Ad-Bent Reality(アドベント・リアリティ)
及川盛男
本編
真冬のある寒い日、上野の駅前で一人の女性が腕組みして待っていた。フレーム越しに見える眉間にはシワが寄り、ネックウォーマーの隙間から白い吐息がもうもうと溢れる。手をコートのポケットに突っ込んだまま、空中に浮かべたチャットアプリのウィンドウに待ち合わせ相手への呪詛の言葉を200文字程度
「おっそ!」
「マジ、ゴメン!」
「お前ヤバすぎるやろって! この寒空で三十分も待たせて『ゴメ〜ン』で済むか、どアホ!」
そう言って赤くなった鼻を指さす女。男はひたすら平身低頭で、
「ほんと、ほんとこの通り! いやちょっと、乗り換えが想像以上にヤバくて……」
「関西出身のウチに、ようその言い訳言えたな。というか、乗り換え案内でもなんでも使えたやろ」
「完全に調子乗ってました。そんなの使わなくても余裕だろって思ってて、気づいたら山手線逆回りに乗ってた」
「ホンマのアホやん」
「というか、あったかいとこで待っててくれてもよかったのに」
「……まあ、場所はウチの都合や。そこ責めたのはお門違いやったな、すまん。あれが見たかったんや」
「あれって……ああ、なるほどね」
女の見る方向を見て男は納得した。ついさっきまではそこに居なかったはずの大きなアフリカゾウが、そこを闊歩していたからだ。
「こりゃ、壮観だわ」
男はフレームの真ん中、ブリッジの部分をくいと持ち上げながら感嘆した。
――――
次世代スマートグラス「LenS」が発売された日、全世界待望のデバイスの登場に世界中のあらゆる量販店で行列が出来、またオンラインで購入した人の家に向けて無数の配達ドローンが飛び交った。さながら戦時中か世紀末のような様相だったが、並ぶ人、手にした人、その顔は一様に笑顔だった。
LenSというデバイスそれ自体の技術は、2010年代から開発が進められてきたものの延長線上にあるといえる。それら先駆者を軽量化し、網膜がピクセルを認識できないくらい細かな画素数と、無線充電の技術を詰め込んだものだ。大きな革新はそのサービスの提供面にあった。LenSは端的に言えばディスプレイで、究極的な演算処理は全て空中を飛んでいるサーバードローンで行われる。ドローンは24時間365日地表を撮影しながら、リアルタイムで現実世界のデジタルツインをメタバース上に構築する。そしてそのメタバース上のコンテンツをユ―ザーの視界にオーバーレイすることで、いわゆる「完全」なMR体験を提供することに成功したのだ。
箱からLenSを取り出し、それを掛けて周囲を一望した人々は、それらの触れ込みが全く誇張なしどころか、それですら足りないくらいの革命が起きていることを即座に理解した。目の前にある空間がそのままに、全く新しい世界がそこに広がっているのを目にしたからだ。秋葉原の青年はそこに巨大な電気街摩天楼群と空を飛び交う美少女たちを見たし、片田舎に住む少女は、田んぼの上に憧れのアイドルグループのステージを見た。新大陸の発見や月面への到達に匹敵、あるいは凌駕する新たな発見、言わば第4の次元の発見に等しいという評が出ると、またたく間にその認識は世界に広がった。
しかしその普及を助けた最大の要因は、これらが無料で提供されたということにある。LenSというデバイス、通信料、サービス利用料、全てが無料なのである。これが怪しいスタートアップの目論見ならいざしらず、その時点で世界最高の技術とブランド力を有するIT企業がやったのだから、あらゆる人間がそれに飛びついた。
だがそうすると、LenS端末はともかく、長時間飛行可能なバッテリーと、地上を常に超高解像度・高フレームレートで撮影可能なカメラ、そしてリアルタイムに変化するメタバースの描画に耐えうる演算能力、これらを有した数十億機のドローンネットワークの維持にかかる費用は、どうやって捻出されたのか。
そう、広告である。
その中で提供されるコンテンツは別として、LenSそれ自体は、そのサービスへの参加について一切の課金要素を有さず、広告のみで収益化するモデルなのだ。スマートフォンに例えるならば、スマホ本体と通信量は無料、コンテンツを買ったりサブスクを契約したりするときは課金、というような格好だ。
