神殿 2

大陸の西の最果てに新しい集落がある。

先代の神官、クロウの叔父が邑を興した。

この地に移る際、自身の信頼できる部下十数名とその家族、そして都の貧民窟で屯していた避難民を引き連れて。


大陸には魔の巣窟があちらこちらにある。

同時に人が住めない土地もあちらこちらにある。

魔に追われた人たちが行き着くのは大神官がいる都。

都には大陸南部の海まで伸びた運河が通り、神官が住まう大神殿と流通の要である商業都市がある為大変豊かだ。

しかし、栄えている場所があればそうでない場所もあり、神殿関係者と市井では貧富の差がはっきりしている。

さらにはそれ以下の場所も存在している。

彼らは都へ逃げて来た者ばかりで、たとえ暮らしに困っても魔の脅威から逃れられる。

都の貧民窟は避難民の人口が年々増し、神殿の管理の手が届かず、無法地帯となって放置されている。故に放置街と呼ばれていた。

放置街には食うに困っている者たちが集っている。


魔が好むのは闇。純粋な心を持った子供より、不安・焦燥・憤怒・悲嘆が入り交じった負の感情を持った大人が狙われる。

魔から逃げる際に命を落とす者も少なくない。

奪われるのは大人で、保護収容される放置街には子供が溢れていた。

世話をする者もおらず、多くは衰弱して道の端で動かなくなっている。

盗みや殺人が当然のように毎日起こっており、神殿が兵をあげても手がつけられない状態だった。

こんな場所、と思っていても都の外に一歩出れば魔の脅威に曝される。

手を差し伸べた先代の神官は、放置街の避難民にとって正に救いだった。


新しい集落はとても人間が住める場所ではなかった。

荒れた土地を耕せど魔に侵された土地で農作物が育つはずもなく、草も生えない土地から水を引こうとも地盤が堅くて水路を一つ作るのも難しい。

神官の力で人が住める領土を作り出したが、生活は放置街と変わらない程貧しい。

浄化の行き届かない土や水に触れただけで魔に侵され、気が狂って憔悴し命を落とした。

神官が生み出す浄化の炎をもってしても人が安心して触れられるまでに数年を有した。

切り立った崖にある集落は、手前にある魔の森がある所為で安全な路がない。

崖の下は荒れ狂う海。船を出しても沖へ漕ぎ出せば瞬時に波に飲み込まれて沈む。

生きる為には森の外から物資を運ばなければならない。

森の一部を焼いて路を作り、危険性を孕みながらも森を抜けて外へ行くことを可能とした。

年に数度の交易を開始したのは邑が出来てから翌々年のこと。

荒れ果てた土地に人が暮らせる集落となる迄、休むことなく開拓を進めた。

神官とその部下たちが集落を守り、避難民たちが生活を守る。

集落ーー『邑』の民の絆は強固になっていった。




邑を興した初代の神官は今代の神官が成人となる十四の歳を迎えると神官の地位を譲った。

生まれながらに強い力を有している彼こそが長であるべきと後見人に収まっていたにすぎない。

今でも神殿の奥で政務に勤しんでいる。

より住みよい邑になるように、魔に脅かされない邑になるように、心を砕いている。

邑の民に尊敬されている先代と、如何にも特別な雰囲気を纏う年若い今代。

近付き難い今代の神官ーークロウが住民から疎まれているわけではない。

彼には心許せる幼馴染みがずっと傍にいた。

避難民であったリーの存在が民との身分を越えた絆を繋いでいた。

クロウは民たちと積極的に交流し、人が暮らせる邑づくりに身を費やした。

助け合い、工夫を凝らし、時に失敗をして開拓を進める。

数年の時を経て、やっと人が住める邑ができた。



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邑の神殿には居住区と行政区の区分がある。

政を行うための執務棟や軍備施設、住民の避難場所にもなっている大広間があるのが行政区。

神官の生活の為の部屋だったり私設書斎があるのが居住区。

居住区は限られた者しか入場が許されておらず、神官の身の回りを世話する従者や女官であろうと厳しく取り締まりがされている。

親しくとも避難民だった住民が気軽に入れる区域ではない。

