第66回 蹴りたい背中

 「蹴りたい背中」は、綿矢りさの小説です。金原ひとみの「蛇にピアス」と共に第130回芥川龍之介賞を受賞した作品です。彼女は当時19歳で、芥川賞の最年少受賞者です。「あらすじで楽しむ世界名作劇場」で実写ドラマ化されています。


 綿矢りさについてはこちらをご覧ください。

https://kakuyomu.jp/works/16816927859434938319/episodes/16816927859435362999


 最初に「さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつけるから、せめて周りには聞こえないように、私はプリントを指で千切る」という描写があり、かなり屈折したいわゆる「こじらせ女子」だという事が上手く表現されています。タイトルとも繋がってきます。


――人数の関係で私とにな川を班に入れざるを得なくなった女子三人組は、まるで当然というふうに、余り物の華奢きゃしゃな木製の椅子を私とにな川にあてがった。あてがったというよりも、スムーズに私たちの所まで流れてきた、という方が正しい。余り者には余り物がしっくりくるのだ。いじめじゃない、ごく自然なことなんだ。似合うから、しっくりくるから、しょうがないんだ。椅子は、背もたれや脚の部分は黒い塗装がところどころち、木の部分が見えてしまっていて、オレンジ色のクッション部分は虫にわれており、他のみんなが使ているパイプ椅子に比べたら、椅子としては失格なほどアンティークだった。ちょっと動いただけで、椅子の四本の脚はポテトチップスをくだいている時のような、ぱりぱりした音を出してきしむ。だから首だけを静かに動かして、私は横で私と同じ種類の椅子を使っているもう一人の余り者をながめた。――(蹴りたい背中 P.5)


 主人公とにな川の複雑な関係を示唆する絶妙な描写ですね。なにせこのタイトルは単に好きな人をいじめたくなるというごく自然な感情ではなく、もっと深い微妙な感情を表しているのですから。


 私は小学校の頃に、気に入っていた一つ年上の女性がせっかく作った砂場のお城を壊して泣かせたりした事がありますが、これとは少し違います。


 この後、にな川が「推し活」する程入れ込んでいる「オリチャン」というモデルに、主人公が偶然会った時の話をして、二人は急接近します。


――指でつまんでいる稚拙ちせつな写真を眺める。これは、にな川が何歳の時の「作品」なんだろう。紙の赤茶けた感じや、ケースの底にゴミのように貼り付いたまま忘れられていたことから考えるかぎり、かなり初期の作品の気がする。オリチャンへの想いの原型がしになっているのが、この、顔はオリチャン、身体は少女の写真なんじゃないだろうか。にな川の猫背の後ろ姿を直視できない。

 あんなに健康的なものを、よくこれだけ卑猥ひわいな目で見られますね。

 心の中で小さくわらってみたら、興奮した。あれだけ健康的にすくすくと輝いているものをここまでおとしめてしまえるのはすごい。多分これを作ったにな川は、オリチャンを貶めているなんてさらさら思っていないと思うけれど。

(中略)

 この、もの哀しく丸まった、無防備な背中を蹴りたい。痛がるにな川を見たい。いきなり咲いたまっさらな欲望は、閃光のようで、一瞬目がくらんだ。

 瞬間、足の裏に、背骨の確かな感触があった。――(蹴りたい背中 P.58~P.60)


 あらあら。「蹴りたい」という願望にとどめられず、本当に蹴ってしまったのですね。


 背中を蹴るシーンは最後にもう一度出てきます。この1度目ではかなりサディスティックな感情から蹴っています。


 主人公はにな川が少し風邪をこじらせて学校を休んだ時に、周りが「登校拒否かもしれない」と煽った事もあって、心配でお見舞いにいったりします。こういった事から友人の絹代は、主人公がにな川の事を好きだと思っています。


 主人公は友人の絹代とにな川の3人で、オリチャンの初ライブに行きます。


――川の浅瀬に重い石を落とすと、川底の砂が立ち上って水をにごすように、“あの気持ち”が底から立ち上ってきて心を濁す。いためつけたい。蹴りたい。愛しさよりも、もっと強い気持ちで。足をそっと伸ばして爪先を彼の背中に押し付けたら、力が入って、親指の骨が軽くぽきっと鳴った。

「痛い、なんか固いものが背中に当たってる。」

 足指の先の背中がゆるやかにる。

「ベランダの窓枠じゃない?」

 にな川は振り返って、自分の背中の後ろにあった、うすく埃の積もっている細く黒い窓枠を不思議そうに指でなぞり、それから、その段の上に置かれている私の足を、少し見た。親指から小指へとなだらかに短くなっていく足指の、小さな爪を、見ている。気づいていないふりをして何食わぬ顔でそっぽを向いたら、はく息が震えた。――(蹴りたい背中 P.140)


 この、2度目の蹴りでは「愛しさよりももっと強い気持ち」と言っていますね。


 主人公とにな川がその後どうなるのかは大変興味深いですね。私は個人的にかなり良いカップルになるような気がしますがいかがでしょうか。


◇◇◇◇◇◇



 読んでいただきありがとうございました。


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 よろしければ、私の代表作「妻の代わりに僕が赤ちゃん産みますっっ!! ~妊娠中の妻と旦那の体が入れ替わってしまったら?  例え命を落としても、この人の子を産みたい」もお読みいただけると嬉しいです。

https://kakuyomu.jp/works/16816927860596649713



 次の第67回は「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」の秘密に迫ります。お楽しみに。

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