「兄(けい)は、リーが生きていると思うか?」


二年間、クロウの前ではリーの話は誰もしなかった。

クロウにとってリーは逆鱗であると誰もが知っていたからだ。

半身をわけた片翼で、弱点だった。

また、クロウも捜索の報告以外リーの話はしなかった。

いつも近くにいた幼なじみがいないことを口にすれば寂しさが増す。

クロウが神官でなかったら、自ら探しに行きたいくらいだ。


「そりゃあ生きているでしょう」


あっさり肯定したリャンにクロウは面食らった。

クロウとてリーが死んだとは思っていないが、リャンは当たり前のように是と答えた。


「あのリーがクロウ様が知らない所で死ぬと思いますか? 俺は信じませんね。リーが死ぬとしたら、クロウ様を庇って目の前で死にますよ」

「それはそれで止めてほしい」

「そうですけど。やりそうじゃないですか」

「だったら、俺があいつを守るまでだ」

「…………」


リーが自らクロウの盾になろうとするのは容易に想像ができる。

邑にとってリーの命は道端の石ころのように軽い。

その事実をクロウは知っている。

クロウと比べて軽いのであって、蔑ろにしているものでもない。

けれど、クロウにとっては誰よりも重い命だ。

リーがそうあるなら、クロウだってリーを庇って盾になろうとする。


「……こりゃあ、リオン様に叱ってもらわないとだなぁ」


クロウのリー欠乏は重症で手遅れのようだった。

叔父を通して先代神官に話を付けてもらう他、治しようがない。

リャンはクロウに隠れてため息を吐いた。

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