それが実現し得たのは、LenSの市場と広告掲載の範囲が過去のあらゆる広告媒体を超越するような規模を誇るからだった。LenSの市場を、メーカーは「全人類」と位置づけている。何なら、目が不自由な人々に対しても視界を提供することすら計画している。
そしてその掲載範囲は、全世界だ。しかも全世界の表面積――これまで広告を掲載することが出来た範囲――ではなく、全世界の「体積」が広告スペースだ。空中にも、窓ガラスにも、海にも、地面の中にも、LenSは広告を映して見せる事ができる。今ある広告市場のパイを奪うどころか、パイをそのまま積分してボールにしてしまうような、そんな破壊的なイノベーションとなったのだ。
当然懸念はあった。大きな物は2つで、まずその利用条件だ。LenSの無料利用は広告閲覧の対価だ。そのため、広告を見えなくする行為――広告ブロック、スキップ、そして究極には、LenSを外すこと――それらは全て規約違反となり、法外な賠償金を請求されてしまうのだ。これは人権と独占禁止法という、近代社会で最も重んじられる価値観を著しく侵害しているとして当初激しく問題視された。
2つめは極度の依存性だ。当初、広告表示を操作できるメーカーによる管理社会の形成が懸念されたが、現実には広告は汎用AIの危険思想などではなく純粋な機械学習レコメンドエンジンに依拠していることがわかった。だがそれは同時に、既存の広告が招いていたようなフィルターバブルの形成を加速度的に強める可能性も示していた。自分の好み、自分の見たいものが、自分の眼前を常に覆っている世界。「依存」という言葉と最も親和性の高い状況であることは疑う余地がない。
だがしかし、それでもLenSは普及した。数々の訴訟に勝ち、人々に支持された。実態として健康被害や経済損失が生じるどころか、それらが増進しているという統計的な事実が判明したことが追い風となったこともあるだろうが、より根本的には、世界がもう後戻りできない形で変わったのだ、ということを皆が深層心理で理解していたのだ。
人権も独占禁止法も、全く所与のルールではなく、現代の形としてはここ1、2世紀ほどの歴史しか無い。その時点にける最も合理的なものとして提案されたルールに過ぎないのだ。例えば、全ての牛がもし人間と同等の知能を持ちしゃべることが可能になったとしたら、ヴィーガンか否かに関わらず人々は牛肉を食べなくなるであろうし、やがてその現実に合わせてルールや倫理の体系を変えていくだろう。それと同じような、根本的に知的に不可逆な経験。それこそがLenSだった。
ただし留意すべきことは、これは決して人間精神を電子化したりするものでも、ワープなどの超自然的な現象を提供するものでもない。人々はあくまでLenSを装着しながらも呼吸をし、食事をし、排泄し、入浴し、出勤し、労働し、帰宅し、入眠する。移動は徒歩、自動車や自転車、電車だし、飛行機だ。未だ人類は火星への有人探査すら出来ていない。工業製品も映画も音楽も人々が作り続けている。そのうち無形的なコンテンツが、空間に全く制約されない形で常に提供可能になったということなのだ。
さて、フィルターバブルに対する懸念に対処するため、メーカーはある機能をリリースした。それは、異なる複数人のレコメンド情報をミックスし、それぞれが見る世界の広告に反映する機能、「アドミキサー」である。プライバシーの問題から当然それを拒む人々もいたが、他方で自分が関心のなかったコンテンツへの新たな出会いや、広告の傾向を通じた相互理解の機会が得られるものとして、LenS発売から数年としないうちに大きく普及していた。それを遺伝子の混交としてのセックスに擬えて、
――――
二人は大学の同期だった。関西出身のボーイッシュで気が強い女と、関東のいかにも優男といったような男はまさに正反対の性格や好みをしていて、それこそ第二外国語のクラスが同じでなければ交友を持つことは無かっただろう。だが三層分の偶然――偶然席が隣になり、偶然アドミキサーがオンになっており、偶然二人ともミックスを誤って開始してしまった――ために、二人は互いに同じ西洋の芸術家に興味があることを知ったのだ。ちょうど上野で開かれている特別展に行ってみようという話になるのに時間はかからなかった。