リーは唯一、クロウの願いから居住区に自由に出入りできる。


「クロウ、チェン大人ターレンが呼んでるぞ」

「わかった」


パタパタと足音を廊下に響かせ、クロウの私室の扉を勢いよく開けたと思うと、ひょっこり顔を覗かせた。

行儀が悪いと思うがいつものことなので注意はしなかった。

リーの素行は愛嬌という利点であると思っているので直すに値しない。

どのみち、言ったところで翌日には戻っている。


「おまえも付き合え」

「えー」

「少しは頭も鍛えろ。俺の側近になりたかったらな」


頭を使う勉強より体を動かすことが得意なリーは口を尖らせる。

チェンというのは先代神官の腹心の文官で、邑を総括する一角の文官長を務めている。

彼による講義は眠くなるらしい。

政治の話は理解し難くてつまらないのだろう。

それでもクロウはリーを傍から離したがらない。

どう言えばリーに刺さるか熟知し、言葉巧に誘導する。


「じゃあ、一緒に行ってやるよ」


リーはクロウの手を取り引っ張った。

引かれるまま歩幅を合わせて部屋を出る。

機嫌よく足を進めるリーに、クロウは口の端を上げた。

今日もリーが隣にいる安心を得たのだと。


邑は大陸の西端に広がる魔の森に隔てられた、都の管理領土に及ばない孤立した場所にある。

隣が魔の森だからこそ、間近にある脅威に立ち向かうべく軍が組織されている。

邑の守護は、先代神官と共にこの地にやってきた退役軍従事者が務めた。

募った兵士志願者の多くは避難民。彼らとて邑の一員、邑を守る責任がある。

元は浮浪の一般民。戦う術など知らない。

まず始めたのは剣の扱い方から。

ここは魔の森と隣り合わせ、自分の身は自分で守らなくていけない。

邑の民は皆、剣と弓を習い、武器と警鐘を身近に置いておく。

魔は神官の炎で退けられるが、魔に捕われた人や動物は物理で防がないといけない。

魔に侵された人は常人以上の力を発揮するので、単独で迎え撃つことは禁止されている。

邑の見回りも常に二人一組で行われる。

そういったことから兵役は半ば義務。

もちろん、神官であろうとも武術の稽古はあるのだ。




「おや、クロウ様。今からルオウ殿のところですか?」

「いや、チェンだ」


居住区から文官専用の執務室がある行政区へ向かう途中、通りがかりの官吏から声をかけられた。

ルオウとは先代神官の部下で、邑の軍務の長官を任されている男の名。

クロウとリーの武術の師でもある。


「おやおや。てっきり剣の稽古だと思いましたよ」

「だろうな」


おそらくリーの様子から予想したのだろう。

勉強より武術の訓練がしたいリーの表情が物語っている。

当の本人は首を傾げているけれど。


「チェン殿の講義が終わったら茶の用意を頼んでおきますね」

「饅頭もつけてくれ」

「賜りました」


官吏は浅く頭を下げ足早に去って行った。

邑の神殿は人不足で皆忙しい。少数精鋭で回している。

出来たばかりの新しい邑なので、新たな人材が育つまでまだ時間を有する。

この官吏も先代神官から長官の役を貰っているが、使える部下が少なく自身が走り回るしかなかった。

官吏が執務棟に入るのを見送ってチェンが待つ書斎へ向かう。


「茶の時間に饅頭食うのか?」

「頭使うと腹が減るからな」


何か食べられると知ってリーは笑顔を深めた。

饅頭は、水で練った粉を蒸した軽食。切り込みを入れて炒めた野菜や肉を挟んで食べることが多い。

だが、茶の時間に出てくる饅頭はきっと甘味があるものが出てくるだろう。

官吏もクロウの意図を読んでリー好みの饅頭を頼んでくれるはず。

甘味は滅多に口にする事ができない貴重なもの。

クロウでも食べられないのだから、リーの立場ではもっと食べる機会がない。

それでも甘味を知っているのはクロウと一緒にいるから。


「楽しみだな」

「その前に起きてチェンの話を聞けよ」

「わかってるって」


隠しきれない喜びでリーの足取りがますます軽くなった。

つられてクロウも顔を綻ばせる。


「饅頭一つで、現金な奴だ」

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