リン 19歳 港町1
港町 1
港に続々と船が辿り着く。
海を臨む町は、潮を遮る湾があり、大潮に乗ってやってきた魚が流れ込む入り江になっている。
潮の流れが緩やかなので大船が停まるのにちょうど良く、商業の発信地として人の流れも活発だ。
商人、旅人、近隣から買い付けにきた村人、お忍びで訪れた貴い身分の者、様々だ。
また一艘、港に商船が到着した。
甲板から梯子が下ろされ、次々と荷が運ばれていく。
海で働く男たちは皆、鍛え上げられた肉体を持ち、粗野で荒々しが切風が良い。
時には怒号が飛び交うが、半刻後には肩を組んで酒を煽っている姿がある。
様々な土地から届く雑貨や食品、手頃なものから高価なものまで取り揃う商業区域は女性にも人気。
買い物ついでに世間話で長い時間茶屋の椅子を独占、なんてことも茶飯事だ。
商業区域の一画。
酒を主に扱う食堂は、昼間だというのに海の男でどの席も埋まっている。
隣り合って座っていても大声で話さなければ聞こえない程盛況だ。
「リンちゃん。おかわりくれ」
「オレもだ」
「こっちにも頼む」
食堂の看板娘が木彫りの椀を両腕に抱えて机に乱暴に置く。
並々に注がれた酒が宙を飛ぶが一滴も零れない。
「昼間っから飲み過ぎんなよ」
「いいじゃねーか。今日は大漁で羽振りがいいんだ」
「そりゃいいね。これで土産の一つもあったらなー」
「まいったまいった。大将、リンちゃんにオレから一杯!」
「じゃあオレから魚、焼いてやってくれ」
「おいおい。おれがリンに飯やってないみたいになるじゃないか」
厨房から大将が情けない声を出すと一斉に笑い声が上がる。
日の高いうちから飲み始めた漁師たちは、日が沈む前に勘定して店をあとにする。
入れ違いに今度は食堂の上の階で商っている宿を利用しにきた旅人や、店じまいが終わった商人たちが飯と酒を求めにやってくる。
店は夜遅くまで明かりが消えず、日が昇る頃には戸が開いている。
住み込みで働いているリンは短い休み時間以外はずっと店番だ。
客たちは口は悪いが人が良い輩ばかりなので、この仕事が気に入っている。
入れ替えの時刻になり、客層の顔ぶれが変わってきた。
戸が開き、扉に括りつけてある鐘鈴が音を立てた。
「いらっしゃい。空いてる席に掛けてくれ」
「……いや、泊まりたい。空いている部屋はあるか?」
「ちょっと待っててくれ」
外套を頭から被った男は見るからに旅人だった。
店に入るなりリンを不躾に眺め、部屋を求めた。
顔は外套に隠れてよくわからない。声からして三十前後の中年のようだ。
馴染みの客が多いが初見の旅人ももちろん迎え入れる。
リンは空き部屋を確認して、部屋札を渡す。
「三階奥の角部屋だ。素泊まりなら銀三、食事付きなら銀三と銅六だよ」
「食事付きで頼む」
旅人はリンの手に貨幣を乗せる。
手の上で数えるときっちりあった。
「……確かに。荷物先に置きにいくか? その間に食事を用意しておくよ」
「ありがたいな。そうさせてもらおう」
「今日のおすすめは赤魚の香草蒸しだ」
「ではそれを。あと揚げ芋を添えてくれ」
「わかった」
旅人が階段を使ったのを見届けると厨房へ向かう。
店の主人である大将と妻の女将が休む間もなく手を動かしている。
出来上がったばかりの料理をついでと渡される。
店主夫婦とリンと通いの洗濯係で切り盛りしている大衆酒場だ。
高貴な者は好んで選ばないが、荒くれ者でも受け入れるこの店は地元の民から好かれていた。
「部屋埋まったよ」
「飯は」
「赤魚蒸しと揚げ芋」
「かーちゃん芋揚げてくれ」
「はいよ」
大将と女将の料理は絶品で、この味を求めて連日客がやってくるほど。
リンも二人の料理に惚れ込んでいて、思わず客に奨めてしまう。
初め食堂だけだった店が今の形になったのも、連日連夜大将の食事が食べたいという隣村の客の声からだった。
宿を利用する客には寝床を貸し、手や顔を洗うための水と手拭いを用意する。
そういえば、先ほどの旅人に手拭いと水桶を渡すのを忘れていた。
食堂が忙しかったこともあり頭から抜けてしまっていた。
「大将。上行ってくる」
「急ぎすぎて転ぶなよ」
大将の注意を背中に受けながら、水を汲んだ桶と洗濯したての手拭いを掴んで階段を上る。
三階の最奥の部屋。
軽く戸を叩いて入室を知らせる。
「すんません。水桶渡すの忘れて……っ」
「おお。すまない」
男は外套を脱いでいて寝台に座って寛いでいた。
立ち上がってリンから桶を受けとる。
港で働く男たちは薄着、時には腰布一つで走り回っている。だから男が上半身裸だろうと驚くことはない。
リンが驚いたのは旅人が着ている服装だ。
下はよくある黒染めの裾だが、濃い緑に染められ深い緑の刺繍が施された前合わせの上着。
この辺りでは高貴な身分の者が着る高級品だ。
動揺を悟られないように表情を切り替え、そそくさと部屋を去ろうとした。
「姐さん、少しいいか」
「な、なに?」
「人を探しいている」
男が荷物から取り出したのは一枚の紙。
折り畳まれた紙を開くと人相書きが描かれていた。
「ここより西から来た男で名をリーという。見たことないか?」
「…………いいや、知らない。客にも、いなかった、と思う」
「そうか」
目つきが異様に鋭くぼさぼさに伸びた長い髪の絵の男にリンは首を傾げた。
知らないと告げ、リンは今度こそ部屋を離れた。
バクバクとなる胸を押さえて階段を下りる。
旅人は探し人に会った事がないのだろう。
リンも旅人の顔に覚えがない。
人相書きの男、リーが行方不明になってもう二年経とうとしている。生きていれば十九の年頃。
少年が大人の女性になっていても、きっと邑の誰も気づきはしない。
リーが女だとを知っているのは、先代の神官だけなのだから。
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