「チケット代奢りで……ダメっすかね?」
「……そこまでは怒っとらんけど、まあそれで手打ちにしよか」
「げ! マジか、やり過ぎた」
「ついでにこれ観終わったら、動物園にも付き合ってもらうわ」
「あー、それは普通にいい提案。ちょうどパンダに顔合わせしたくなってたんだよ」
男は、道すがらをゆっくりのそのそと歩くアドパンダを眺めた。そういった広告の動物の頭上などには必ず「上野動物園」だの「徒歩2分」だの「遊びにきてね!」だの書いてあるので、脱走動物や野生の動物とはすぐに区別がつく。行き交う人々をのそのそと躱しながら進むアドパンダに向かって、小さな女の子が指を差す。歓声と共にその子は、親の手を引いて付いていこうとする。美術館へと向かおうとしていた両親は困ったように笑いながらも頷きあい、一家はそのままパンダの導くままに動物園へと向かっていった。女はアドパンダから視線をずらして、
「パンダもええけど、ウチはキリンも見たいわ。あんだけ細長い足やと、この季節冷えがたまらんやろうけど」
女がそう言いながら電柱の上くらいの高さを見上げる。男も同じところを見上げたが、そこに見えたのは電柱の上に立つアドオランウータンだったので視界をリロードした。だが今度はアドチンパンジーが表示され、その次はアドニホンザルだった。
「なんか、サルばっか表示されるんだが」
「そういうもんばっか見とるからや」
「どういうもんだってんだ。いや、サルも見たいけどさ、俺だってキリン見たいんだが」
「なら尚更、動物園行かな。ま、後でな。まずは予定通り美術館行こか」
チケット売り場で「大人2人」と頼む女の横顔を見て、男はある変化に気づいた。
「あれ、LenSのフレーム変えたん?」
「流石、女慣れしてそうなだけあって、目敏いなー」
「人聞きの悪いことを」
「冗談やわ。銀縁飽きたからな、ちょっと買い替えたんや」
外したら違約金、というのは基本的なルールだが、当然に例外はある。顔を洗うときや風呂に入るときのような時間や入眠時、手術時、散髪、LenSの買い替え、交換の際など。それらの時は当然に外してもなんら問題がない。LenSの機能を享受しておきながら外している状態が、いわゆる違反行為だった。
「似合ってるな」
「みんなそう言っときゃええと思っとるよな。当たり前やろ、似合うやつ買ったんやから」
「普通の人は、そんな飽き飽きするほど褒められたりしないって」
それは一方で、公共の空間――そこにおける社会サービスのほとんどがLenSを通して提供されている――においては、外すことが厳しく取り締まれられていることを意味する。上空を飛んでいるドローンたちのカメラが、単に地表の計測のためだけに使われているなどと純朴に信じてる人は一人もいない。
暖房の効いた館内入り口でひと心地をついたのち、チケットを係員に手渡し、半券を返してもらう。画家の代表作を背景にしたその半券を、女が大事そうに鞄に仕舞うのを男が見やる。
「集めてんだ、そういうの」
「そらそやろ。壁に貼って飾っとる。なんなら半分くらいはこれを貰いに来てるみたいなとこあるで」
「へーえ。まあ確かにバーチャル会場で見ると紙のこういうのは貰えないけど」
「いやビビったで、バーチャルの美術館しか行ったことない言われた時は。作品展なんて実際に行ってなんぼやろ思ってたもん」
「いやいやそう言いますけどね、バーチャルもいいもんですよ。大阪でしかやってないような催事だって簡単に見れるし、なんならスミソニアンとかルーブルとかにも簡単に行けるわけで」
「いやいやいやいや。紙の温もりいうもんがあるのよ。まあこれからたっぷりと味わってもらうわ」
入り口の「ごあいさつ」の長大な文章を流し見しながらそう話す二人。角を曲がる前に、視界に表示された地図や音楽ストリーミングのアプリの画面を最小化する。
数十分ほど掛けて、折り返しの地点まで来た。バロック画特有の情報密度が極めて高い絵画の数々は、見る上で非常に大量のカロリーを消費する。休憩スペースは二人と同じように一息ついている客たちが、見た作品について講釈を垂れたり、ああでもない、こうでもないと議論したりと賑やかだ。空いている場所に座ると、二人もまた堰を切ったように話し始めた。
