Happy Meow Year

常陸乃ひかる

Rescue me

 さほど若くない俺にとって、十一月の風はどうにも骨身に染みて困る。はて、今年も生き延びられるかどうか。

 二丁目の拜原はいばらさんが健在だった時は、日々のメシに事欠くことはなかったが、彼女が去年の聖夜に旅立って以来、俺はその日暮らしのニャリエッティーに逆戻りしてしまった。

 さあて、とかくメシの調達だ。

 短い尻尾をゆらゆらさせながら、今日も町の散策を始めた。


 四本の足を前に進めて、どれくらいか。

 ふと頭の上の耳が、聞き慣れない微弱な声を拾った。明らかに子供の声で、切羽詰まったように鳴きわめいている。

 胸騒ぎを覚えながら声のほうへ向かうと――案の定である。廃屋はいおくと壁の間に体が挟まり、頭だけ出して、身動きが取れなくなっている仔猫こねこが、つぶらな両眼で俺を見据えてくるではないか。今まですんなり通れていた抜け道でも、自分の成長に気づかずに使用すると、こういう悲惨な目に遭うのだ。

 仔猫はひたすら、助けて助けて――と鳴き続けているが、その声はすでに衰弱しきっていた。しかも、ここは人間なんてまず通らない裏通りで、他家の敷地内だ。コイツの救助要請が人間の耳に届くことはない。

 キュートだけが取り柄の俺になにができる? 足を自在に使えて、人間の言葉をしゃべれればコイツの命くらい簡単に救ってやれるが。

 残念、この仔猫は死を待つのみだろう。

「たす……け、て……」

 残念だが、死を待つのみだ。

「しにたく、ない……」

 残念だが――

「さむい……」

 なんちゅーイノセントな目で見てくるのだ、この仔猫は。

 俺が忘れ去った、あの頃の愛くるしい容貌そのものである。いや、俺だって頑張れば今でもできるぞ? 白髪が増えてきたけれど、これでも猫の端くれだにゃん♪

 ――いや違う、そんなことをしている場合ではない。

「ったく……助け呼んでくるから、死なずに待ってろ」


 ここで見捨てたら悪者にされてしまう。

 俺は急いで、民家が立ち並ぶ道へ移動した。

「おーい! 誰か居ないのか! 誰でも良いから人間、こっち来てくれ!」

 だというのに、肝心な時に人っ子一人居やあしない。地球上を支配している割に、なんの役にも立たない人間どもめ。これだから田舎は嫌なのだ。俺は何度も鳴き声を上げ、住宅地の歩道を行ったり来たりした。

 すると、ようやくひとつの人影が外に出てきた。

「やっと人間様のお出ましか。おい、助けてく――げっ……!」

 安堵したのも束の間、よくよく見ると、そいつは俺に食事を恵んでくれていた拜原さんの旦那だった。コイツはいけ好かない奴である。なにが気に入らないのか、俺の美麗なトリコロールを見た瞬間、ダッシュで追いかけてくる鬼ジジイなのだ。

 けれど、人間の習性なんて単純だ。要はデカい俺たちみたいなものである。

「おーい、ジジイ! こっちこっち! 仔猫が死にそうなんだって!」

 俺は普段よりも大きな声でジジイを挑発すると、

「――**! *****! ***!」

 こちらに気づくなり、人間の言葉を叫びながら近づいてきた。

「目ぇ血走ってる、怖っ……。待てってば、今日は休戦だっつーの!」

 幸か不幸か、今日のジジイは虫の居所いどころが悪かったようで、執拗しつように追い回してくる。とはいえ、しょせんは老人の足だ。つかず離れずの距離を保ちながら、仔猫が挟まった現場へ簡単に誘いこめた。

 するとジジイは仔猫を見るなり、俺の存在なんて完全に無視し、薄い板みたいなものを取り出し、人語をしゃべり出した。あれは、町の人間たちがしょっちゅう操作している妙な板っぱちだ。

