マキヒコとマルヌ
晩秋の日暮れは早くすでに風は冷たい。
邪馬台国、内城の
国を司る、
調度品はすべて、北の海の向こうの国からもたらされたものばかり。
この談話室では倭国風に床の囲炉裏に直接は胡座をかき座らない。
卓の周りに椅子を用い靴を履いたまま話し合う。
すべてがマキヒコのお気に入り中華風なのである。
もう夜も更け始め寒いので
マキヒコが止めた。
「そのままに」
「はい」
酒の酔いからくる火照りで屋外からの寒風が実に心地快い。
木戸の奥には闇の中、糸よりも細い月がのぼっている。
今宵のマキヒコはやけに機嫌が良い。
珍しく酒の杯を大きく仰ぐ。
卓には四人が囲んでいる。
マキヒコにハルト。司書を務める
四人とも漢籍の読み書きが出来る中華風の、もしくはマキヒコ流に言えば完全な<士大夫>である。
もう大人であるマキヒコと若いハルト、サルムは酒を呑んでいるがマルヌだけは湯気の立つ古米茶である。
文明化されたものだけで集まりその知識を分かち合い語り合うことの楽しさといったらない。
まさに孔子様の『朋あり遠方より来る、また楽しからずや』である。
遠くで鋭い鹿の声が響いた。
マキヒコが杯を仰ぎサルムに向かって言った。
「詩を詠んでみぬか?」
「『紺天臨月』紺色の天に月を臨まん」
サルムが即座に言ってのけた。
マキヒコはやや赤ら顔で満面の笑みを浮かべ続ける。
「『酔酒快快』酒に酔ひて快快なるや」
この場で一番酔っているのはマキヒコである。
「『獅啼響飛』獣が啼きて響き渡る」
ハルトが続いたが、文章としては一番出来が悪いし情景を詠めているようで全然詠めていない。
文法的にも怪しい。
ハルト自身もはずかしそうだ。杯で顔を隠した。
次はマルヌの番である。眉をしかめ必死に作文し考えているマルヌが可愛い。
やや間があってマルヌが詠んだ。
「『資以開国』(己の)資(質)を以て国を開き」
素晴らしい。まだ子供なのにこんな文章を漢文で読めるとは、、。
「『雄存国栄』(英)雄在りて国栄える」
サリムが続く。
「『我安得志』我れ
最後は言い出したマキヒコ自身が
「お見事に御座いまする」
ハルトが素早く自分の手前で終わり、更に恥をかかずに済んだことも手伝ってか大きな声でよいしょをする。
マキヒコは全員に微笑みかけ言った。
「
場はあっという間に冷め、静まりかえった。
このようなものが本当の北の海の向こうの本物の文人が聞けば詩にすら成っていないのはマキヒコが一番良くわかっている。
だが、これが渡ることさえ困難な海の向こうの東の果ての野蛮な倭国人が目指すべき近代化なのである。
詠むだけでいや、文明化を目指すだけで良いのである。
まずは第一歩。
マキヒコは酔ったとろんとした目でハルトを見つめる。
ハルトも美しく
若く英明にして聡明なハルトは美しい。
ハルトと男同士で何度も躰を交わした肉欲の快楽がマキヒコを
酔いもマキヒコの理性を惑わす。
自分は全身全霊をかけてこの邪馬台国に奉仕している。
邪馬台国の民が安寧に暮らせるのは自分がいるおかげである。
これぐらいの享楽は許される筈だ。
北の海の向こうの国でも男色は存在すると伝え聞いている。
しかし、誰にもでも語れて誇れるべきものでは決してない気もする。
性すべてに関わる罪悪感だろうか、完全なる
ハルトの純潔を守りたい気持ちも少しあるように思う。
ハルトとの愛がいつしか純愛に変わったのだろうか。
妻のリフアだったら良いのか。
「今宵は呑みすぎた。この辺でお開きとしよう」
以前だったらハルトの腕をつかんで事に至っていたところだが、マキヒコはさっと立ち上がった。
マルヌが中国式に
「お休みなさいませ、司台国様」
マルヌが頭を垂れ言った。事実上の人質の被後見人の立場もあるだろうがマルヌが一番気が利いて、この中では頭が良い気がする。
山間部の僻地に存在しこ後進国の狗奴国の人間とは思えない。
しかもまだ子供だ。
それに気付いた瞬間にマキヒコはややふらついた。
ハルトがそれを支える。
「呑みすぎた」
そう言うと、マキヒコはハルトの手を振り払い歩き出した。
館の寝室に入ると、妻のリフアが
「なれ様、お待ち申し上げておりました」
「うん」
返事にならない返事をする。
「今宵は酒を召されたようで、続きの杯をお重ねになりますか?なれ様」
この妻はいつもよく出来ている。
文句のつけようがない。
マキヒコは乱暴にリフアの腕を握ると自分の方に強く引き寄せた。
ハルトへの純潔を守り代わりに酔った勢いで妻を抱く、何が文人だ、本当に最低だ。
マキヒコは心の底からそう思った。
姉がくすくす笑いながらマキヒコの股間をまさぐる。
『お姉さんやめて』
睡眠後の朝立ちを卑猥な手付きで姉が無探り撫でる。若いマキヒコの股間は痛いほど勃起している。
『やめて、姉さん』
姉はやめない。
自分の着物の裾さえめくろうとしている。
姉はニタニタにやにや笑っているだけ。
このまま、無理やり姉と身を躱したことことが幾度もある。
「やめてくれ!」
マキヒコは大声を上げながら起きた。
姉の顔が妻のリフアに変わった。
「なれ様、うなされていたようですが」
「なんでもない」
「それより、急報だとか、司国の役人が参っておりますが、、、、」
「急報?」
「大事とかで、隣の書見の間で直接お話ししたいとか、、」
「会おう、なにか一枚羽織るものを」
「はい」
マキヒコが軽く身支度をして書見の間に入ると、司国の役人一人と脛が泥だらけの国と国を結ぶ駅伝の伝令が小さな革袋を先に置いて両手を床に付き待っていた。
革袋が赤黒く染まっていたので尋常ではないことにマキヒコも気づいた。
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