「どうよ、やっぱ実物見るのはバーチャルとはちゃうやろ」
「まあ、絵の具の匂いとか、その場での照明の当たり具合での見え方とか、そういうのは確かに。けど、バーチャルのも結構負けてなかったけどな。両方見比べた俺に言わせると、視覚から得られる情報としては完全に一緒だったし」
「ほーん」
「それにさ、絵画ってのは視覚の芸術な訳じゃん。そこに温もりとか香りとか、視覚情報以外のものを解釈に含めるのって、むしろ邪道なんじゃない」
「ほん?」
ぐるりと、女は男を睨みつけた。
「邪道なんてことないやろ。むしろ作られたものをありのままの形で鑑賞する。それこそが作品のあるべき姿を最も直接に理解できる手段やろ!」
「いやいや、でも絵画って劣化するじゃん。それに比べたら、バーチャル上で永遠に同じ状態で保存されてる方が、作者本来の意図が一番伝わるんじゃね?」
「劣化が嫌なら、石でもブロンズでも、そういう形で作るやろ! そういうのも込みで絵画にしたんとちゃうんか!」
「だったら補修なり劣化の復元なりしてるのは、作者の意思に反してるってことか?」
「極論はそうよ、もう。そのことへの後ろめたさを抱きながらも、今もこうして見えることができることに感謝しながら芸術と対峙するんよ!」
「絶対それは売り言葉に買い言葉のやつだろ……」
そう言って視線をぶつけ合う二人。なお両者とも、芸術系の学部でも文学部でもない。片方は経済学部、片方は政治学部だ。
「だいたい、実物見るって言ったって、LenS越しで見てるんじゃ――」
男の言葉を遮るように、突然館内の照明が消える。悲鳴とどよめきで騒然とする周囲。
「な、なんにゃ……っ!?」
思わず男が振り向くと、女が顔を伏せているのが見えた。男が口を開きかけ、
『館内の皆様にお知らせです。ただいま本館は停電しております。ご不便をおかけして誠に申し訳ございません。落ち着いて、周囲の館員の案内や誘導をお待ちください。まもなく、非常電源に切り替わります』
そのアナウンスと同時に、誘導灯などの僅かな明かりがポッとつき、ざわめきは少
しだけ静かになる。
「なんだろ、地震とかはなかった気がするけど」
「わからんで。こういう施設は免震構造がえげつないから、揺れてても気づかんかっただけかもしれん。ニュースはどうなっとるんや」
「あー、それが今、圏外っぽくて。ニュースは見れない」
その言葉に女は一瞬目を見開く。
「LenSが圏外……ああでも聞いたことあるわ。この建物古いやろ。だからドローンからの6Gの電波が通らんねん。そういう施設は館内に専用の通信設備が置かれとるらしいんやが、それがこの停電で動いてないんと違うか」
「なるほどねえ。現代文明の思わぬ落とし穴、ってことか」
「最低限は動いてるっぽいけどなあ」
周囲に浮かぶ避難誘導の緑色の矢印を眺める女。最低限の、ローカルな描画については非常電源のキャパシティ内で行われているのだろう。人々は皆それに沿って展示室の外へと動き出していた。
「で、さっき何言いかけとったんや」
「え、ああ。噛んで猫っぽくなってたけどあれなんなの、っていう」
「ちゃうわ! なんなのもへったくれも、あんたが今言ったので全部や! その前やその前」
「その前? ええと、ああ。LenS越しだったら、実物を目で見るって言っても結局フィルター掛かってるじゃん、って話」
「それはそれで、ずいぶん古臭い議論やな。ガラス一枚隔てて物見るって意味じゃ、もともと貴重な絵画だってガラス越しやし、ガラスが一枚増えただけや。なんも本質には影響与えんわ。それに外して見ようにも、外したら罰金やろ」
「いやまあそうなんだけど、けど、今これじゃん」
そう言って男は天井を指さした。
「……今なら、バレへんって?」
「それだけ言われたら、俺も作者の本来の意図とやら、この目で見たくなってきちまった」
人の波を躱しながら、展示の一角へと進んでいく二人。眼前にしたのは、その作者の最も有名な作品だ。男は息を呑み、女は生唾を飲み込んだ。
せえの、と合図をしながら、すっとLenSを外す。そして肉眼で、改めてその絵画を見据えた。
しばしの無言。
「……どう?」