 俺はくさむらに身を潜め、ジジイの動向を探った。しばらくするとひとりのオジサンがやってきて、なにやら禍々しい道具を取り出し、仔猫に近寄っていった。

 仔猫の不安を余所に、オジサンはその道具を使って、廃屋の一部を削り取り、あっという間に小さな体を救出してしまったのだ。なにが起きたか理解できないほどの早業である。あれが人間の文明か。


 無事に救出された仔猫は初め、不安げに鳴き続けていたが、レスキューオジサンの温かそうな手で包まれ、ケージに入れられた。

 一方ジジイはというと、レスキューオジサンに何度も頭を下げて、お礼を言っているふうだった。どうやら、猫嫌いというわけではないようだ。ではなぜ俺を目の敵にするのか? 謎すぎる。

 ――ふと、ケージ越しに仔猫と目が合うと、

「ありがとう、おじちゃん! たすけてくれてありがとう! ありがとう――」

 くさむらの俺を認識するなり、しつこいくらいのお礼を撒き散らしていた。

「おじちゃ……? 失礼しちゃうわ!」

 果たして、アイツはこれからどうなるのだろうか?

 俺をおじちゃん呼ばわりする奴なんぞ、どうなろうと構わんが。


  ◇


「――ヘックショ……! あぁ、さぶっ……」

 ほどなく、本格的な冬が訪れた。

 俺はフラフラと住宅街のへいを渡り歩いていると、とある民家の縁側で、人間の膝の上に座って眠る猫の姿を目にした。近眼でよく見えないので、庭に侵入して近寄ってみると、こないだ壁に挟まっていた仔猫だった。

 どうやら人間に引き取られ、こうして不自由のない生活を送っているようだ。こちらには気づかず、ただ幸せそうに寝息を立てている。

「ふっ、ノラからの逆転劇だな。待てよ……そうか、ひらめいた!」

 そんなアイツの顔を見ながら、俺はピンときた。

「アイツみたいに挟まったフリをする。レスキューを呼んでもらう。無事に救出される。それから保護される。優しい人に引き取られる。完璧なのでは?」

 どうして今まで気づかなかったのだ。余生を楽に過ごすための5ステップなんて、前足を伸ばせばすぐに届く距離にあったのだ。民家の主に追っ払われながら、俺はワクワクを隠しきれずに、歓喜の鳴き声を上げた。

「さて、まずは適度な挟まりスポットを見つけて……っと」

 この町を知り尽くした俺にとって、挟まる場所を見つけるなんて造作もないこと。やがて具合の良い木製の格子壁を見つけ、そこに頭を入れて、身動きが取れなくなったフリをした。

「さて、あとは可愛い声を意識して――うおっほん。た、タスケテータスケテー」

 そうして俺は、しばらく助けを呼び続けた。

 何度も何度も、仔猫のような声音を使って鳴き続けた。

 ――だというのに、待てども待てども誰も来ないではないか! 風が吹きすさぶだけで、人間の足音なんて聞こえてこないのだ!

「だから田舎は嫌なんだよ!」

 どうやら、もう少し人気ひとけのあるところへ移動する必要がありそうだ。俺は田舎での一発逆転計画を諦め、足に力を込めて頭を引き抜こうとした。

「あれ……?」

 引き抜こうとした――のだが、どうあがいても頭が抜けなくなっていた。

「嘘……え、やっちまった俺?」

 どうやら、冗談ではなく本当にレスキューが必要になってしまったらしい。足の裏の発汗が異様に冷たく感じる。

「た……た、たすけてーぇ! だーれかーぁ!」

 自らの浅はかな猿知恵――ではなく猫知恵を恨みながら、体力の限り叫び続け、無情にも陽が沈んでいった。挟まってすぐ気づいたことだが、よくよく付近を見てみるとここも廃屋の庭だったのだ。

