神殿 3
リーにとってチェンの話は退屈だった。
初めは理解しようと耳を済ませ、資料を目で追っていたが、だんだんわからなくなる事が増えて置いていかれた。
クロウは内容を理解し、さらに知識を深めようと派生した事項も確認している。
子供の頃は文官たちの話がもっと面白かった。
物の名前、数の数え方、文字の読み方、書き方、邑がどうやってできたか、魔の恐ろしさ。
建物の作り方や武器の材料の採集、野菜や穀物の栽培、野生の動物の捕獲と解体も実地で学んだ。
生きていく為に詰め込まれた知識は、成長と共に難易度を上げていった。
一緒に学んでいた子供たちの多くは神殿の外で働いている。
水源の管理、畑の世話、漁獲、塩の生産、石の採掘、木工、織物など様々。
中には文官の側について仕事を手伝う助手を希望する者もいる。
住民の大半は兼業で軍事に携わっており、神殿の訓練施設に集まり指南役つきで体を鍛えている。リーだけがクロウの側で学習を続けている。身になっているかは別として。
神官を継いでからクロウも忙しくしているので、リーは外の仲間たちに混じって仕事を手伝った。
時には魔の森に入る。
魔は怖いけれどクロウが焚いた炎があれば近づいてこないので、警戒しながらも石壁の外に出られた。
魔の森に生き物はいない。いるのは魔に侵された『魔憑き』と呼ばれる化物のみ。
邑で一番盛んである木を使った事業には伐採が欠かせない。
軍事の長官であるルオウか準ずる役職の監視の元で行われる。
もちろん、神官の炎を忘れてはいけない。気を抜けば一瞬で魔に取り込まれてしまう。
帰ってこなかった邑の仲間を何人も知っている。
石壁の外は魔が支配する危険な場所なのだ。
難解言語を操るクロウとチェンとやはり飽きて船を漕いでいるリーがいる書斎に珍客が訪れた。
扉が大きな音を立てて開かれたと同時に珍客たちが流れ込んでくる。
突然の音に驚き、リーは目を覚まして背後の扉に振り返る。
「お邪魔致しますよ、神官殿」
「解放している行政区とはいえこんな所まで入ってくるとは。いったい何の用向きだ」
クロウは胡乱げな目を侵入者たちに向ける。
見た事がある顔ぶれに用件はすぐに知れた。
「神官殿も十四。婚姻を結ぶ娘を選んで頂きたい」
「まだ早いのではないか。まだ叔父上や師から学ぶ事が山ほどある」
「わかっております、わかっておりますとも。しかし、この邑に住う者として後世の憂いを考えるのも務めでございます」
邑の住民は神殿を中心に北と南に別れて暮らしている。
南は主に避難民が暮らしており、邑の産業の場として神殿に仕えて多くの者が働いている。
侵入者らは北地区に住居を構える者たち。
彼らは先代神官について都を捨てた。
先代は都では逆賊扱いになっており、その部下たちも逆賊の仲間として大陸の西の端へと追われたと囁かれている。都に居残った身内は冤罪をかけられ不当な処刑を受ける危険性がある為、多くは一緒に邑へ逃れてきた。
北に住む彼らは先代に何らかの利益を見いだし、のちに移り住んだのだった。
そして、何を勘違いしたのか高官同然の振る舞いをする。
「ソン殿。今は政の講義をしております。前触れなしの謁見は無礼ですよ」
「チェン殿。いやなに。避難民が部屋におるので飯事でもしているのかと思ったぞ」
「まさか避難民が政に携わるなどあり得ますまい」
彼らの言葉にリーは俯いた。
「避難民に学を授けるよりも妃を選定する方が有意義ですぞ」
「その際はぜひ我が娘を」
「おぬしの娘はまだ成人前だろう。私の姪など如何でしょう」
「生まれも育ちもわからぬそこの避難民と違い、身元は保証致します」
「都の教育を施しておりますので、邑を率いる神官殿に相応しいでしょう」
くすくすと笑い合う男たちにクロウは凍るような視線を投げた。
男たちは一斉に口を閉じ、姿勢を改めた。
招いてもいないのにこんな所まで入り込んで自分の主張だけを通そうとする。
そちらの教育の方が必要ではないのかと疑ってしまう。
「貴殿らにとっては飯事でも、我らには必要な時間だと思っている」
しかし、と言い募ろうとする男を視線で封じる。
「話はそれだけか? ならお帰り願おう」
「神官殿!」
「この邑に『避難民』などいない。皆同じ邑の民だ。それもわからんような輩は神殿への立ち入りを許可しない。失せろ」
「神官殿っ!」
締め出された侵入者たちは、駆けつけた衛士によって書斎から追い出された。
遠ざかる声を聞き、クロウは息を吐いて肩の力を抜いた。
「申し訳ございません、クロウ様」
「おまえが謝ることではないチェン。厄介ではあるが、あれはあれで邑の為になっている」
「老害ではございますがね」
「辛辣だな」
二人は小さく笑い合い、リーを見た。
眉根を寄せ、下唇を噛んで俯いている。
リーが避難民だったのは本当のこと。
しかし、都から追われたクロウや彼らだって避難民と同じようなものだ。
今は同じ邑の民で、クロウが特殊な血筋に生まれ特殊な術が使えようとも、そこに差などないと考えている。それは叔父である先代も同じ考えだ。
「リー、顔を上げろ」
「…………」
のろのろと頭を上げるが視線はずっと下を向いたまま。表情も変わらない。
クロウは両手でリーの頬を挟み、無理矢理視線を合わせる。
リーは黒い目を丸くし、クロウの金の目を映した。
「おまえが一人前になるまで俺は妃を娶らない」
「めと……?」
「嫁を迎えないってことだ」
「え……?」
「おまえが剣も学も、一人前になったら、側近にしてやる」
「そっきん……」
「あいつらを見返してみろ」
「うん……!」
やっとリーに笑顔が戻った。
吊り上がり気味の目を細め、思い切り破顔する。
リーが心から望んでいるクロウの腹心の部下になる目標を掲げられたら、気合いを見せるしかない。
「剣はともかく、リーに学は難しいのでは? 歴史の話をしただけで寝てしまうでしょう」
「う……が、頑張ります!」
「確かに。リー水準に合わせると何年かかることだ」
「頑張るってば!」
三年後、リーはクロウの前から姿を消した。
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