「何も変わらん。フツーに同じやわ」
「俺も」
変わらずにその場で美しくあり続ける絵画。二人は目を見合わせた。
「……LenS掛けてないのも、似合ってるな」
「裸眼が似合うって、なんやねん。おかしいやろ日本語」
二人はケラケラ笑う。拍子抜けだった。そして振り向きながらLenSを掛けて――固まった。
「……なあ、今」
「俺も見た」
見間違いという可能性が潰える。だが、そうであって欲しかった。
未だ途切れない人の波。掛ける前も、後も、それは変わらない。だがその数が明らかに、LenSを掛けた瞬間に増えたのだ。ついその直前までは居なかったはずの人間が、人と人の間をまるで埋めるかのように、突如としてそこに現れたのだ。
もう一度LenSを外して確かめようとした瞬間に、通常の照明が煌々と灯り、LenSはオンラインになった。
――――
「あれ、一体なんだったろう」
建物の外のカフェで、コーヒーを飲みながら男がつぶやく。
「一種のサクラ、ってことやろうか。バーチャルな人間をあそこに見せて、盛況になってるように見せてるんやろ」
「バーチャル会場の人間をオーバーレイしてるってことはないかな」
「それやったら、その場に実際にいる人間と被ったり重なったりするやろ。けど、そうはなってなかった。LenS掛けた瞬間に現れた人影は、綺麗に実在する人間と違う場所に配置されたってことや。バーチャルアド特有の現象や。パンダもゾウも、人避けてたやろ」
絵画の実在は確かめられた。だが、あの空間はそれ以上の偽りで出来ている。
「それに、何よりさ」
「ああ……ウチもなんか、ショックや」
二人にとって最も衝撃だったのは、それが広告であることが一切わからないということだった。彼らの頭上には、なんの広告マークも表示されていなかった。
これまで見てきた広告は全て、ある種のリアリティーラインを超えないものばかりだった。動物や架空のキャラクターが眼前を歩いたりするようなものか、あるいは現実の人が空中や仮想のステージの上などの地続きではない場所に現れたりとか。相手の性質かその表示場所のどちらかあるいは両方で、現実と峻別できるようになっていた。
それは伝統的な消費者保護手法の一環が受け継がれていることに違いなく、区別できるようにすることで消費者を保護しようというルールでありモラルであるはずだった。
だが、それは守られていないのだ。しかも、場末の劇場や路上などではない。公営の美術館で、それがまかり通っている。であれば、果たして。この世界はどれくらい、そういったものに包まれているのだろう。
「……なあ」
「うん」
「ウチらがあん時みたパンダ、あれは間違いなく広告やったよな」
「そりゃ流石に、そうだろ」
「やんな。けどさ。じゃああの時パンダに着いてってた、あの女の子。あの子はどうなんやろ」
男の脳裏に先程の光景が過ぎる。心がほっこりするような一幕。あれを見て男は、動物園へ行こうという気持ちを固めたのだった。
「……怖いこと、言うなよ」
アドパンダが、また通りを歩いているのが見えた。二人はそれから目が離せなくなる。いや、本当は無意識にそらそうとしているのだが、システムは二人の視線を追尾し分析し、最も効果的な訴求ができるようその視野にパンダを映し続ける。
ふと、テーブルの上に乗った二人の手が触れた。彼女の右手の小指が、そっと男の左手の小指に乗せられたのだ。それを受け、男は手を動かしも、握り返したりもしなかった。ただ、その指が乗った感覚を慎重に受け止めた。互いが広告ではない、現実の存在であることを確認したかった。
だが、そもそもなぜ二人はこうして出会えたのか。それ自体、広告による偶然ではなかったのか。
「なあ、LenS外したいんやが」
「俺だって」
その想いも虚しく、既にネットワークには接続され、メーカーによる監視は復活している。今外せば即座にそれが露見し、法外な違約金が請求されるだろう。
やがて、アドパンダに着いていこうとする人影が見えた。それは――。
Ad-Bent Reality(アドベント・リアリティ) 及川盛男 @oimori
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