「寂れすぎだろ、この町……」

 しっかり確認しなかった俺の落ち度である。


 それから何度か陽が暮れ、陽が上った。

 次第に俺は寒さを感じなくなっていた。つまり限界が近かったのだ。もう助けを呼ぶだけの力も残っておらず、意識が薄れてゆくのだけはハッキリとわかった。

 瞑りかけた目の中で、ふと動くものを感じた。奇跡だと思った。決して風に揺れる草木なんかではなく、人の影だったのだ。

 地獄で仏――

 かと思ったのに、こんな見すぼらしい俺の眼前に現れたのは、拜原さんの旦那だったのだ。そう、よりによって地獄で鬼ジジイである。しかもジジイの手には、怪しい道具が握られていた。

「お前……鬼ジジイか。はぁ、好きにしろよ……。もう、俺は……老い先、長かねえ……これも自業自得さ」

 俺はあの道具で痛めつけられるのだ。毛がむしられ、皮膚は切り裂かれ、骨を砕かれるに決まっている。あぁ、可哀想な俺。可哀想だけど、最期まで可愛い俺。

 覚悟をもって目を閉じると、俺の頭部には小さな振動が伝わり始めた。そして俺の体には徐々に激痛が! そう、激痛が――!

 いや、激痛が――まったく走らない。

 様子のおかしいのを確認しようと目を開けると、ジジイは手に持った怪しげな道具を使い、木製の格子を切断しているではないか。なるべく振動を与えないように、こちらに人語を向けながら作業を続けているのだ。

 まさか、俺を助けようとしているのか? 眼前の光景がにわかには信じられず、この時間をただ――心地良いと思ってしまった。俺にはもう、先ほどまでの不安や敵視なんて一切なく、ふたたび目を瞑っていた。

 ほどなく体が宙に浮く感覚を味わった。ジジイの冷たい手で抱きかかえられていたのだ。薄目の奥で、ジジイは――笑っていた。

「なんだよ、初めから……その顔で接してこいよ……この、頑固……」

 俺は最後まで文句を言いきれず、お礼を言う気力も残っておらず――


  ◇


 ぼんやりする意識の中、俺は柔らかい布の上で横になっていた。

 見知らぬ人間が俺に微笑みかけながら食べ物をくれた。

 見知らぬ人間の柔らかい手で、何度も体を撫でられた。

 心地良い。夢なら覚めないでくれ。

「夢、なら……覚め……ん、あれっ?」

「****。***、****?」

 俺が目をパッチリ開くと、こちらを見下ろしてくる人間がなにかしゃべりかけてきた。というか体がだるい。というか――ここはどこだ? まず寒くない。むしろ暑すぎる。辺りを見回してみると、どうやら家の中に居るようだ。

 要するにリスクテイクの結果、俺は念願叶って人間に拾われた、ということで良いのだろうか?

「もう二度と外の世界なんて御免だな……」

「*****! ****!」

「あんだよ? だから人間の言葉わからんって」

 あとで知ったことだが、ジジイ――拜原さんの旦那は、解体業者の長で、あの廃屋を潰すように依頼されていたという。あの日、たまたま廃屋の状態を見にきた際に、俺の惨事に出くわしたのだ。

 またこの家は、ジジイの親戚の家だった。たまにジジイが顔を見せては、家族と談笑したあと、恐る恐る俺の頭を撫でてから帰宅してゆく。だから俺も、わざと気がないフリをする。

 まったく、素直じゃないジジイだな。に。


 しばらく人間と暮らすようになって、少しだけ人語がわかるようになった。

 もちろん、しゃべれないが。

 どうも人間は、決まった日に大騒ぎする習性があるようで、本日もそのイベント真っただ中だった。俺はストーブの前を陣取り、お祭り騒ぎの人間たちを傍観しながら、揚げた鳥肉を頬張っていた。野良時代に比べると日々の食事がご馳走である。まあ、腹の脂肪が増えるにつれて、段々と飽きてきたが。


 そうして夜が更けて来た頃、家族が妙な呪文を唱え始めた。

 なんだか、めでたそうだ。

「***ー*****ー!」

 人間の言葉はよくわからんが、俺も真似して叫んでおくか。

「ハッピーニャーイヤー!」

 今年もよろしくにゃー。

 よし。ちょっとは可愛く見えたか?


                                   了

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